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2006/02/28

石井誠士先生との思い出

哲学者の石井誠士先生がお亡くなりになりました。1940年11月生まれだから、まだ65歳。兵庫県立大学教授。哲学、生命論、そして音楽論まで、はばひろい研究分野のすべてにおいて、根本的な深い思索をされた方です。
ぼくにとっては、とりわけ『モーツァルト 愛と創造』『シューベルト 痛みと愛』(いずれも春秋社)の著者として、たいせつな方でした。

石井先生との出会いは、ぼくにとって、ひじょうに劇的なインパクトをもった事件でした。
1995年のことです。当時、阪神淡路大震災やオウム真理教の事件などがあり、日本全体がなにか支柱をうしなって揺らぎはじめたような空気につつまれていましたが、ぼくもまた内的な転機にさしかかっていて、なにかよりどころを見つけたいと本を読みあさっていました。
人文書院にいた旧知の編集者にお願いして、『グノーシスの宗教』という大部な本を購入し、三分の一ていどまで読みすすんだときだったでしょうか。そこに、人文書院の「新刊案内」がはさまれていました。ふだんなら、あまり気にもとめずに、そのまま本を読みすすめるところですが、なぜかそのときは、その案内を読まなければならないような気がして、でも、読書を進めようという気持ちも強く、なんとなく逡巡をつづけていたのをおぼえています。
けっきょくは、読書にも集中できず、その案内の紙を読みはじめたぼくは、すぐに1冊の本の案内に惹きつけられました。──『癒しの原理』石井誠士著。
表面的には、「よさそうな内容の本だな」というていどの感想しかなく、すぐにまた『グノーシスの宗教』に戻ったのですが、どうも集中できません。むなしい努力をつづけたあげく、思いきって読書をやめ、すぐに電車に乗りました。向かうは新宿駅。紀伊國屋書店で、『癒しの原理』を購入したぼくは、帰りの電車のなかでページをひらき、そして、「出会えた……」と思いました。探していたのはこれだった、となにか確信に近いものがありました。

石井先生のお名前は、じつはそのちょっと前に、父の蔵書のなかに『モーツァルト 愛と創造』を見つけたときから、気になっていました。「著者謹呈」の短冊がはさんでありましたから、父の知り合いなのだなと思っていました。
『癒しの原理』を読みはじめたぼくは、ほんとうに息を詰めるようにして、1ページ1ページを味わい、さきほどの“確信”をどんどん強くしていきました。半分くらいまで読み進めたとき、もう矢も盾もたまらなくなって、『グノーシス』を手配してくれた編集者に電話をし、石井先生の電話番号を聞きだしました(当時は、いまのように個人情報保護がうるさくいわれませんでしたから)。
電話をすると、奥様がでられて、「今日は、知り合いの家に夕食に呼ばれていて、遅くなると申しておりましたが……」とおっしゃいます。そのとき、ぼくは──いま考えても、どうしてそう思ったのか、わからないのですが──「知り合いの家」というのは、父の家のことだ、と思ったのです。まったく根拠はありませんでしたが、これもまた確信に近いものでした。
そして、実家に電話すると、母がでて、「いま、何人かお客さんがきていて、忙しいから、あとで……」と切ろうとしました。いきなり「石井先生が来ていない?」と聞くのも唐突なので、「石井誠士先生の電話番号を知りたいのだけれど」と聞くと、あきらかに母は絶句している様子。「どうしたの?」と聞くと、「いま、石井先生が来てるのよ」というではありませんか!
石井先生とは、その翌日、お電話でお話しすることができました。先生には、じつはこの顛末は、あまり詳しくは話していません。いや、話したかもしれないけれど、なんだか「当然のこと」のように受けとられ、こちらもそんなにたいしたことではなかったのかな、とやりすごしてしまったようにも思います。

先生とはモーツァルトについて、シューベルトについて、そして現代音楽について、じつにさまざまなことを語り合うことができました。けっきょく、編集者としては1冊も本のかたちにすることはできませんでしたが、仕事を超えて、大きな財産を遺してくださいました。
ぼくにとって、音楽というものが、人間哲学や倫理学にまで高められたものとして、たいせつな道しるべになったのは、先生の導きがあったからこそです。モーツァルトやシューベルトを、真摯に愛や死を考究した人物として、とらえなおすことができたのも、やはり先生の思想のおかげでした。

春秋社 - 春秋2005/06先生の文章に最後に接したのは、春秋社のPR誌『春秋』2005年6月号に、先生が「二つの『レクイエム』演奏」と題して、モーツァルトのレクイエムのことをお書きになったのを送っていただいたときのことでした。いま、手許にその冊子がないために、記憶をたよりに内容を紹介してみます。

阪神淡路大震災から10年を記念しておこなわれたアシュケナージ指揮NHK交響楽団のモーツァルト《レクイエム》の演奏をテレビで聴き、被災者のことなどが思われて、涙が出た。そうした感情をひきだすような演奏だった。
しかし、得心のいかないところがあって、以前録画していたドレスデン・シュターツカペレの同じ曲のビデオをとりだし、聴いてみた。まったく対照的に、感情移入する余地のないような厳しい演奏であったが、感動という点では、こちらのほうが根本的なものだと感じた──。

