きたやまおさむ「ザ・還暦」コンサート(2006/02/12@大阪フェスティバルホール)
新幹線に乗って演奏会を聴きにいくことなど、ほとんどないんですが、このひとの場合は別。「きたやまおさむ『ザ・還暦』コンサート」を聴きに(観に)、大阪フェスティバルホールへ行ってきました。
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第1部はきたやま先生の手兵「ヒューマン・ズー」のステージ。おなじみの杉田二郎さんがゲストで出演、この日のためにきたやま/杉田コンビで作った新曲《前を向いて倒れたい》(ようするに、身体のあちこちが痛くなったり、どんどん歳をとっていくけれども、最後は前を向いて倒れたい、という曲)などもあり、また岡崎倫典さんのアコースティック・ギターも端麗で、「よいなあ……」とため息。もちろん、《戦争を知らない子供たち》《風》などの名曲も。坂庭省吾さんがステージにおられないのは寂しいですが、バンドとしての気合いが伝わってきて、これからも末永く続いてほしいなあ、と思いました。
第2部は、盟友・加藤和彦作曲のフル・オケの作品、交響講義《「帰って来たヨッパライ」の主題による交響楽的深層心理学試論──「わたしは二度死ぬ」ハ長調・作品13》オケは斎藤一郎指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団。朗読=きたやまおさむ、歌唱=坂崎幸之助、という豪華(?)メンバーによる演奏でした。酔っ払い運転で事故って死んだにもかかわらず、「天国よいとこ一度はおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」と酒を呑みつづける〈ヨッパライ〉と、「なあおまえ、天国ちゅうとこはそないに甘いとこやおまへんのや」「まじめにやれー」「ほたら、出ていけー」と叫ぶ〈神様〉、そして〈ねえちゃん〉の関係が、そのままエディプスの三角関係にあてはまる、という刮目すべき洞察が語られ、音楽のほうは例の「ミレ#ミレ#ミレ#ミレ#ミドー」という「ヨッパライのテーマ」が狂ったように繰り返され変奏されます。ベートーヴェンやらマーラーやらのパロディも随所にちりばめられ、さすがは才人・加藤和彦とうなってしまう完成度。
でも、オケもいいけれど、この日の聴衆がもっとも求めていたのは、「フォーク・クルセダーズ再々結成」でしょう。オケの演奏が終わったあと、ステージに呼ばれた加藤さんが「ここからは“おまけ”ですから」といいながらギターを持ち、坂崎さんといっしょにスリー・フィンガーで始めたのは《白い花は恋人の色》。オケをバックになんともぜいたくなサウンドです。そして、《イムジン河》《あの素晴らしい愛をもう一度》……と涙でステージが見えなくなりそうな(いや、大げさではなく!)名曲のオンパレードでした。
ここからは、ちょっとまじめに──。
「どんなコンサートだった?と聞かれて、説明のできないようなコンサートがしたい」というきたやま先生の言葉には、心から共感します。先生がよくいわれるフレーズですが、まさに「聖なる一回性」──その場にいたひとでないとわからないなにか──それを生涯追いもとめているのが「きたやまおさむ/キタヤマオサム/北山修」という人物なのだと思うのです。
端から見てると、フォーク・クルセダーズで芸能界の頂点に立ち、《戦争を知らない子供たち》でレコード大賞作詞賞を受け、その後精神科医・国立大学の教授として社会的地位を得……と、この社会の枠組みのなかで、すべてにおいて「成功」を重ねてきたようにみえるのですが、それとは裏腹に、「社会のしくみにからめとられることを全力で拒否しつづけてきた人生」だったのではないか、と思います。上記の「芸能界の頂点」「レコード大賞」「大学教授」といったことばを連ねれば連ねるほど、その本質から遠ざかっていくような存在──それが「きたやまおさむ/キタヤマオサム/北山修」という存在なのです。
会場では、昨年10月から今年1月にかけて刊行された対談集『ふりかえったら風』(全3巻、みすず書房)も販売されていました。「サイン入り」がほしい一心で(このミーハーが!)、この日まで買うのをがまんしておりましたので、さっそく3冊セット6,000円也を購入。第1巻を開いて、びっくり! なんと、以前きたやま先生とはじめて仕事させていただいたときの、消化器専門医・松生恒夫さんとの対談が冒頭に収録されていたのです。『ポップ・ヒーリング・ミュージック』という本の巻末に載っていた対談なのですが、今回の転載にさいして、「再読して」というコメントがつけられており、「……この医師に出会えたことは、私の文化活動の一つの転換点であった」とまで書いてくださっていて、編集担当者としては、まさに「冥利につきる」たいへんありがたい出来事でした。
そうそう、コンサート第2部の「ヨッパライ=エディプス」説も、この対談集の第3巻所収の論文でくわしく解説されています。[genki]
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