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2006/03/10

onblo talk series 01「現代音楽はおもしろい!」その12──音楽とアイディアについて

新春企画」として始めたこのトーク・シリーズも、今回で12回め。映画音楽の話題がひとくぎりついたところで、少し話題の方向を変えてみたいと思います。
ずばり、「現代音楽はおもしろい!」のだとすれば、いったい「どこがおもしろいのか」を俎上に乗せていきたいと思います。といっても、抽象的すぎますから、最近考えていることをもとに、ささやかな問題提起をさせていただこうと思います。

* * *

いわゆる現代音楽を聴いていると、いろいろなことを考えますが、「アイディアというものは、音楽の価値において、どれくらい本質的なものか」ということもそのひとつ。
たとえば、ニュートン力学しか知らなかったひとが、まったく独自に相対性理論を発見したとしても、科学の世界においては、まったく価値あるものとはみなされない、という喩え話(茂木健一郎『脳と創造性』より)がありますが、それと同じことが、音楽にもいえるのではないかと思うのです。
つまりたとえば、現代において、ケージの《4分33秒》を知らないひとが、まったく独自に同じアイディアにたどり着き、作品を発表したとしても、その音楽の価値が評価されるとは思えない。馬鹿にされて笑われるのが関の山でしょう。

いっぽう、これは実際にある音楽大学で作曲を教えているひとから聞いたはなしですが、いまどき大学へ作曲を学びにやってくる学生の大多数(!)が、ベートーヴェンが生涯に何曲の交響曲を書いたか知らないのだ、というのです。もしかすると、彼らはついに《第九》を聴くことがないまま、卒業し、現代音楽の作曲家として活動を始めるのかもしれません(どこぞのポピュラー系専門学校のはなしではありませんぞ。日本における音楽教育の最高学府といわれる、あの大学のはなしです)。

ここで、「ベートーヴェンを知らずに音楽を志すとは、言語道断!」と切って捨てるのは簡単ですが、もしかしたらベートーヴェンなど知らないほうが、現代音楽の作曲には有利(あるいは楽)かも、などと思ってみたりもします。
乱暴にいってしまえば、ケージを知らずに現代音楽はできないけれど、ベートーヴェンを知らなくても(あるいは知らないほうが)現代音楽はできる(ほんとうに価値ある音楽がそこから生まれるかどうかは、別問題として)。──で、それはなぜか?

「ベートーヴェンはひとつの文化だ。音楽そのものがよって立つほどの巨大な文化であり、それを知らずして音楽の門を叩くことは、許されざる冒涜的態度である。それに対して、ケージのほうは、たんなるアイディアであり、音楽にとって本質的なものとはいえない」と断ずるひともいそうですね。
ですが、ケージのアイディアは、このひとが言うように「たんなるアイディア」かもしれないけれども、ケージにとってはそのアイディアというものが音楽の本質であり、それ以後の作曲家にとっては、「新しい音楽を作曲する」ということが、「どのようなアイディアを発見するか」ということと、同義とまではいわないものの、かなりの部分、重なっているのではないでしょうか。

ただ、多くの作曲家は、「われわれはアイディアを聴いてもらいたいわけではなく、音楽を聴いてもらいたいのだ」と主張します。それもよくわかる。聴き手のぼくたちだって、「アイディア」を聴きに演奏会場に足をはこんでいるわけではない──と思いたい。
でもここには、きわめて「ベートーヴェン的」な音楽のとらえ方があります。「音楽そのものを聴いてもらいたい」という作曲家は、この世界に隠された真理(創造主の意図?)を掘り出し、衆生にさししめす、という高邁な使命感を語っているようだし、「音楽そのものが聴きたい」という聴衆は、なにか人智を超えたありがたいものとして、それを受けとり、みずからの人生の糧とする。つまり、作品のなかに、価値が内蔵されている、という考え方です。
それに対して、アイディアが本質でもあるような音楽は、べつになにか真理をさししめすわけではない。ささやかなアイディアを示すことによって、世界の「見え方」が変わり、いままで真理だと思いこんでいたことさえも、不安定に思えてくる。作曲家は世界観を構築するのではなく、常識的な世界観を壊したり揺すぶったりするだけ。最終的に「世界がどう見えるか」は、あくまでも聴者にゆだねられています。つまり、こういう音楽の価値は、作品のなかには内蔵されておらず、聴き手のなかに「そのつど生まれる」ものなのだ、といえるでしょう。

ここでことわっておきますが、ぼくは「ベートーヴェンなど、もう聴かないほうがいい」といっているわけではありません。どちらかというと、ケージ的な音楽を知ってしまったぼくたちがベートーヴェンを聴くとき、19世紀のひとがベートーヴェンを聴くのとはまったく異なった精神態度がもとめられる(というよりも、必然的にそうなる)わけで、そうしたことをふまえてさえいれば、古典的な音楽を聴く、ということは、いまも音楽教育において必要なことだとも考えています。その意味で、前述の音楽大学の先生の嘆きは、もっともなことだと思います。

さて、ささやかな問題提起をするつもりが、長文になってしまいました。最初にかかげた、「アイディアというものは、音楽の価値において、どれくらい本質的なものか」ということについて、ぼくなりの結論をだしてしまった感もありますが、ほかにもさまざまな考え方が可能でしょう。「音楽とアイディア」について、いろいろな観点から意見をいただければと思います。[genki]

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» ジョン・ケージ4分33秒、20%off [CLASSICA - What's New!]
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