現代の音楽展2006〈2〉
■「室内楽展II〜声楽アンサンブル」
2006/03/02 東京オペラシティリサイタルホール
◎曲目
北爪やよひ/おとのはうた〜ギターと4人の声のために(2005/初演)
佐々木理江(メゾソプラノ)、三橋千鶴(アルト)、小宮一浩(テノール)、
多田康芳(バリトン)
露木正登/水原紫苑の歌による幻影〜ソプラノとヴァイオリンのための(2005/初演)
田島茂代(ソプラノ)、相川麻里子(ヴァイオリン)
宮崎 滋/6奏者のための響映(2002)
薗田真木子(ソプラノ)、愛甲久美(メゾソプラノ)、太田直樹(バリトン)、
甲斐史子(ヴィオラ)、寺井創(チェロ)、那須野直裕(コントラバス)、
宮崎滋(指揮)
タズル・イザン・タジュディン/ガメルバティ──メディアシ・ウキランIV(2005/初演)
田島茂代(ソプラノ)、木ノ脇道元(フルート/ピッコロ)、
甲斐史子(ヴィオラ)、寺井創(チェロ)、小鍛冶邦隆(指揮)
門脇 治/霧笛(2005/初演)
小宮一浩(テノール)、多田康芳(バリトン)、堀野浩史(バス)、
木ノ脇道元(フルート/アルト・フルート)、
本田英輝(オーボエ/イングリッシュ・ホルン)、
菊地秀夫(クラリネット/バス・クラリネット)、鹿野智子(ファゴット)、
那須野直裕(コントラバス)、小鍛冶邦隆(指揮)
倉内直子/光の帯〜3つの声と6楽器のための(2005/初演)
丹藤麻砂美(ソプラノ)、紙谷弘子(メゾソプラノ)、大橋正明(テノール)、
木ノ脇道元(フルート/ピッコロ)、
本田英輝(オーボエ/イングリッシュ・ホルン)、
菊地秀夫(クラリネット/バス・クラリネット)、相川麻里子(ヴァイオリン)、
寺井創(チェロ)、那須野直裕(コントラバス)、小鍛冶邦隆(指揮)
◎演奏:東京室内歌劇場メンバー、東京現代音楽アンサンブルCOmeT
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「現代の音楽展2006」2日め。
この日の収穫は、1曲めの北爪作品。歌手たちやギタリスト(ギターはほんとうに身体的な楽器です)たちが、音をもってではなく、身体をもって相互に干渉しながら、音が生まれる直前の空気のようなものを感じさせてくれる。テキストのないヴォカリーズや、「さやさや」「どしゃぶり」「しぐれ」などといった、音をあらわす日本語をもちいていましたが、それがまた「音以上、言葉未満」といってもいい、日本語の柔らかな特質をうまく掬いとっていました。
もうひとつ、たいしたことではないかもしれませんが、この作品のみ、「ギターと4人の声のために」とされていて、そのほかの作品では「……のための」となっています。ここに、作曲家のことばへのすぐれたセンスを感じるのは、ぼくだけでしょうか? どうしても、「……のための」とすると、作品が固定化する。「……のために」とするだけで、なにか固められた「作品」ではなく、その音楽のありよう、とか、これから向かう行き先、のようなものが、ほのかに香ってくるようです。
そのほかの作品では、宮崎滋氏の《響映》がよかった。最初、3人の歌手と3人の弦楽器奏者が、そろって音を出したときは、「あ、弦楽器と声って、こんなにも溶けあうものなんだ」と、快い驚きをおぼえました。しかし、そのあとはむしろ、「無意識の領域」を担当するかのような弦楽器の絡みあい(なにか、身体の内部の神経や血流などの流れを思わせるような)と、「表面意識」をあらわすかのような歌とが、対立したり寄り添ったりしながら、割り切ることのできない人間存在のありさまを、これ以上は考えられないほど精緻に描きだしていきます。ただ、この音楽の第2楽章は、ほんとうに必要だったのかどうか。作曲家自身は抱いたであろう、その必然性を感じることは、残念ながらできませんでした。[genki]
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