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2006/04/22

不自由さゆえの自由さ──ピエール・ブーレーズ作品演奏会(2006/04/21,22)

20060421◆ピエール・ブーレーズ オーケストラ作品演奏会
 2006年4月21日(金)19:00(プレ・コンサート18:30)
◆ピエール・ブーレーズ 室内楽作品演奏会
 2006年4年22日(土)15:30(レクチャー13:30)
 東京藝術大学奏楽堂

◎曲目
4/21
プレ・コンサート:《ソナチネ》(1946)
  真鍋恵子(フルート)、秦はるひ(ピアノ)
  (奏楽堂ホワイエにて)
1.《フィギュール─ドゥブル─プリスム》(1963/68/日本初演)
2.ピアノ独奏のための《12のノタシオン》(1945)
  野平一郎(ピアノ)
3.《ノタシオン》I−VII−IV−III−II(1980、98/99……)

指揮:ジョルト・ナジ 藝大フィルハーモニア

4/22
レクチャー:ブーレーズ 音楽創造の60年
  笠羽映子
1.《マラルメによる即興I:処女であり、生気にあふれ、美しい今日》(1957)
  佐竹由実(ソプラノ)
  藤本隆文・平尾信幸・西川圭子・和田光世・中山航介(打楽器)
  田島緑(ハープ)
2.《デリーヴI》(1984)
  神田勇哉(フルート)、芳賀史徳(クラリネット)、藤本隆文(打楽器)
  羽石道代(ピアノ)、佐原敦子(ヴァイオリン)、松本卓以(チェロ)
3.《二重の影の対話》(1984)
  亀井良信(クラリネット)
  (音響:岩崎真)
4.《アンシーズに基づいて》(1996/98/日本初演)
  野田清隆・藤原亜美・山田武彦(ピアノ)
  田島緑・片岡詩乃・信国恵子(ハープ)
  藤本隆文・中山航介・和田光世(打楽器)

指揮:クリストフ・マングウ

* * *

 2日間にわたって、ブーレーズ作品を堪能した。企画にたずさわった笠羽映子氏(22日の演奏会の前に講演)によれば、「日本ではじめて」のことだという。

 1日め、ホワイエで、詩的でありながらも決然としたブーレーズ最初期の小品、《ソナチネ》を楽しんだあと、ホールへ。

 日本初演となる《フィギュール─ドゥブル─プリスム》。ブーレーズというのは、こんなに豊かな──官能的、あるいは蠱惑的な、といってもいいくらいに──色彩を、音楽に許すひとだったのか──というのが、最初の音を聴いた瞬間の感想。藝大フィルハーモニアの演奏も、ひとつひとつの音のもつ色、表情を端正に表現した好演。客演のジョルト・ナジの指揮ぶりも、曲のすみずみまで知りつくした職人的な洗練があり、初演として理想的なものだったと思う。

 ピアノ独奏版の《12のノタシオン》とオーケストラ版の《ノタシオン》を並べて聴けたのも、よい趣向だった。前者の野平一郎氏による細部にまで緊張感をみなぎらせた演奏にくらべると、後者では、オーケストラのリズムがそろわないなど、ブーレーズ作品特有のクリアさがそこなわれたのが残念だった。ただ、後者は作品としても、《フィギュール……》ほどの色彩感をもたないストイックな印象があり、すこし不全感が残った。

* * *

20060422 2日め、笠羽氏の講演は、ブーレーズの60年にわたる音楽活動(作曲・指揮)をたどるもの。最初の20年間で時間の大半を使ってしまったこと、大きなホールでの講演でよくあることだが、マイクの音声がこもってしまって、細部が聴きとれなかったことが残念だったが、俳優・演出家のジャン・ルイ・バローとの交流、ジョン・ケージとの友情と訣別、フランス国家との関係など、興味あることがらを知ることができ、よかった。ケージとの書簡集、ある出版社で翻訳出版の作業が進行中らしいが、早く刊行してほしいものだ(──と、他社のことなら、好きかってなことがいえるのだが)。

 《マラルメによる即興I》と《デリーヴI》は、どちらかといえば、無駄のない切りつめた音楽を、ていねいにトレースするような演奏で好感がもてた。

 圧巻は、クラリネットの亀井良信が、舞台と客席に置かれた6つのスピーカーから流れる、みずからがあらかじめ録音した演奏と共演する《二重の影の会話》。真っ暗な空間のあちこちから音が飛びかう音響的なおもしろさはもちろん、クラリネットじたいのもつレンジの広い音色と表現力を、極限まで活用し、なおかつ、ひとりの奏者では不可能な立体感を表現することに成功しており、素晴らしい作品だと思った。

 日本初演の《アンシーズに基づいて》は、ブーレーズほんらいの特性と思われる饒舌さを、なんのてらいもなく、流れだすがままに作曲したかのような作品。3台のピアノと鍵盤打楽器の名技が、これでもかと繰り出される。演奏者の熱演は素晴らしく、拍手を送りたいが、とにかく長すぎる! 再演を聴くときは、気持ちがだれないように、覚悟がいりそうだ。

* * *

 全体をとおして感じたのは、ブーレーズの饒舌さと、(意外なことに)天真爛漫なまでの豊かな感性だ。彼はそれを自由に発露させるよりも、セリーをはじめとする厳格な形式をみずからに課すことによって、洗練し、普遍化することを選んだ。

 旺盛な批判精神を、みずからの個性と対極にある不自由さをあえて設定したうえで、それにたいして向けることで、生来の自由さを思うぞんぶん発揮できる──そうした複雑な人間性がかいまみえた。

 残念だったのは、これほどの充実した企画でありながら、聴衆の入りが悪かったこと。大学の企画ということで、あるていどしかたないのかもしれないが、プロモーションが不充分であったのではないだろうか。[木村 元]

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コメント

コメント、ありがとうございました。
ブログ名、了承しました。
確かに仰る通りです。

代官山音楽院には週2日行ってます。
今後もよろしくお願いします。

投稿: S.Ikeda | 2006/06/26 11:39

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東京芸術大学で行われた「創造の杜」ピエール・ブーレーズ作品をテーマとした二日間の演奏会から、二日目の室内楽作品のコンサートの感想を記しています。 [続きを読む]

受信: 2006/05/07 14:31

» フィギュール-ドゥブル-プリスム<日本初演> [池田 悟<作曲家>のArabesque]
CDは15年ほど前に買っていた。「婚礼の顔」「水の太陽」と一緒に収められた、作曲 [続きを読む]

受信: 2006/06/26 03:19

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