白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」001──太田光子+平井み帆(2006/02/26@近江学堂)
◆2006年2月26日(日)14:00 近江楽堂
太田光子(リコーダー)、平井み帆(チェンバロ)
「イタリアバロック音楽の変遷〜ナポリの賑わい、ヴェネツィアの華〜」
◎曲目
(第1部)G.B.フォンターナ:ソナタ第6番、B.マリーニ:ロマネスカ、G.バッサーノ:リチェルカータ第2番、G.B.リッチョ:リコーダーの為のカンツォン、A.ガブリエリ:第9旋法のトッカータ、M.ウッチェリーニ:シンフォニア第1番《アマリッリ》、シンフォニア第2番《バッタリア》
(第2部)B.マルチェッロ:ソナタ第7番、B.ガルッピ:変奏曲ホ長調、F.M.ヴェラチーニ:フォリア
* * *
ニッパチ(2月と8月)といえば商売の世界では仕事枯れの時期を意味するけれど、近年のニッパチならぬ2月と7月は、とびっきり生きのいいこのデュオの定期コンサートが開かれる時期なのだ。早くも6回めになる今回は17〜18世紀のヴェネツィアの音楽特集で(ファンとしてはうれしくも)当日券発売なしのソールド・アウト。ちなみに太田さんは前半ではルネサンス・リコーダー、後半はバロック・リコーダーで聴かせてくれた。
近年のラテン系古楽の素晴らしき興隆で、日本のアーティストの生演奏などで聴いた曲も一部にあるとはいえ、ポピュラーな曲で観客を集めるような演奏会ではもとよりない。といって、音楽史の音のカタログの類のシリーズでもおよそなく、ようするに、イタリア・バロックのテーマに沿いながらお二人が真に演奏したい曲を自由にとりあげて聴かせてくれる企画で、その自由な空気が演奏からもダイレクトに伝わってくる。たとえば、今回のプログラム中のG.B.リッチョのカンツォンはこの時代には珍しく、「リコーダーのための」という楽器指定があって(通常、この時代の曲ではリコーダーは「その他の楽器」扱いとか)、それゆえにリコーダー奏者の太田さんとしては、ぜひともとりあげたかったという。このワガママ?ぶりがじつによいではないか。こうした自由な雰囲気だからこその弾けた演奏がギッシリのステージだった。
個人的には(どんな音楽であれ基本的にはそう思うが)、とくにこのお二人のような日本の最先端の古楽アーティストのライヴでは、アーティスト本人が心から演奏したい曲を気合いを入れて聴かせてもらえればそれがこそがいちばん、言葉を替えれば「ジャズに名曲はなくて名演あるのみ」という真理はこの音楽にも絶対通じるものと信じているのだ。
太田さんの抜けのよいストーンと響く音が大きな弧を描いて空間を飛翔すると、平井さんの俊発力に満ちた力強いチエンバロの音がそれにスリリングに交錯して、しだいに熱く燃えあがってゆく。お二人の演奏はまさに自在な印象だが、普通の意味での「軽やかな」といった形容はふさわしくないだろう。ワインでいえばフル・ボデイのごとくコクがあり、なによりも「ガッツ」に溢れているのだ。実際、たとえば、平井さんが「まるで昼のメロドラマの主題歌みたいに美しい曲」と紹介してソロ演奏したB.ガルッピの曲などは、昼メロというよりも下手をすれば昼寝に誘われかねない曲調だったが、それを平井さんは独特のガッツに溢れた演奏によって終始高いテンションでびしっと聴かせてくれた(平井さんの演奏には、いつでも民謡のコブシに通じるような熱い歌心が感じられてしまう)。バス(低音)が印象的な《ロマネスカ》や流れるような《カンツォン》、穏やかな導入部のラルゴと躍動感いっぱいの後半の舞曲の対比が楽しい《ソナタ第7番》などなど、お二人の熱いデュオ曲はどれも魅力的だけれど、《バッタリア》や《フォリア》のような、とくにアクロバティックなスリル(と一種の諧謔味)に溢れた曲目はまさにぴったりで、やはり最高、完全燃焼の演奏だった。今回はまた、曲目紹介の楽しいオシャベリも多くて、ことのほか気のおけない雰囲気だったが、これはご本人たちの演奏にとってもよいことであるに違いない。
それにしても、このシリーズの回を重ねるごとに、お二人のインタープレイはますます深く、いっそう濃くなってきたようで、ひとことで形容すれば「音楽の旨味をえぐり出すようなデュオ」といえばよいのだろうか。今後もますます楽しみ、またぜひデュオCDのリリースを!と叫んでしまうのだ。[白石和良]
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント