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2006/04/15

具体から抽象へ、そしてふたたび具体へ──リュック・フェラーリの映画(2005/04/03)

 遅ればせながら、渋谷UPLINK Xでのリュック・フェラーリ映画ロードショーのことを。

* * *

■『リュック・フェラーリ──ある抽象的リアリストの肖像』(2005)

 日本のどこぞの店で録ったと思われる「ありがとうございました!」という女性の声(「いらっしゃいませ」という男性の声も後ろに聞こえる)をサンプリングしてキーボードにアサインし、自宅の一室で即興演奏をするリュック・フェラーリ。

 宮岡秀行+スタジオ・マラパルテによるこの映画は、ミュジク・コンクレート(具体音楽)の手法で知られるフランスの作曲家の最晩年を記録したものである(その風貌からなんとなく、わが国の誇る“高等遊民”、トノバンこと加藤和彦を思い出したのは、ぼくだけ?)。

 映像からは、「具体音」を音楽へと「抽象化」することにこだわる創作態度が明らかになるが、フェラーリにとって力点がおかれているのは、やはり「具体」のほうであったようだ(彼にとって、具体音を意のままに編集することのできるデジタル・サンプリング技術の進歩は、福音といってもよいものだったろう)。その「抽象化」の手続きはあくまでもみずからの手による即興だから、これもまた「身体的=具体的」なものというる。

 みずからキッチンに立ち、手料理とワインで友人をもてなし、他愛のない冗談にうち興じる作曲家の姿は、クールというよりも、ノーブル、そして典雅というにふさわしい。それが彼の前衛的な作品(演奏)からも存分に伝わってくる。

 冷徹に具体的なもの、割り切れないものすべてを捨象し、みずから抽象的存在となろうとするある種の前衛芸術家と違って、人間を(みずからも含めて)愛し、人生を愛してやまなかったであろうフェラーリの生きざまがうかがえる。

 冒頭の「ありがとうございました!」はエンディングにももちいられるが、日本のバイトの女の子の「非人間的」な呼び声もまた、フェラーリによって「抽象化」されることにより、かえって人間性をとりもどす──というよりもむしろ「抽象性を濾過されて具体性を顕す」かのようだ。彼は、人間の「非人間性」をも含めて、「人間性」として愛したのだろう。

■『ヴァレーズ礼賛』(1966)

 そのフェラーリの「人間性への愛」「具体へのこだわり」は、1960年代にみずから撮ったフィルムにも通底している。

 エドガー・ヴァレーズの死を悼んで、近しいひとびとが語るヴァレーズの思い出を集めた映画。

 クセナキス、メシアン、ジョリヴェ、シェルヘンといった、いまでは「歴史上の人物」となっているひとびとの若かりしころの映像が見られるだけでも、価値ある映画だが、フェラーリがそのような記録映画として、この作品を企図しているのでないことは明らかだ。

 彼自身がもっとも共感をよせながら、カメラで追っているのは、ドメーヌ・ミュジカルを指揮するブルーノ・マデルノである。

 エネルギッシュな肉屋のおっさんといった風貌のマデルナが、汗を拭きふき、オーケストラのメンバーに大声で指示を飛ばしながら、ヴァレーズの《砂漠》を構築していくさまが、まさに舐めるように映しだされる。

 楽譜に還元されることにより、いったんは抽象化された音の一片一片が、マデルナの身体を通してひとつひとつ形をあたえられてゆく。そしてその光景を、やはりマデルナの肉体やその豊かな表情を通じて、透かし見ようとするフェラーリの眼。

 そして、リハーサルが終わり、本番が始まる。遠く離れたニューヨークのホテル(?)の一室で、ラジオを通じて聞こえるその演奏に耳をかたむけるのは、マルセル・デュシャンだ。

 無表情といってもいい透徹した面持ちで、旧友の遺した音楽に聴きいるデュシャンと、パリのスタジオでのマデルナの熱っぽい指揮ぶりの対称がおもしろい。

 フェラーリの眼は、デュシャンの無表情を一心に追う。こころうたれるのは、中空をながめていたかのような老芸術家の視点が、ある瞬間、あきらかに音楽へとフォーカスするところだ。カメラは、その瞬間をのがさない。

 音楽が、ヴァレーズというかけがえのない「具体」となって“受肉”する稀有な瞬間を、この映画はたしかにとらえている。[木村 元]

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» 060409-03 映画感想:「リュック・フェラーリ-ある抽象的リアリストの肖像」&「大いなるリハー サル′人の男が人生を音楽に捧げる時。ヘルマン・シェルヘンの肖像」 [木の葉燃朗の「本と音楽の日々」]
 映画を見てきました。 ■「リュック・フェラーリ-ある抽象的リアリストの肖像」 ・3/25(土)~4/7(金) いずれも20:30より ・渋谷 UPLINK X(渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F) にて UPLINKの紹介ページ:http://www.uplink.co.jp/x/log/001082.php  リュック・フェラー..... [続きを読む]

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