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2005/11/28

〈モーツァルト2006日本〉「オーケストラ・コンサートその1」(2005/11/28@紀尾井ホール)

モーツァルト/交響曲第1番 変ホ長調 K.16
       ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482 *
       交響曲第41番 ハ長調 《ジュピター》K.551
 前田二生[指揮]
 小川京子[ピアノ]*
 新東京室内オーケストラ

来年2006年はモーツァルト生誕250年。日本におけるモーツァルト学の「総本山」といえる海老澤敏氏肝いりのシリーズ第1回は、モーツァルトの最初と最後の交響曲の間に円熟期のピアノ協奏曲、第22番を挟む、という趣向。
最後の交響曲、第41番《ジュピター》の終楽章に現れる「ド‐レ‐ファ‐ミ」といういわゆる「ジュピター音形」が、じつは第1番交響曲の第2楽章にも現れる、という事実に心引かれ、そして古代ギリシアの哲人が音楽を分類して名づけた〈ムジカ・インストルメンタリス〉(楽器や歌が奏でる音楽)、〈ムジカ・フマナ〉(人間の魂がうたう音楽)、〈ムジカ・ムンダナ〉(宇宙の音楽)に、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第22番、交響曲第41番がそれぞれ対応する、という海老澤氏の説にうなずきつつ、モーツァルト祝年のはじまりにふさわしいプログラムを楽しみました。
海老澤氏の考えによれば、モーツァルトは一般にいわれているように「夭折」ではない、ということですが、まったく納得してしまいます。運命の悲劇的結末によって、ひとりの天才の寿命が中途で断ち切られた、と考えるより、他の人間よりも濃密な時間を生き、人生を駆け抜けた天才が、その天寿を全うするまえに、《ジュピター》という比類ない音楽によって、天上界の高みをわれわれに垣間見せてくれた──そのように考えたほうが、モーツァルトの厳しいまでの純粋さを理解できるのではないかと思いました。[genki]

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2005/11/22

日本音紀行──音の風景をたずねて

伊藤由貴子[著]/四六判・並製・232頁

最近、コンサートなどに行っても、なんだかぼーっとしてしまって、「いったいいまなにを聴いていたんだろう?」と我に返るようなこともしばしばですが、コンサートなどにかぎらず、何十年も毎日歩いているような路でも、「ここにこんなものがあったのか!」というような風景をいまさらながら発見することもままあり、「聴いているようで聴いてない」「見ているようで見ていない」ということを痛感する今日このごろです。
そうした小生から見て、この本の著者がすごいと思うのは、「発見の天才」であること。著者はコンサート・ホールで、演奏会の企画などをしているひとですが、「音のプロ」であるから、というよりも、おそらく身のまわりのすべてのことにたいして「熱心」だということに尽きるのではないか、と思うのです。
たとえば、「嵯峨野・竹の音」という章の冒頭──「夕暮れ時、野宮神社から常寂光寺への道すがら、材木屋のように竹がずらりと立て掛けてある作業場を見つけた」。小生の実家は京都の嵐山で、ちょうどここに書かれた嵯峨天龍寺から果ては化野念仏寺へいたる道は、なんども歩いたことがあります。野宮神社も常寂光寺もよく知っているのですが、「はて、“作業場”なんてあったかしらん?」と首をひねってしまいます。「見ているようで見ていない」「聴いているようで聴いてない」の典型ですね。
音を文章であらわすのは難しい、とはよくいわれることですが、そして宮澤賢治のように独特の擬音を駆使して、その難しいことをやってのける天才もいるわけですけれども、著者の天才はそういうところにはない。さっきの竹屋の描写でも「カランカラン、コロンコロン」といたってふつうの擬音をもちいています。それよりもやはり、その竹屋を気にとめて、熱心に耳をかたむけ、描写にあたいする価値をそこに発見できるかどうか──そこにこそ、著者の才があると思うのです。
日本全国50カ所を、耳をそばだてて旅した、異色のエッセイ集です。[genki]

◎追記
・津軽三味線と太鼓のマガジン『バチ2 Bachi-Bachi』にて紹介していただきました。[2005/11/28]
・『邦楽ジャーナル』にて紹介していただきました。[2005/12/12]
・「bk1スタッフレビュー」で』にて紹介していただきました。Amazonのリンク使っててすみません![2005/12/14]
・『北日本新聞』2005/12/26朝刊の1面コラム「天地人」にて紹介していただきました(ネットでも読めます)。『朝日新聞』でいえば「天声人語」にあたる部分で、論説とともにその新聞の見識を示す場所。とても光栄です。[2005/12/27]
・『音楽の友』2006年2月号「BOOKS」コーナーにて、山口眞子さんが紹介してくださいました。[2006/01/24]
・『北日本新聞』が、1月23日付朝刊でとりあげてくださったという情報あり。上述の1面コラムに続いて2度め。本でとりあげている地元からの応援は、うれしいものです。豪雪のニュースを聞くたび、心が痛みます。がんばってください![2006/01/31]
・『邦楽ジャーナル』が2月号で、またまたとりあげてくださいました! こんどの評者は太田暁子さん。たしか太棹(浄瑠璃三味線)の研究をしていらっしゃる方ですね。感謝です。[2006/01/31]
・2つ前の『北日本新聞』1月23日付朝刊の情報訂正。9面の「文化」というコラムに、著者・伊藤由貴子さんのエッセイが掲載されていました。[2006/01/31]


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2005/11/20

オーケストラ・ニッポニカ「昭和9年の交響曲シリーズ〈その1〉」(2005/11/20@紀尾井ホール)

伊藤 昇/《マドロスの悲哀への感覚》(1930)
     古きアイヌの歌の断片《シロカニペ ランラン ピシカン》(1930)*
橋本國彦/《笛吹き女》(1928)*
諸井三郎/ソプラノのための2つの歌曲《妹よ》《春と赤ン坊》(1935)*
     《交響曲 第1番》(1934)

 指揮=本名徹次/管弦楽=オーケストラ・ニッポニカ
 ソプラノ=半田美和子*

日本人作曲家の知られざる作品の蘇演を中心に、意欲的な活動を続けるオーケストラ・ニッポニカ。今回の「昭和9年」という切口にも、日本人作曲家がヨーロッパで相次いで交響曲を作曲、初演した「栄光の年」であると同時に、作曲の内容においては世界水準を実現しながら国内の演奏家・聴衆のレヴェルの低さ、そして国際情勢の不穏化のために、穏健で平明な作品を書いていかざるをえなかった「挫折の始まり」でもあった1934年(片山杜秀氏の解説による)、という視座が、説得力をもって提示されていました。
橋本國彦の音楽にすでにして実現されている、職人的筆さばきと前衛的な先進性だけをとっても、その「栄光」が実感されます。ドイツの作曲家たちの向こうをはって、主題労作的な本格的交響曲をものした諸井三郎もしかり。そして、その後彼らがどのような思いで「退行」していったかということも、また。
現代日本の音楽について何かを考えるとき、たんなる進歩史観でなく、ひとつひとつの作品に虚心坦懐に耳をかたむけることによってしか得られない認識を積み重ねてゆくことを、けっして厭うてはならないのだと、教えてくれるような演奏会でした。[genki]

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2005/11/18

《四人組とその仲間たち》Solo e duoの夕べ(2005/11/18@津田ホール)

新実徳英/2台のヴァイオリンのための《舞踊組曲─I Love Lucy─》
 大谷康子・白井圭(vln)
寺嶋陸也/《無伴奏チェロ・ソナタ》
 河野文昭(vlc)
金子仁美/《実在の空間》2人のフルート奏者のための
 小泉浩・西沢幸彦(fl)
西村 朗/《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番》
     《無伴奏ヴィオラ・ソナタ第1番》
 佐藤俊介(vln/vla)
池辺晋一郎/《スネアは唸り、そして飛翔する》
 吉原すみれ(SD)

「全音現代音楽シリーズ」と銘うたれたシリーズの第12回。小生にとってははじめてで、プログラムに記載された5人(金子仁美・寺嶋陸也・西村朗・新実徳英・池辺晋一郎)のうち誰が「四人組」で誰が「その仲間」なのか、よくわからないまま会場に入りました。

プログラム冒頭に掲げられたエルンスト・ロートの言葉が、この演奏会シリーズの意味を端的にものがたっていると思いましたので、以下に引用します。「音楽出版社は芸術と実生活の、そして芸術家と公衆の仲介者として、音楽界のあらゆる現象につき、また芸術の精神的・物質的あり方について熟考しなければならない。その精神と金銭とを相応関係におくこと、それこそがこの道の使命であり、天職でさえある」──もって肝に銘ずべき至言であります。全音楽譜出版社の現代音楽にかける思いの“ブレのなさ”は同業の一員として、まぶしささえ感じられるものです。

