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2006/06/22

「古楽特派員テラニシ」009──〈バッハフェスト・ライプツィヒ2006〉現地レポート

Bachfest01[写真1(←)ライプツィヒの象徴、バッハ像とトーマス教会。撮影:寺西肇]

 大作曲家、ヨハン・セバスティアン・バッハがカントル(教会楽長)として後半生を過ごし、その終焉の地ともなったドイツ東部の古都、ライプツィヒ。大作曲家ゆかりのこの街を舞台に、彼の作品の紹介と研究成果の発表を目的とした音楽祭「バッハフェスト・ライプツィヒ2006」が5月27日から6月5日まで10日間にわたって開かれた。同フェストは、世界各地で開かれているバッハにかんする音楽祭のなかでもとくに権威ある存在として知られているが、今回はなかなか名演にめぐまれず、少し寂しさの残る音楽祭となった。

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 バッハは1723年に聖トーマス教会のカントルに就任。以降、1750年に65 歳で没するまでをこの地で過ごし、《マタイ》《ヨハネ》の両受難曲をはじめとする重要な作品群を生みだした。ライプツィヒでのバッハフェストは1904年にスタート。当初は1〜6年に1回と不定期ながら継続的に開催されてきた。1999年以降は、バッハ研究の先端をになうバッハ=アルヒーフ・ライプツィヒの主催となり、毎年、キリスト昇天祭の時期に開催されている。

Bachfest04[写真2(→)聖トーマス教会で行われたオープニング・コンサート(5月27日)。© Bach-Archiv Leipzig/Mothes]

 今回は、モーツァルトの生誕250年にちなんで「バッハからモーツァルトへ」をテーマに、聖トーマス教会や聖ニコライ教会などを舞台として、大がかりな宗教声楽曲から小規模な室内楽、オリジナル楽器からモダン楽器、さらにはジャズまで、約70のコンサートや講演を実施。聖トーマス教会でのオープニング・コンサートでは、ベルリン・聖十字架教会カントル、ロドリッヒ・クライレ指揮の同教会合唱団などがモーツァルトの《大ミサ曲ハ短調》(KV427)を演奏した。

Bachfest05[写真3(←)聴衆からの大きな拍手にこたえる鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバー(5月27日、聖ニコライ教会)。© Bach-Archiv Leipzig/Mothes]

 開幕当日の夜には、日本から鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が6年ぶりに登場。会場となった聖ニコライ教会は早くから席が埋まり、期待の高さをうかがわせた。BCJはコンマスに寺神戸亮、声楽ソリスト陣にもロビン・ブレイズ、ゲルト・テュルクらを迎えた「ベスト・メンバー」で臨み、とくにカンタータ第30番冒頭の素晴らしい合唱で聴衆の心をがっちりつかんだ。中プロに置いた管弦楽組曲第1番では舞曲の感覚が感じとりにくくやや精彩を欠いたものの、続く《マニフィカト》(BWV243)も手がたく聴かせ、スタンディング・オヴェイションの大喝采を受けた。

 アンコールでは、カンタータ30番と同じ旋律を別のオーケストレーション(世俗カンタータ版 BWV30a)で聴かせる心憎い演出で、学者たちの席から感心の声があがった。鈴木は、終演後におこなわれたパーティで「生涯最高の演奏ができた」と笑顔を見せた。そして、「完璧な偉大さ」と見出しを掲げた「ライプツィヒ・フォルクスツァイトゥング」紙など翌日の地元各紙は、手ばなしで絶賛する批評を掲載した。

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 今年のテーマは「バッハからモーツァルトへ」だが、モーツァルトは、1780年代以降にウィーンでバッハ作品に触れている。音楽祭では、バッハの影響を多く受けた後期作品や、モーツァルト自身が弦楽四重奏用に編曲した《平均律クラヴィーア曲集第2巻》からのフーガ(KV405)などがとりあげられた。また、モーツァルトと親交のあったバッハの末息子、ヨハン・クリスティアンの作品も多くとりあげられた。

 音楽祭2日目には、現トーマス・カントル、ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、トマーナーことトーマス教会聖歌隊がモーツァルトの《レクイエム》(KV626)をとりあげた。バッハ《フーガの技法》の、同じニ短調による〈3主題による未完フーガ〉に続けて演奏し、冒頭には、バッハが初期に葬送用に書いたカンタータ106番を置くなど、「死」というテーマを明確に示す、すぐれたプログラム構成だった。

