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2006/01/07

onblo talk series 01「現代音楽はおもしろい!」その2

 どうも、久しぶりの沼野です。

 あまりに原稿を書かない私に業を煮やし、ついに木村さんが対話の舞台を設定してくれました(拙著を引用してくださる気遣いに涙・・・)。いつもお世話になりっぱなしという気がしますが、「音芸」復活へ向けて、こちらもさっそくリングにのりたいと思います。

 さて、現代音楽はむずかしいか、という問いですが、私にとって、この答はきわめてはっきりしています。

 答:大部分の現代音楽はむずかしくない。むしろ、どうにもやさしすぎる。

 この「やさしすぎる」という語は、情報量が少なすぎる、ナイーヴすぎる、と言い換えても構いません。そもそも私は、現代音楽の多くがなぜつまらないのか、なぜ無力なのか、といえば、あまりにそれが「やさしすぎる」からだと考えます。

 一般には、現代音楽が聴衆を無視して難しくなりすぎたために、現代音楽は力を失ってしまった、というストーリーが語られがちです。しかし、おそらくこれは逆で、やさしすぎるから、誰も相手にしてくれないのではないでしょうか。もちろんこうした事態は単に作曲家の責任に帰することではなく、創作をめぐる大きな状況の中で生じたことだと思うのですが、ともかく現代音楽というジャンルをもうちょっと盛り上げるためには、まずは「ほとんどの現代音楽はやさしすぎる」という認識から出発しておきたいんです。

 一般に「現代音楽がむずかしい」という時、この「むずかしさ」は、たいていは単に「音の不快さ」に起因するものです。妙な間を挟んで変な音程や和音が連続する作品を耳にした時に、→どうしてこんなに不快な音を書くのだろう→さっぱり意味分からん→「むずかしい」、となる。実はこの場合「むずかしい」は「つまんない」の同義語にすぎないし、面倒だから思考停止するけんね、というサインでしかない。

 でも、なぜこれまで「つまんない」ではなく「むずかしい」という表現の方に針が振れていたかといえば、それは漠然とした作曲家への、そして芸術活動への信頼があったからです。下世話なたとえを使えば、東大生がいくら単純な計算を間違えても「でも本当は頭いいんだろうなあ」と考えてくれる、優しい庶民の感覚に近いでしょうか。作曲家にとって、これはとてもありがたいことだったと思います。

 問題は、拙著でも述べたように、68年以降の状況の中では、この優しい庶民感覚が徐々に薄れ、今や消えかかっていることです。この時、聴き手が勝手に付与してくれた「むずかしさ」は、するすると剥げ落ちて、作品自体が本質的に持っている「むずかしさ」の質が問われはじめる。しかし、言うまでも無く、ほとんどの現代作品はこうした次元でのむずかしさなど持っていないのです。

 私が現代音楽に求めているのは、本質的に楽曲がなにがしかの問題を孕んだゆえの「むずかしさ」です。でも、なかなかこれを見出すことは「むずかしい」んですね。

 ・・・とだいぶ長くなったので、まずはここら辺で![沼野雄司]

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コメント

音楽は芸術です。芸術に求められるものはたった一つ「美」です。したがって現代音楽の意味を問う質問はたった一つ、「美しいか美しくないか」です。では美しいとはどういうことか、それは人の心に響くかどうかで、なにが人の心に響くかというのが簡単に定義できないからそこに芸術の奥行きの深さが求められます。そう、俗に美しいものが即芸術的な美ではない。

では、現代音楽はどうなのか。もし「この音楽は「知的な階級制」を担保するものであるから、庶民のレヴェルで理解できるようなものであってはならない。」という観点で想像されたものが現代音楽であるのであれば、私の最初の質問「美しいのか」には答えていません。単純に美しくないのです。美しくなければ芸術ではない。従って人々が離れていくのはまったくの道理であって、私は現代音楽から離れていく人たちを「庶民」と蔑む考えは徹底的に蔑みます。

音楽とは奥の深いもので、机上で生み出されるような平面的なものではありません。美とは何か。その答えを多くの芸術家が求め続けているのに、元代音楽家はその基本と謙虚さを忘れてしまったのだと思います。

現代音楽すべてが「おもしろくない」とは言いません。武満徹もHenryk Goreckiも涙がでるほど美しいと思います。でも、東大生の計算間違いはたくさん存在しています。

「ジャズを現代音楽みたいに博物館に飾るための音楽にしたくない」とはMiles Davisの言葉です。「真の芸術は玄人にも素人にも認められなければならない」とは確か世阿弥の言葉です。

要は現代音楽の作曲家たちは「音楽、もっというと芸術そのものに対する謙虚さが足りん」と思います。

投稿: | 2006/01/07 16:06

私が音楽愛好家の方々と接して時々考えることは、音楽愛好家というのは、一般に、音楽に対する期待を持っているのではないかということです。積極的であれ、消極的であれ。例えばここにもある通り「美しい」旋律、「美しい」和声などといったものです。現代音楽を愛好する人たちも何かしらの期待を持っているはずです。しかしそれは「玄人にしか分からない音楽」だとか「ゲージュツ」であるといったものとは違うように感じております。

もう少しニュートラルな言葉で考えてみれば(といっても全然公平ではありませんが)、例えば不協和音といったものに関して、現代音楽が割と好きな私はそれほど抵抗を持っていません。そして特定の作品のなかでそういった音が表現として成功しているか成功していないかを、ごく個人的に評価し、現代音楽作品の「善し悪し」として考えているように思います。つまりそこでは最初に求める前提、つまり何を持って「美しい」とするかが違うように思えるのです。というか、20世紀音楽のメインストリームを行った作曲家の多くが、おそらくこの「美」が指す具体的なものとは何かということを問いかけていたと言ってもよいかもしれません。

最も作曲家の中にエリート意識があったことは否定できない事実ではありますが、それはクラシック音楽を「芸術」とした時点で発生したものでありましょうから、特に20世紀音楽が特別な訳ではありませんでしょうし、そもそも教会文化や貴族文化にエリート性を感ずるのであれば、そういった意識はクラシックというジャンルがもともと伝承してしまった社会的なお荷物みたいなものだったのかもしれません。

いずれにせよ、私はいわゆる「現代音楽」を聴くのに社会階層の意識が必要だとは思いませんし、ポピュラー音楽のリスナーから言わせれば、クラシック全体が権威主義の総本山のように見られる可能性も大いにあると考えます。

投稿: たにぐち | 2006/01/08 21:01

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