新コーナー!「古楽特派員テラニシ」001──幻の肩掛けチェロ「ダ・スパラ」
バロック時代に存在したとされるものの、今は音楽史の彼方に埋もれたままの肩掛けチェロ「ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ」。この“幻の楽器”の復元・演奏に、ミト・デラルコなどで活躍するヴァイオリニストで弦楽器製作家でもあるディミトリー・バディアロフ氏がとりくんでいる。先月末(2006年2月22日)のバッハ・コレギウム・ジャパンの公演では、このスパラがカンタータ第6番の通奏低音を担当した。はたして、このような楽器は実在したのだろうか。そして、この楽器がもつ可能性とは──。
「ヴィオロンチェロ・ピッコロとは、どんな楽器だったか」──バッハをめぐる大きな謎のひとつだ。1724〜26年に書かれたカンタータや、無伴奏チェロ組曲第6番に登場するものの、足にはさんで弾く小型のチェロなのか、それとも肩の上で弾く大型のヴィオラなのか、何世紀にもわたってさまざまな憶測をよんできた。ここで、ひとつの可能性──肩掛けチェロ「ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ」が浮上する。
「1世紀以上ものあいだ、チェロとは足にはさんで弾かれる大きな楽器をさしてきた。このため、それ以外の奏法も存在したことを証明するのは、じつはたいへん難しい」。バディアロフ氏はまず、この楽器が存在した証拠として、バロック時代の多くの文献・絵画資料をあげた。じつに多くの絵画に、ダ・ガンバ(足ではさむ)様式のチェロとならんで、同じサイズの楽器がダ・スパラ(肩掛け)様式で弾かれる様子が残っていることに驚かされる。
また、ケーテン時代のバッハと親交があり、ドイツ最初の音楽辞典を著したことでも知られるヨハン・ゴットフリート・ヴァルター(1684〜1748)は「ヴィオロンチェロはイタリアの低音楽器で、ヴァイオリンのように一部を左手で支えて演奏された」と1708年に書き残している。バディアロフ氏は「ダ・ガンバ様式で弾かれたことにはなにも触れられていませんが、けっしてこの様式が存在した可能性を排除することにはなりません」と話す。
復元された楽器は、本体の長さが約70センチで現在のヴィオラより大きく、チェロよりは小さい。「バロック当時の絵画資料によると、もっと大きな、たとえば現代のチェロほどの大きさでも、肩の上で演奏された可能性が高い」とバディアロフ氏はいう。基本的に音域はチェロと同じで、駒の溝をずらすことで4弦も5弦も可能。楽器に取り付けられた皮ひもを首にかけ、ぶら提げて演奏する。じつは、オリジナルもまったく現存しないわけではなく、パリやライプツィヒの博物館には、スパラと思われる楽器が所蔵されている。ただ、残された数が極端に少ない理由として、「多くは、子供用のチェロに改造されてしまったのでしょう」と推測する。
バディアロフ氏は、昨年暮れにおこなったレクチャー・コンサートで、バッハの無伴奏チェロ組曲から第1、3番を披露。弦長が短くなるぶん、弦の直径が太くなって押さえにくくなるため、とくに最低弦で音程が不安定になる難点はあるが、全体としては説得力ある演奏だった。なにより、ヴァイオリニストにとっては通奏低音やチェロのレパートリーが手の内にはいる点で、じつに魅力的な楽器といえよう。
すでに、シギスヴァルト・クイケン氏やヴァイオリニストの寺神戸亮氏はバディアロフ氏製作のスパラをラ・プティット・バンドのステージで実際に演奏している。寺神戸氏は「こういう楽器が存在したという考えじたいは、自然なことだ。じじつ、《ブランデンブルク協奏曲》第6番のチェロ・パートは、普通のチェロではとても合わせにくい箇所があるが、これを使うと、不思議なほど楽だった。僕らが考えるより、はるかにポピュラーな楽器だったのでは」と話す。
「ダ・スパラ様式の復興は、ダ・ガンバ様式の可能性を小さくするものではありません」とバディアロフ氏がなんども重ねて強調するのは、チェリストたちがレパートリーを荒らされる脅威を感じて、反発されることを恐れてのことかもしれない。「しかし、スパラでの演奏は120年にわたって忘れ去られていた。その再導入は、歴史的な証拠と音楽そのものによって裏づけられることでしょう」とも語っていた。今後、もっと多くの演奏の機会が与えられることで、その可能性じたいも広がってゆくのは確かだろう。今後も目が離せない。[寺西 肇]
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コメント
寺西さん、投稿をありがとうございます! 今後ともどうぞよろしく。ふざけたコーナータイトル(っていうよりも、リングネーム?)がいやだったら、言ってくださいね。変えますから。
それにしても、ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ、そうとうにギミックな楽器ですね(『トリビアの泉』ネタにもなりそう)。寺神戸さんのブログなどを見ると、今でもかなり使えそうな感じですが、そうすると、どうして廃れたんでしょうね。
楽器が廃れる理由は、「よいレパートリーがない」そして「レパートリーはあっても、ほかの代用楽器で(多くの場合オリジナルよりも効率的・効果的に)演奏できる」ということに、相場は決まっています。シューベルトの作品で有名なアルペジオーネしかり、日本近代音楽屈指の珍楽器「オークラウロ」しかり(後者は専門の養成所さえあったし、作品の公募もしていたのに!)。宮城道雄考案の「十七絃」は、レパートリーが豊富だということで残ったと思われます。
「ダ・スパラ」はなぜ廃れたんでしょうか? もしかすると、「ダ・ガンバ派」の陰謀か……!?
投稿: genki | 2006/03/13 15:58
genkiさま。
これは、あくまで私見ですが…「スパラ」が廃れたのは、時代が移るにつれ、楽器においても奏者においても「分業化」が進んだためではないでしょうか。実は、バディアロフ氏も、ヴァイオリンやヴィオラ、チェロと言う名称が指す楽器の、時代ごとでの微妙な変化から話をはじめていました。そして、そもそもスパラが存在したのは、ヴァイオリンなど「担ぐ楽器」の奏者が、コンティヌオ奏者を旋律奏者と兼任するために、必要な楽器だったからではないでしょうか。そもそも、この大きさの楽器を担ぎ続けるには、相当の根性が必要です(笑)。また、本文にも書いたとおり、弦長の関係で演奏には少し困難が伴います。つまり、無理矢理に存在させていた楽器ともとれなくもない。弦楽におけるコンティヌオがチェロやヴィオローネの役割に固定され、かたやチェロにあっては独奏楽器としての演奏機会も増えるにつれて、次第にスパラの登場機会も減っていったのではないでしょうか。
投稿: 寺西肇 | 2006/03/15 17:53
>寺西さま
なるほど。その説は説得力がありますね。
でも、現代はなにごとも「モバイル」、そして「1機種多機能」の時代ですから、「ダ・スパラ」の復権も近いかも(笑)。ダンス教師がポケットに入れて持ち歩いたという「ポシェット・ヴァイオリン」を見たとき以上のインパクトがありましたからね。
バディアロフさんやシギスさん、寺神戸さんにはがんばって担いでもらいたいです。
投稿: genki | 2006/03/15 18:12
ヴィオラ・ダ・スパッラのブログを開設いたしました
投稿: okusan | 2008/06/21 16:11