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2006/03/27

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」004──水永牧子(2006/03/18)

◆水永牧子 CD「イングリッシュ・ガーデン」発売記念チェンバロ・リサイタル
 2006年3月18日(土)19:00 トッパンホール

mizunaga060318◎曲目
(第1部)1.  J. ブル:イン・ノミネ
     2.  G. ファーナビー:オールドスパニュレッタ
     3−1.W. バード:深い緑の森よ
     3−2.同:ウィロビー卿ご帰館
     4.  J. ブル:私の宝物
     5.  J. ダウランド(W. バード編曲):涙のパヴァーン
     6.  J. ブル:ガリアード ト短調
     7.  T. モーリー:アルメイン
     8−1.W. バード:鐘
     8−2.同:フルートと太鼓〜《戦争》より
     8−3.同:ラヴォルタ
     9.  イギリス民謡(水永牧子,神田佳子編曲):グリーンスリーヴス
(第2部)10.  J. S. バッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV825
     11.  D. スカルラッティ:7つのソナタ
         K347/K8/K43/K144/K27/K278/K427
(アンコール)12.H. パーセル:グラウンド
       13.W. バード:ラヴォルタ

◎演奏
水永牧子(1〜4:ヴァージナル/久保田彰2004年作イタリアン・ヴァージナル,5〜11:チェンバロ/キース・ヒル2002年作フレンチタイプ)
神田佳子(8−2、8−3、9、13:ダラブッカ,インド鈴,チャイムほかパーカッション)

* * *

 水永牧子さんの演奏でバードやブルやダウランドが聴ける! これは本当にうれしい衝撃以外のなにものでもない。
 私事ながら、筆者はこのあたりの英国音楽を、大昔の高校生のころに、バート・ヤンシュやジョン・レンボーン(ブリティッシュ・フォークのギタリスト)の演奏で知り、次いでジュリアン・ブリームのリュートのレコードでまとめて聴いて、トラッドのようなシンプルな親しみやすさ、軽やかな憂いを帯びたスタイリッシュなかっこよさにすっかり魅了されてしまった。やはり英国音楽はこうした小品こそが最高だと思うし、「ラクリメ(涙)のダウランド」と自称した伊達男が大の人気者だった──などというエピソードを聞いただけでも楽しくなってしまう。これは「Merrie England(=Merry England。いにしえの楽しきイングランド)」のクールなポップ・ミュージックなのだ。

 さて水永さんの演奏はラ・フォンテーヌや、ソロでの活動をこれまで追いかけてきたが、キレとノリが抜群のシャープで快活な演奏で、つねにポジティヴな素晴らしい音楽を聴かせてくれる。だから、こうした英国音楽を彼女の演奏で聴けるのは夢のような幸せで、実際まさに水を得た魚のような素晴らしさなのだ(もちろん彼女は他の音楽でも最高なのだけれど)。昨年(2005年)の自由学園明日館でのコンサートで、彼女がバードの《深い緑の森よ》(じつはこの曲がブリームのレコードのアルバム・タイトルになっていた)など数曲を弾いてくれて、飛び上がってしまったのだが、それが英国音楽を特集した最新CD『イングリッシュ・ガーデン』と今回のコンサートに結実するとは!

