「古楽特派員テラニシ」005──「始原楽器」の挑戦
[写真1:復元された古代エジプトのアンギュラー・ハープ(演奏は西陽子氏)]
箜篌〈くご〉とよばれるアンギュラー・ハープなど、奈良・正倉院に残る約1500年前の楽器。これらを復元した始原(=ジェネシス)楽器を出発点に、音律や調性といった音楽概念や歴史的・文化的背景、固定イメージなどをいったん白紙の状態に戻し、新たな音楽の歴史を構築しようという試みに、木戸敏郎・京都造形芸術大学教授がとりくんでいる。
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木戸教授は、国立劇場演出室長だったときに、始原楽器の試みを始めた。きっかけとなったのは「日本の伝統芸能の世界は“伝統とは何か”が分かっていない」という事実に突き当たったことだった。「多くの人は、ある一定のことを繰り返すのが伝統だと勘違いしているが、実際にそうだと形骸化してしまう。伝統は伝承とは違う。伝統は、伝承を制限することで、より研ぎ澄まされる。その伝統を現代の状況に当てはめ、構造化することで、新しい創造ができると私は考えた」。
雅楽は「日本の音楽の原点」といわれる。しかし、木戸教授は「今の雅楽は明治3年以降の雅楽。けっして原点ではない」と言う。洋楽や近世邦楽の影響を受けて、明治3年(1870)と同28年(1895)を中心に、楽譜が音律などを含めて体系的に大きく編曲しなおされているからだ。
[写真2(左):正倉院に残された箜篌の現物]
[写真3(右):正倉院の楽器から復元された箜篌]
それでは、本当の原点はどこにあるのか。その手がかりが、正倉院に残る天平時代の楽器だった。「壊れた状態で音は出ないが、まぎれもない実物。これを正確に復元して音を出せば、これは音の構造として天平時代と同質のものであるいっぽう、物理現象としての音じたいは今ここに存在する。ここを原点に、もういちど歴史をやりなおすというのが、始原楽器です」。
正倉院に残る楽器の中から、箜篌や排簫〈はいしょう〉というパン・フルート、方響〈ほうきょう〉という金属片を吊ったチャイムなどを復元。散逸した部品も、楽器構造や奏者の身体工学の面から類推することで再発見できたという。音響に影響がないことと、歴史という概念を排除するため、あえて加飾は行わなかった。とくに、歴史概念を排除する点では、いわゆる「音楽考古学」とも明確に立場を異にしている。
既存の音楽概念を楽器に押しつけないことで、楽器そのものがもつ音の記憶が回復される。たとえば調律ひとつでも、自然に安定する場所がある。つまり「楽器が教えてくれる」わけだ。木戸教授は国立劇場時代から、これらの楽器によって“回復”された音律や音圧の観念をふまえて、ルー・ハリソンや一柳慧ら現代の作曲家たちに作品を委嘱するなど、実験音楽の機会をもってきた。
[写真4:インタビューに答える木戸敏郎・京都造形芸術大学教授]
しかし、学会などを中心に「現行雅楽の伝統を否定する行為であり、許しがたい」と反発も大きかった。木戸教授は「なぜ、いま伝統音楽がこんなに停滞しているのか。じつは、これは日本だけの問題ではなく、ヨーロッパも同様です。たとえば、現在の雅楽はたしかにすばらしい。しかし、行き着いた結果であって、出発点にはなりえない。あえて出て行こうとすれば、末成り〈うらなり〉になるだけ」と主張する。批判をかわすため、当初は「怜楽〈れいがく〉」と称して、これらの活動を始めた。しかし、これもまた本来は鎌倉時代の古い雅楽用語に由来するだけに、歴史から自由になりえない。そして、「始原楽器」という言葉に行き着いたという。
[写真5:古代エジプトのアンギュラー・ハープ(ルーブル美術館蔵)。数千年を経てなお胴体に残る、奏者の汗の黒ずみが生々しい]
筆者も5年ほど前、大阪で行われたステージでこれら始原楽器の音色を耳にして、衝撃を受けた。われわれが関わっている西洋古楽運動も、時代感覚や様式、音律、そして楽譜から完全に解放されることはありえない。しかし、楽器への問いかけを通じて、音楽や響きを探求してゆく、これら始原楽器の自由さはどうだろうか。時空という物理的な条件を軽々と飛び越えていってしまう。
木戸教授は言う。「結果として存在する文化から出発するのではなく、原点をつかまえてもういちど、歴史とは違う方向で、伝統をやり直す。ジェネシスというなじみのない言葉を使うのは、懐古趣味などをシャットアウトし、構造だけを捉えるため。私は正倉院の楽器も、たんに「天平の楽器」ではなく、“原点の楽器”と捉えている。ここから、世界の音楽のジェネシスを還元できる、と考えています」。
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復元された正倉院の楽器や、箜篌と同じ構造を持つ、古代エジプトのアンギュラー・ハープ(紀元前10世紀前後、ルーブル美術館所蔵から昨年復元)を使い、一柳慧らによる始原楽器のための作品や、シュトックハウゼンなどをとりあげる「コンサート ジェネシス(始原)・I」は、4/28(金)19:00から、京都芸術劇場春秋座で行われる。[寺西 肇]
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