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2006/03/22

野球と品格

昨日は日本全国「野球の日」でしたね。音楽以外のはなしをするのは恐縮なんですが、どうしても書いておきたいことがありまして──。

* * *

盛り上がりに盛り上がったWBCですが、そのなかで心に残ったことばがあります。イチロー選手が王監督を評して、インタビューのなかでおそらくは2度ほど使った「品格」ということば。野球選手が使うことばとしては、耳慣れないものだと思いました。

今回のWBCをめぐる報道のなかでは、「イチローが変わった」ということが、ひじょうに話題になっていたように思いますが、ぼくには彼の野球にたいするスタンスが、今回とくに「変わった」とは思えません。もともと野球にかんしては、かなり「熱い」ひとなのではないかと思っていたし、「for the team」ということにかんしても、ひと並み以上に実践することのできるひとなのだと思います。いつだったか、まだオリックス時代に、延長また延長の総力戦があり、もう変える投手がいない、というところまできて、投手経験があるイチローがダグアウトに走った、ということもありました。ただたんに「自分の記録がすべて」という選手でないことは明らかです。
それでも、あきらかにイチローが変わったようにみえるのは、彼が今回ひじょうに意識的に、メディアにたいして(あるいはメディアを使って)なにかを語ろうとしていたからだと思います。そして、彼が語ろうとしていたこと──それこそが「品格」ということばで表されるものではなかったか、と思うのです。

彼は王貞治という人物を、明らかに、自チームの監督としてではなく、「野球道」あるいは「打撃道」とでもいえる、狭く深い「道」を一心に掘り、ある「極み」に到達した「先輩」、あるいはもっとはっきりといってしまえば「同志」として、評価していると思います。
イチローにとっては、「チーム」とか「監督」という記号で示されるものには、なんの意味もないでしょう。「チームの優勝のために」「監督を胴上げしたい」という「メディアにウケる常套句」を、彼は毛嫌いし、これまで「まずは自分」をことさらに強調して、実践してきたと思います。
仏教に、「利自即利他」ということばがあります。「自らを高め、利することが、他人や社会を利することにつながる」という思想ですが、「即」というのはたんなる「イコール」ではありません。そこにはやはり厳然たる順番がある。
「利自即利他」は真理といえても、「利他即利自」は真理とはいえない。「チームのためにつくしていれば、いつのまにか自分のためにもなっている」というのは、高度成長時代の日本の企業でよく聞かれた標語のような文句ですが、それがはっきりと「間違っている」ということを、イチローはみずからの野球人生をとおして、一貫して示しつづけてきたのだと思うのです。あえて「孤高の人」となり、ある意味「チームプレイ」を拒否するかのような態度をとりながら、みずからを高め、深め、そして極みに達したからこそ、かえって「チームを利する」ことができる、という信念をもって。
彼はその境地を今回、ひじょうに意識的に、王監督にことよせながら、「品格」ということばで表現したと思います。孤独のなかで高み、深みをきわめたからこそ到達できる境地。それを表現するには、もはや、野球の世界で使うことばでは足りない。ある意味「人間性」そのものと同等の重みをもったことばが必要なのです。だからこそ、王監督やイチローは、野球をあまり知らないひとさえも感動させることができる。専門性を極限まで掘り下げたところにこそ、普遍性がたちあらわれる、という逆説がここにはあります。

ひるがえって、現在の日本の野球をみれば、プロ野球も、あるいは高校野球でさえも、そうした「品格」とはかけはなれた惨状を呈しています。WBCでの日本の活躍が、ふたたび野球人気をもりあげてくれる、とまことしやかにいわれていますが、ほんとうにそうでしょうか? かりに今回のWBCで野球をはじめて知ったひとが、プロ野球中継を見たとしたら、そこで繰り広げられているものが、自分の期待していたものとあまりにも違うことに気づき、いっぺんに興ざめすることでしょう。
ただ、そうなったときに、心あるひとびとが、そう、たとえば、今回の日本チームでイチローや王監督の「品格」に触れた選手たちが、「あのときのような野球をしたい」と考え、みずからの専門分野を徹底的に掘り下げて、その結果としての「for the team」を実践してみせたとしたら……。
イチローの一連の発言、とくに「品格」ということばにこめられた思いは、意外に日本の野球そのもののありかたを、根底から変革する起爆剤になるのかもしれません。そして、ぼくにはそれが、かなり意図的なものであったようにも、感じられてならないのです。[genki]

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