« 白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」002──ネーモー・コンチェルタート(2006/02/28@ル・タン・ペルデュ) | トップページ | 日本の作曲・21世紀へのあゆみ 第36回「室内楽の諸相IV〜1980年代」(2006/03/07@紀尾井ホール) »

2006/03/07

onblo talk series 01「現代音楽はおもしろい!」その11──現代音楽と映画音楽〈5〉

■音楽は嘘をつくか?

谷口です。

沼野さんのご投稿を読みまして思いついたのは、以前アメリカにいたとき、博士課程向けのゼミにて私が発した質問でした。それは「音楽は嘘をつくのか」というものでした。ゼミではちょうど「音楽のナラティブ」「音楽のペルソナ」のようなことをやっていたのですが、この質問の書いた紙を見たメンデルスゾーン学者ダグラス・シートン博士は大いに感動していました。しかし彼からもクラスからもこの疑問にたいする答えは出ませんでした。誰かがこんなことを言っていたかと思います──「嘘をつく」前の段階で、音楽にはそもそも事実を伝える能力があるのか?

最近は報道エンターテイメントと称して、BGMのついた報道番組も増えましたが(私が知るかぎり、日本でいちばん古いBGM付きのニュース番組は、フジテレビ夕方6時の『スーパータイム』でした)、映像もなく音楽だけで具体的ななにかが伝わるのかといわれると、難しいように思います。歌詞・映像があって、なにかしら具体的な意味づけがなされるように思われるんです。

ただ、沼野さんのおっしゃっていることはたしかに感じます。先日、映画音楽の作曲家として有名なブルース・ブロートンのインタビューを聴いていて、彼が面白いことを言っていたのです。それは「リアルな映画に音楽を付けるときは注意したほうがいい」ということでした。彼にいわせれば、必要でない箇所に音楽をつけると、とたんにリアルさがなくなってしまうのだそうです。ファンタジーはそれに比べて楽だと。

また、別の映画音楽関係の本を読んでおりましたら、「作曲者を含む映画の製作者は映画のラストを知っているが観客は知らないのだから、音楽で物語のヒントを与えすぎないように注意しろ」という助言が書いてありました。とくに推理ものやサスペンスものですと、容疑者たりえる登場人物が何人も登場するのですが、それを音楽によってどう描くか。そしてそれはどのように聴衆を主導していくのか、そういったことに注意しろということなんだと思います。ではこれも「音楽による嘘」なのかどうなのか……。言葉や映像による表現があってこそ、「嘘っぽくなる」ということはあると思うのですが。

私もけっきょく沼野さんの投稿に応答していないようですが、とりあえずこちらも番外編ということで失礼します。[谷口昭弘]

|

« 白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」002──ネーモー・コンチェルタート(2006/02/28@ル・タン・ペルデュ) | トップページ | 日本の作曲・21世紀へのあゆみ 第36回「室内楽の諸相IV〜1980年代」(2006/03/07@紀尾井ホール) »

コメント

「音楽は嘘をつくか?」というのは、面白い視点ですね。サブリミナル効果にもつながるはなしだと思います。

谷口さんの視点とはすこしずれますが、ぼくは最近、「音楽はなにかを伝えうるのか」ということを考えています。素朴な情報理論にしたがえば、作曲家が生み出し、演奏家が伝え、聴者が受けとる、という図式が考えられますが、そもそも、音楽はそうやってなにか情報を運ぶ容器なのかどうか、ということです。その理論でいけば、その情報の「価値」は、下流に行くにしたがって、どんどん目減りしていきますものね。でも、いちばん下流の聴者のところでも、まったく独立に生まれる「価値」があるんではないか、と思うわけです。

投稿: genki | 2006/03/07 11:16

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29830/8983390

この記事へのトラックバック一覧です: onblo talk series 01「現代音楽はおもしろい!」その11──現代音楽と映画音楽〈5〉:

« 白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」002──ネーモー・コンチェルタート(2006/02/28@ル・タン・ペルデュ) | トップページ | 日本の作曲・21世紀へのあゆみ 第36回「室内楽の諸相IV〜1980年代」(2006/03/07@紀尾井ホール) »