演奏された6つの作品(西村さんのみ2作品で1ステージ)のなかでは、やはり西村作品の強烈さが他を圧する印象を残しました。一昨日も別の西村作品を聴いたばかりですが、名実ともにいまや日本の作曲界の中心、と言い切ってしまってよい存在であることが実感されます。
聴いていると知らぬ間に脳みそを乗っ取られてしまうような「禍々しい呪力」が西村さんの音楽にはあります。脳細胞の扉をすべて閉じても、容赦なく忍び込んでくる病原菌のような怖ろしさ──。ずいぶん失礼な喩えですが、そのようにしか表現できない“力”がたしかにあり、それに対抗できるだけの力をもった作曲家は、現在のところ日本には存在しないのではないか、とさえ思えます。この魔力に対抗しうる“清らかな音楽”(笑)が生まれてほしい、と思ってしまうほど。若手ヴァイオリニストの佐藤俊介さんの演奏も、鬼気せまるものでした。
それ以外では、新実さんの、恐らくはパーソナルなヴァイオリンとの触れ合いから生まれた小品が愛らしく、共感をもちました。

ちなみに「その仲間」は寺嶋さんでした。[genki]

◎追記
・新実徳英さんの著書をご紹介しておきましょう。カバーの(題字に隠れてしまっていますが)装画は横尾龍彦先生、題字は今道友信先生、デザインは久保和正さん。おすすめです。[2006/02/07]

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2005/11/16

いずみシンフォニエッタ大阪(2005/11/16@紀尾井ホール)

「メンバー全員が関西出身で、現代音楽を中心に演奏する室内アンサンブル」というキャッチフレーズで初の東京公演をはたした「いずみシンフォニエッタ大阪」。
現代音楽っつったって、基本的に楽譜に書かれている音符を演奏するわけですから、東京とか大阪の違いがそんなに「音」に表れるもんかいな、と思ってましたが、どっこい、最初の音合わせからして“濃い”のです。なんというか、弦楽器も管楽器も打楽器も、独特の粘りつくような音色があり、スマートな音をお好みの向きには、長い時間聴いているとお疲れになるかもしれませんが、「音楽する歓び」をこれでもかっ!ていうほど表現してくれる、いまどき珍しい団体だと思いました。
音楽監督の西村朗さん曰く「吉本新喜劇みたいな」カーゲルの《フィナーレ》(演奏の途中で指揮者が急死する、という寸劇趣向)やイベール《室内管弦楽のためのディヴェルティメント》でも、「浄瑠璃の心中物みたいな」西村朗《室内交響曲第1番》でも、メンバーの「なりきり度」がすごい! 西村作品では、曲の「くどさ」もそうとうなもんですが、演奏者が全員、義太夫の太夫みたいに眉間にシワ寄せて、楽器を奏でて──というより「唸って」いる。「こら、かなんわ」と関西弁で脱帽するしかないのでした(いちおう、京都出身です、ワタクシ)。
「現代音楽のメッカはいまや大阪だ」というウワサももっともと納得させられた一夜でした。[genki]

◎追記
・いずみホールのWebサイトに今回の東京公演についての西村朗さんのインタビューが掲載されています。  →会員誌『Jupiter』のコーナー(そのうちに更新されてしまうでしょうから、お早めに)
 「いずみシンフォニエッタ大阪の特徴は?」と問われて「練習で大阪弁が標準に通じる」と答える西村氏もさることながら、それにたいして「ある意味、ウィーン・フィルみたいなものでしょうか?」と返すインタビュアーもすごい![2005/11/18] ・西村朗氏と当blogのレギュラー・ライターでもある沼野雄司氏の共著『光の雅歌──西村朗の音楽』(2005、春秋社)をご紹介しておきます。[2006/02/07]

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リゲティ、ベリオ、ブーレーズ:書評(『音楽の友』12月号)

小沼純一さんが沼野雄司著『リゲティ、ベリオ、ブーレーズ──前衛の終焉と現代音楽のゆくえ』の書評を書いてくださいました。ひじょうに共感をもって書いてくださり、ありがたいかぎりです。
しかし──です。なんともタイミングが悪いことに、「本がない」のです。弊社にとってはいつものことなんですが、初版部数が少なすぎました……。もともと「博士論文の出版」という性格上、ひじょうに少ない部数を設定しており、その後、編集を進めるにしたがって、「これは売れるんでないかい?」という色気が出てきたのですが、併行して、掲載する膨大な楽譜の使用許諾申請を「初期設定」の部数のままおこなっていたため、部数を増やすことができなくなり……というわけで、しかたないんですが、もったいないなあ、というのが正直なところ。
重版するにあたっては、やはり著作権使用料がかなりの重荷になっており、第2刷でいっきに定価を上げるなりすればそれもクリアできるんでしょうが、どうするかなあ……。
いちおう下記にAmazonのリンクを貼っておきます。さすがにまだプレミアはついてないようです(笑)。ここをみなさんががんがんクリックしてくだされば、めでたく重版!となりますかどうか。[genki]

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2005/11/15

詩篇の音楽:重版決定!

