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2006/03/30

純正律は読書の愉しみ──「植物文様ヴァイオリン・コレクション2006」(2006/03/29)

◆植物の形姿 其の三「植物文様ヴァイオリン・コレクション2006」
 2006年3月29日(水)19:00 自由学園明日館講堂

◎曲目
藤枝 守/《植物文様ヴァイオリン・コレクション》より

◎演奏
鈴木理恵子(vn)、砂原 悟(p)、石川 高(笙)

* * *

満開の桜をめでつつ、自由学園へ。
明日館講堂でのコンサートでいつも感じることだけれど、ここは演奏中にホール外の物音がふつうに聞こえる。そして、それがかえって、この空間をつつむ静寂をきわだたせる。デシベルとは関係ない「しずかさ」。

作曲家・藤枝守さんは『響きの考古学』(音楽之友社)、『響きの生態系』(フィルムアート社)などの著書で、「音律の研究家」としても有名だが、この夜も、ヴァイオリンとヴェルクマイスター法で調律された1920年代のドイツ製アプライト・ピアノ、そして伝統的な「三分損益法」による笙という3つの楽器が、平均律とはそこここで微妙な表情の違いをみせる音響を体験させてくれた。

いままで考えちがいをしていたな、と思うことがひとつ。なんとなく「平均律は、ほんらい均等ではない各半音の幅を、むりやり均等に割り、どんな調でも演奏できるようにしたもの」であるから、短絡的に「平均律=濁ってて協和しない」に対して「純正律=協和する」と理解していた。
しかし、砂原氏のピアノを聴いていると、協和するというより、和音を構成する音のひとつひとつが「1本1本」といったほうがいいくらいに、「線」として聞こえる。「和音」として一緒くたにできないくらい、ひとつひとつの音に表情がある感じ。個性がある、というか。なるほど、「協和音」という考え方じたい、機能和声の時代以降の概念なんだ、と得心したしだい。

考えてみると、平均律によって作られる音響の各構成音は、調性の枠組みのなかで、それぞれに持ち場や役割、序列を定められており、演奏者はそれを十全に理解して、強調すべきところは強調し、控えめにすべきところは控えめにする──つまり音の遠近法を適切におこなうことこそが、音楽に習熟することだ、とされてきた。
このように、遠近法や透視画法によって、ヴァーチャルに立ち上げられる「音の3Dアニメ」が、平均律や機能和声にもとづく音楽だとすると、ピタゴラス法やヴェルクマイスター法などの純正律による音楽は、中世のタピスリーのように、平面的(2D)。
これはけっして「平板」ということではなく、いうなれば、読書のような豊かさがそこにはある。映画やテレビのように、直接的でも強烈でもなく、「読む」そして「想像する」という受け手の積極性を要求する音楽。
音のひとつひとつが、タピスリーの1本1本の糸のように、個性をもち、表情をもつこと。それをぼくたち聴き手が、全身を使って「読む」こと。その交歓を可能にする風通しのよさが、純正律にはあるのかもしれない。

ヴァイオリンと、そもそも弦鳴楽器であるピアノ、そして多数の管を同時に響かせる笙──無数の「線」が織りなす「文様」を読み解いてゆくようなよろこびを感じた夜であった。[木村 元]

  

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