こんな内容だったかと思います。それにたいして、ぼくはこんなメールを、先生に送りました。

石井先生

残暑お見舞い申し上げます。

『春秋』を送ってくださいまして、ありがとうございます。興味深く拝読いたしました。

日本人とヨーロッパ人の違いについては、最近わたしも体験することがありました。ある現代音楽関係のシンポジウムで、アンサンブル・モデルンというフランクフルトの演奏団体のメンバーが、「自分たちの現代音楽教育プログラムに、ドイツ政府から年間3000万円の助成をうけている」と発言したために、「どうして日本では現代音楽にお金が出ないのか」という話題になってしまったのですが、そのときに感じたのは、ドイツ人が自己と自国の文化とを「地続き」と感じる、その無邪気なまでの楽観性です。日本人にとっては、すべてが借り物ですから、現代音楽であっても古典音楽であっても、そもそも「西洋音楽をなぜやらなければならないか」というところから、すべてを積み上げなければならないわけで、その懐疑は、ドイツ人よりもむしろ根本的に感じました。パネリストのひとりであった近藤譲先生も、ドイツ人が自明のこととして述べる意見を、ひとつひとつ相対化していくことに終始しておられて、シンポジウムとしてはすれ違いの多い、実りの少ないものではありましたが、なにか日本人の誠実さをわたしは感じました。

石井先生がドレスデン・シュターツカペレの《レクイエム》に感じられたものも、ヨーロッパ人がモーツァルトや音楽そのものと、みずからの精神や身体とを地続きと感じるときの、疑いのなさからくるものではないかと、拝読していて思いました。音楽という構造に自己を完全にゆだねることができるから、よけいな感情は必要なくなるのではないでしょうか? 対して日本人は、つねに音楽と自己との矛盾を感じながら、どこに必然性をもとめるかということをつねに考えなければなりませんから、感情にそれをもとめることになるのは、自然ななりゆきではないかと思います。

石井先生のご意見に反対して、日本人をもちあげているわけではなく、日本人はその矛盾を矛盾としてうけとめて、真摯にみずからを問い直すことをしないから、音楽の体験が深まることがないのだ、西洋音楽がいつまでたっても文化として根づかないのだ、と考えたために、あえてこんなことを申しました。明治以来ここまで来たら、もう西洋文化のなかで個を体験するしかしかたがないのに、まだその覚悟がないのです。

また東京に来られることがありましたら、ぜひお声をおかけください。

残暑厳しき折、どうぞご自愛専一に。

いま読みかえしてみると、ぼくの文章には、所詮「借り物」であるはずの西洋音楽を、みずからの文化として無反省に消費する日本人と、「われわれの音楽は素晴らしいもの」と無邪気に主張する西洋人への、怒りに近いような感情があふれていて、その矛先が、西洋人のモーツァルト演奏を「より根本的」と論じておられる石井先生にも向かいかけているようです。もちろん、メールの最後で言い訳めいて書いているように、石井先生を論難しているわけではなくて、むしろ、こうした弱輩者の無責任な主張を、いつも笑って受けとめてくださる先生への、甘えがでてしまっているというべきでしょう。

先生から、そのあとに来たメールが、どうしても見つかりません。あるいはお電話をいただいたのだったかもしれません。先生がいわれたことは、「やはり、あなたにお送りして、よかった」というひとことだけでした。そして、これが、先生と交わした、最後の会話になってしまいました。

思い出があふれて、ついつい長くなってしまいました。
先生のご冥福を、心からお祈り申し上げます。[genki]

  

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コメント

はじめまして

私は20年前、京大医療短大時代に石井先生にご教授いただいたことがあり、年賀状のやりとりだけでありましたが、ずっと繋がっている感覚を持っておりました。
学生時代にある出来事を経験し、悩んでいた時に石井先生のお手紙に希望を見いだしたことがありました。ほんとうにやさしい方でした。
本日、奥様より2月にお亡くなりになった手紙をいただき、ネットを検索したら、このブログにたどりつきました。

見ず知らずの者ですが、書き込みさせていただきました。

投稿: kimu | 2006/05/01 23:17

kimuさん、コメントをありがとうございます。

石井先生は多くの方のなかに、大きな記憶を残されているのですね。大学のご定年を目前にしてのご逝去、「定年後は年に2、3冊は本を書きたい」とおっしゃっていたそうです。これから生まれるはずだった、ぼくたちが読むことができるはずだった石井先生の本のことを思うと、残念でなりません。あらためて先生の存在の大きさにうたれます。

残された者にできることは、先生が自分のうちに遺してくださった記憶を、ていねいに育て、またあとの者に伝えていくことだけかもしれません。いつもやさしかった先生は、「あなたにあったやり方でいいんですよ」と微笑んでくださりそうです。

投稿: genki | 2006/05/02 10:51

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