ちょうど1年前に刊行した寺本まり子著『詩篇の音楽』。5月ごろから『品切れ』の状態が続いており、重版を決めるための会議にも毎回候補としてあがっていたのですが、「売れるかどうかわかんない」ってことで、渋チンの弊社らしく「保留」が続いておりました。──が、本日の重版会議にて、ようやく「重版決定」!
いままで、あちこち探しても手にはいんない〜、とお嘆きのみなさま、まことに申し訳ありませんでした。『音楽学』誌上で金澤正剛先生が書評してくださり、「一読を勧めたい」と書いてくださったのに、「一読」はおろか「一瞥」すらできなかったんですもんね。年末にはなんとか入手できるのではないかと思います。
ちなみに、いまAmazonを見てみたら、定価3,990円のところ、なんと「ユーズド価格¥10,000」! げげっ。[genki]

『礼拝と音楽』2005年2月号掲載の秋岡陽先生による書評

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テリー・ライリー+デイヴィッド・タネンバウム(2005/11/15@自由学園明日館講堂)

テリー・ライリーについては、「ニュー・エイジ・ミュージックの教祖」というくらいの予備知識しかなかったのですが、聴いてみてびっくり! サンタクロースみたいな白髭のおじいさんがニコニコ笑いながら出てきてピアノの前に座るやいなや、パワー全開のものすごいピアノを弾きはじめるんですから。パワフルおじいさんの音楽を聴いてノックアウトされたのは、ミシェル・ルグランの弾き語りを聴いて以来。
ミニマルふうのリフでごりごり押し通すところはまるでミシェル・ペトルチアーニのよう。全編いかにもアメリカ人的なオプティミスティックな音楽が聴けました。
共演のデイヴィッド・タネンバウムもほどよく泥臭い味のあるギターで、息のあったところをみせていました。
ただ、ドブロ・ギターみたいなので、純正調なのかなあ、耳慣れないチューニングで演奏した数曲は、小生にはよくわかんなかった……。[genki]

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サリエーリ:第27回マルコ・ポーロ賞を受賞

ニュースというには少し遅いですが……。
水谷彰良著『サリエーリ──モーツァルトに消された宮廷楽長』が、去る10/28「第27回マルコ・ポーロ賞」を受賞しました。同賞はイタリア文化会館が主催するもので、イタリア文化の日本における普及と理解促進を目的とし、日本で出版された日本人による日本語で書かれた著作が対象となります。
授賞式にも参加しましたが、翌10/29新装落成というイタリア文化会館は、「ここって九段下だったよな……」と不安になるほどイタリア人密度が高く、イタリア語が公用語と化している異空間でした。授賞式のレポートは『音楽の友』1月号に書く予定。
ちなみに第25回の同賞は、敬愛する哲学者・今道友信先生が『ダンテ『神曲』講義』(みすず書房)で受賞されましたし、また審査員のひとりの大谷啓治先生は小生の恩師(大学入試の面接官!)であり、会社の近所にお住まいなので、数年に一度はばったりお会いすることもあって、なにかと縁を感じる賞であります。
この賞と、来年からのモーツァルト・イヤーの勢いで、即重版!となってくれればよいのですが、相変わらずの緊縮財政をつづけている弊社のことですから、どうなることか……。この記事をお読みになって、「よし買おう」と決断された方は、下記の「Amazon.co.jp」のリンクが近道ですぞ。[genki]

◎関連記事
・毎日新聞 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20051101dde014040021000c.html
・産経新聞 http://www.sankei.co.jp/news/051030/boo018.htm

 