 今回のステージはCD発売記念リサイタルということで、前半はすべてCDの収録曲で構成されていた。CDでも生演奏でも彼女の生き生きとした演奏の魅力は変わらないが、ひとつ違いを挙げるとすれば、ステージでは、小型のヴァージナルとバロック・チェンバロの音色の違いがより鮮明にわかったのが印象的だった。水永さん自身、「ヴァージナルは一音一音が太くてハッキリして艶のある音、チェンバロは音は細身だが音同士が混ざり合って豊かに響く」と明確に説明されていたが、《涙のパヴァーン》で楽器を変えたとたん、まさにその言葉どおり、あっと驚くほどに世界が一変したのだ。
 以前のリサイタルでも彼女は(同一の楽器からでも)曲ごとに、あぜんとするくらいのさまざまなサウンドを紡ぎ出してくれたことがあったが、今回もさすが、音色の魔術師である。そしてこのどちらの楽器の演奏にも、聴く者を惹きつける力がある。ヴァージナルの明快な音を聴けば、彼女の個性とぴったりで、じつにいいと惚れ込み、次にチェンバロの豊かな音を聴けば、この多彩でダイナミックな表現力も彼女らしくていい、とまた惚れ込んでしまう。
 音の揺らし方も絶品の《深い緑の森よ》のこたえられない愉悦感! 《涙のパヴァーン》のしっとりとした純度の高さ、そして涙腺を直撃されるようなエモーショナルな響き!……彼女自身「こうしたルネッサンスの素朴な音楽は少し勇気のいるプログラム」と書いているが、たしかに、こうしたシンプルな音楽で「聴かせる」演奏をすることは容易ではないだろう。それを彼女は抜群のテクニックと感性で鮮やかに料理してくれたのだ。適切なたとえではないかもしれないが、あの“ターミネーター”ピアニストのマルク・アンドレ・アムランが、パーシー・グレンジャー編曲のイギリス民謡を凄腕でみごとに演じたように……。

 さて、今回のステージでは、CDに加えてさらに数曲で、パーカッションの神田佳子さんとのデュオという試みが披露された。《フルートと太鼓》では神田さんがダラブッカを打ち鳴らしながら登場して驚かせ、これにチェンバロがざっくりと絡んでいくかたちで、動きのある戦いの描写音楽が展開されたし、モリス・ダンサーのように脚に付けた鈴の音と明るいチェンバロの音が交錯する陽気な《ラ・ヴォルタ》、繊細なアコースティック・ジャズのデュオを彷彿とさせるような2人の丁々発止のやりとりが聴けた《グリーンスリーヴス》と、どれも新鮮な音楽体験であった。
 水永さんは、「もともとチェンバロとパーカッションのサウンドは合うのでいつかはCDでも共演したいと思っていた」(『ぶらあぼ』2006年3月号)とか、「当時の宮廷の舞踏会ではパーカッションと他の楽器が合奏することはよくあったらしい/当時の人がやっていた遊びを自分もやってみたかった」(『レコード芸術』2006年4月号)などと語っているが、これはたんなる思いつきの類ではなく、いろいろな意味で重要な演奏だと思う。
 まずこれらの音楽をトラッド的なコモンストックとしてとらえ(じっさい《グリーンスリーヴス》はトラッドそのものだが)、自己の中に完全に消化するというかたちでのこの音楽への深い愛情と共感が感じられるし、そして神田さんがダラブッカのような非西欧的な楽器を駆使したことで、筆者の耳にはこうした英国音楽の底に流れる非西欧性を提示する興味深い音楽実験のようにも感じられたのだ(筆者としては、かつてジョン・レンボーンが、インド人のタブラ奏者を加えたグループで、英国トラッドを魅力的に演じたことを思い出してしまった)。

 単純に聴いても、この2人のチェンバロとパーカッションのデュオは、新しいアコーステック・ミュージックとして魅力的なサウンドであったし、視覚的にも魅力的だ。音色的にも、チェンバロとパーカッションは本質的によく合うようで、もしもピアノだったらこうはいくまい。ただ、じっさいにチェンバロの繊細な音を生かしながらパーカッションと共演をするのは、普通では至難の技で、息のぴったり合ったこの2人だからできるデュオなのだろう。音量のバランスの問題など、難しい課題もあるようだが、聴き手としてはぜひともこうした試みを続けて、さらに深化させていってほしいと願うばかりである。なんといっても、枠におさまらないこの自由な感性こそ、彼女らしいのだから。

 紙数が尽きたが、後半のバッハやスカルラッティの大曲では高密度な演奏でありながら、しかし軽やかなリズム感はやはり抜群で、これらも圧巻であった。[白石和良]

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