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2006/04/05

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」006──ジョングルール・ボン・ミュジシャン(2006/03/25)

◆ベーリック・ホール リビング・コンサート「中世スペインの音楽──トルバドールと聖母マリアのカンティガ」
 2006年3月25日(土)13:30 ベーリック・ホール(横浜・元町)

◎曲目
(第1部)スペインを訪れた吟遊詩人(トルバドール)たち(12〜13世紀フランス)
1.モンタウドンの修道士:私の歌を姫様に捧げましょう
2.ポンス・ドルタファ:恋焦がれて我を失い
3.ギラウト・デスパーニャ・デ・トロサ:ダンサ;器楽演奏と踊り
4.カデネート:かつて私は美しく
5.マルカブリュ:愛とはいかなるものか
(第2部)アルフォンソ賢王(編)『聖母マリアのカンティガ』より(13世紀末スペイン)
6.322番 兎の骨
7.209番王の病;器楽演奏
8.8番 ジョングルールと蝋燭
9.159番 踊り出たお肉
10.42番 怒ったマリア
11.79番 天国へ行った娘

◎演奏
ジョングルール・ボン・ミュジシャン:辻康介(歌、語り)、岡庭弥生(歌、踊り)、飯塚直子(パーカッション、ハープ)、近藤治夫(バグパイプ、ハーディガーディ)

* * *

 ジョングルール・ボン・ミュジシャンは、プロのバグパイプ楽器制作者で同時に古楽ミュージシャン(両方ともプロであるのは日本では唯一の方か)という近藤治夫さんの率いる、最新鋭のユニークな中世音楽/トラッド古楽グループだ。

 日本でもいくつかの中世音楽グループの先達たちが、道なき道を切り拓いてきたが、ジョングルールの素晴らしさは、とびっきりのノリのよい演奏に加えて、過激に面白い演劇的なステージにあり、後者の要素は、歌と抱腹絶倒の語り(辻説法?)で参加している辻康介さんの力もひじょうに大きいようだ。ジョングルールは時によってメンバーが異なるが、最大編成での昨年夏のロバハウスや秋の蔵の街音楽祭などでのステージは、文字どおり、「ここまでやるか!」と唸らせるほどの破天荒なパワーと面白さにあふれていたのだった。

 今回は元町の丘の上に立つスパニッシュ・スタイルのクラシカルな西洋館「ベーリック・ホール」(横浜市認定歴史的建造物)の、明るく広々としたリビングルームという絶好のロケーションを得てのコンサート。フリー・コンサートながら休息を挟んで2部構成の本格的なもので、場所にちなんで前半はスペインに縁のあるトルバドールの特集、後半は聖母マリアのカンティガの特集で、(前半はトルバドールもののなかでは比較的珍しい選曲とはいえ)トルバドール、カンティガとも彼らのコンサートではまさに代表的な演目である。素晴らしく美しい場所の雰囲気もあって、今回は上記のロバハウスや蔵の街音楽祭でのライヴと比較すると、彼らとしてはわずかに大人しいかなという印象も受けたが、そのぶん、歌声や楽器の響きの美しさにたっぷり浸ることができた(あわてて付け加えると、この大人しい云々の印象は、彼らのコンサートをなんども聴いている筆者が、重箱の隅をつつくようにあえて比較して書いたもので、彼らのパフォーマンスにはじめて接したであろう満員の観客は、「ここまで面白いとは思わなかった」とおおいに湧いていたのだった)。

 前半は、まず辻さんの語りと原語のつややかな歌による〈1〉ではじまり、ノリのよい近藤さんのバグパイプや飯塚さんのパーカッションをバックにした岡庭さんのダイナミックなダンスが見ものの〈3〉や、岡庭さんの伸びやかな歌の〈4〉と続く。最高だったのは〈5〉で、バグパイプのドローンをバックにして、辻さんが歌の内容を日本語で語り、それに全員による原語での歌声(コーラス)が挟みこまれていくという趣向。とくにこのコーラスは、トラッド古楽として絶品の味わいであった。

 後半のカンティガは曲ごとにさまざまなシカケ(演出)が大胆にほどこされていて、観客を飽きさせない。マリア様に祈ると肉が空中にポンと飛び出してくる、という〈9〉や、マリア像の指に掛けておいた指輪をマリア像が指を曲げて放さない、という〈10〉などなど、抱腹絶倒の語りと小道具を駆使した芝居、そして生き生きとした演奏と歌で綴られていく。筆者はなんども観ているので、展開やオチは先刻承知なのだが、それでも面白いのは、毎回のように手が加わるヴァリエーションの豊かさと、なによりも芸としてのパワーがあるからだろう。そしてラストはこれもお馴染みのナンバー「天国へ行ったバカ娘」(今回は上述の曲目リストの表記だったが、このように露骨に表記される場合もあり、個人的にはそちらのほうが好き)。これは「神様お願い、この馬鹿者を天国へ連れていって!」というレフレインも鮮烈な日本語の訳詞によるもので、全員で踊りださんばかりのノリノリのパフォーマンスなのだ。失礼なたとえかもしれないが、あたかもアホダラ教のようなナンセンスな土着的パワーをぶちまけながら、西欧ラテン世界の庶民の伝統的宗教観を観客に体験させてくれる、というまさに彼らならではの大傑作ナンバーで、この日もこの曲を聴いて、なんとも満たされた気分にひたりながら坂を下ったのだった。

 彼らは最近いろいろな場所に数多く出没するようになってきたので、今後の活動がますます楽しみである。CDのリリースも期待したいが、彼らの魅力をじゅうぶんに伝えるには、DVD のような媒体での視覚的要素も必須かもしれない。[白石和良]

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