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2005/11/14

音楽サロン──秘められた女性文化史

ヴェロニカ・ベーチ[著]/早崎えりな+西谷頼子[訳]/四六判・上製・368頁

西洋音楽史において、「サロン」がはたした役割についてまとめた画期的な書。これまでも、ジョルジュ・サンド(ショパンの恋人)、マリー・ダグー(リストの恋人、コジマ・ヴァーグナーの母)、ファニー・メンデルスゾーン(フェーリクス・メンデルスゾーンの姉)などについては、それぞれの作曲家の伝記的記述のなかでも言及されてきましたが、彼女たちが「サロニエール」(「サロンの女主人」という意味のフランス語)として、音楽史の流れそのものに与えた影響については、定まった視座が与えられてきませんでした。彼女たちを、「音楽の才能をもちながら、男性上位の社会のなかで、音楽家として身を立てることをあきらめ、サロン運営という“裏方”にまわった女性たち」として描く本書の視点は、(異論をもたれる方もあろうかとは思いますが)かなり新鮮です。なによりもルネサンス時代から現代までの音楽史を「音楽サロン」という定点から逆照射した「もうひとつの音楽史」として、本書は多くの方々に読まれるべき価値があると思います。
編集者として個人的に面白かったのは、20世紀の音楽家多数を育てたパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)の教育者、ナディア・ブーランジェを「最後のサロニエール」として描いている点です。以前、編集を担当した『ある「完全な音楽家」の肖像──マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの』(船山信子[編])で描かれたアンリエット・ピュイグ=ロジェの姿と重なるものも感じました。
初版部数が少ないため、ご購入をお考えの方はお早めにどうぞ。[genki]

◎追記
・いずみホール音楽情報誌『Jupiter』2006年2/3月号にて紹介していただきました。[2006/01/23]
・「classic NEWS」(12/26の項)にて、岩崎和夫さんがとりあげてくださいました。[2006/01/25]
・『音楽現代』2006年4月号にて、宮沢昭男さんが書評してくださいました。[2006/03/14]

 

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2005/11/11

ザ・パールズ・ビフォー・スワイン・エクスペリエンス(2005/11/11@スウェーデン大使館)

「北欧スウェーデンから“豚に真珠”」のキャッチフレーズに惹かれて、未体験の「北欧現代音楽」を聴きに行ってきました。
会場はスウェーデン大使館内オーディトリアム。大使館に入り、会場に至る前になんだかよくわからないアートっぽいものが展示され(というか無造作に置いてあり)、ウォッカ入りのジュースなどもふるまわれ、なんとも気持ちのよい空間がすでにしてできあがっておりました。
音楽もまたスウェーデンの空のように(って知らないけど)澄み切ったサウンド。ヴァイオリン、フルート、チェロ、ピアノの4人のアンサンブルも小気味よく、そしてなんといっても素晴らしいのは、「1曲5分以内」という彼らのポリシー。短い時間にさまざまな傾向の音楽を聴くことができるし、聴き手の集中力もとぎれない。気にいらない曲があっても、次の曲に期待できる(!)。
もうひとつ特筆すべきは、このコンサートの居心地のよさ。曲間がたくさんあるから、そのあいだに人が出たり入ったりするのだけれど、それがぜんぜん気にならない。曲中も「息を殺して」という雰囲気はまったくなし。むしろ絶妙なアンサンブルを堪能したいから、みんな耳を澄ませる。まことに気持ちのよい演奏会でした。
作品のなかでは、(どれもよかったけど1曲あげるなら)鶴見幸代さんの《社交ダンスのススメ 第1番》。シニカルでユーモラスで卑俗な魅力をもったダンス・ミュージックでした。……ていうか、あなたマザー・アースの売り子さんじゃなかったんですか?[genki]

◎追記
・……などと書いていたら、『TICKET CLASSIC』2005年12月号「作曲家名鑑ファイル」コーナーの「#001」(第1回ということ?)は鶴見幸代さんでありました。たいへんご活躍のようで……。失礼しました。
 鶴見幸代さんのホームページはコチラ

[2005/11/18]

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更新情報20051111:ongei :: blogをよろしく。

まずはひっそりと、しかし夢は大きく──。
これからこの「ongei :: blog」を通して、音楽書籍・楽譜・演奏会などについての情報や批評をお届けします。
編集人はわたくし木村元と申します(この場では「genki」と名乗ることにいたします)。プライヴェイトな場ではありますが、勤務する音楽専門出版社「音楽之友社」の出版物の情報が、話題のひとつの中心となるでしょう。そのほか、友人たちにも協力してもらい、演奏会などの情報や批評を、できるかぎりホットなうちにお届けしたいと思っています。
また、このページのタイトルには、かつてわが音楽之友社で刊行されていた月刊誌『音楽芸術』(略称「音芸」)の精神を引き継ぎ発展させて、「同時代の音楽」を多くの方々と考えるフォーラムに育てたい、という編集人のおもいがこめられています。
とはいっても、まだまだ小さな「場」にすぎません。目標は大きく、でも焦らず、少しずつ中身を詰めて、なによりも楽しくやっていきたいと思っています。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。[genki]

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