 演奏のゲヴァントハウス管弦楽団は、現代の作曲家の編曲になる《フーガの技法》でも、あえて古楽奏法をもちい、続くモーツァルト《レクイエム》と有機的なつながりをもたせた。しかしこれに対して、声楽のソリスト陣は総じて気ばりすぎ。なによりも、バッハ時代以前からの長い歴史を誇り、地元からこよなく愛される少年合唱団、トマーナーの技術的なレヴェル低下が深刻な問題であることを印象づけた。かといって、彼らはけっして手を抜いているわけではない。真剣なとりくみに見あった結果が得られていないだけなのだ。これは、ひとつには人材不足とトレーニングの問題があろう。スカウティングや効率的・効果的な声楽指導の方法を根本的に見なおし、ふたたび名実ともに「バッハの都」にふさわしい少年合唱団として蘇ることを期待したい。

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 さて、バッハフェストの舞台となっているライプツィヒはまた、サッカー・ワールドカップの開催地のひとつ。旧東ドイツ地域での開催はポツダムとここだけにもかかわらず、バッハフェスト期間中はまだ、盛り上がりには欠けていた。街にはサッカーにちなむデコレーションは施されてはいるが、ちょうど音楽祭の期間中におこなわれた前哨の日本対ドイツ戦は、翌日の話題にものぼらなかった。街には、ここが決戦の舞台となる韓国人サポーターらしい人たちがちらほら。「試合が観られないのなら、せめてスタジアムだけでも見たい」という熱狂的なサッカー・ファンだろう。もっとも、いざワールドカップ本番となった今は、ふだんは静かなバッハ=アルヒーフにもテレビが持ちこまれ、「ビール片手に観戦ざんまい」だという。やはり、彼らもドイツ人だ。

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Bachfest11[写真4(→)クワイアの席に向かい、惜しみない拍手を送る聴衆たち(5月31日、聖トーマス教会でのシュトゥットガルト・バロック・オーケストラ、ヤン・コボウらによる《ヨハネ受難曲》1749年版の公演で)。撮影:寺西肇]

 ところで、今年のバッハフェストは残念なことに、なかなか好演にめぐまれなかった。

 注目公演のひとつ、トン・コープマンひきいるアムステルダム・バロック管弦楽団は、大バッハの管弦楽組曲第3番を核に、ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルという2人の息子たちの協奏曲や交響曲をとりあげる意欲的なプログラムだった(6月1日、聖ニコライ教会)が、演奏のインパクトはいまひとつ。ヘルマン・マックス指揮のレーニッシュ・カントライとダス・クライネ・コンツェルト(6月2日、聖ニコライ教会)は大バッハとモーツァルトをやはり2人の息子で関連づけ、声楽作品で統一したが、こちらもいまひとつだった。

 その大きな原因のひとつは、両方の公演で会場となった聖ニコライ教会の音響の難しさにある。演奏者の背後にひかえる奥深い内陣が、ときに音を吸いこみ、ときに複雑な響きを返してくるのだ。昨年、各国ジャーナリストのあいだで「音楽の魔物がいる」とささやかれたほど。曲ごとにオーケストラや合唱の配置を変え、なんとかしのごうとする演奏者もいたが、結果としては失敗に終わるケースが多かった。とくに、コープマンのチェンバロと妻のティニ・マショーのフォルテピアノによるエマヌエル・バッハのドッペル・コンチェルトは、ふたつの楽器の音の到達時間がまったく違っていて、曲の構造がまるでわからない。また、合唱づかいに定評があるはずのマックスの場合も音が散ってしまい、もごもごして何をやりたいのかさっぱり伝わらない。

Bachfest10[写真5(←)聴衆の拍手にこたえるトン・コープマンとティニ・マショー(6月4日、商品取引所)。撮影:寺西肇]

 コープマンは、細君やバスのクラウス・メーテンスとともに、室内楽のコンサートにも登場した(6月4日、商品取引所)。今年から新たに演奏会場として使用されるようになった壮麗なバロック様式の広間での演奏だが、音響は可もなく不可もなくといったところ。やはり、チェンバロやフォルテピアノを使い分けながら、大バッハからフリーデマン・バッハ、ハイドン、モーツァルトなどを聴かせたが、コープマンの演奏はなんとも荒っぽい(それを「粋」と勘違いしたか、聴衆の多くは喜んでいたが……)。細君のフォルテピアノは線が細すぎて、オリジナル楽器の弱点ばかりを強調したような貧相な演奏だった。声楽は美声だが時代感覚がなく、まるでシューベルトを聴かされているような感覚におちいる。

 病気療養のためキャンセルしたグスタフ・レオンハルトに代わっては、ボブ・ファン・アスペレンが登場(6月3日、商品取引所)。チェンバロを使った前半は、大バッハ《音楽の捧げ物》の〈6声のリチェルカーレ〉で主題が浮きあがってこないなど、いまひとつの印象。そのうえ、練習不足なのかミスタッチも多い。しかし、クラヴィコードを使ってエマヌエル・バッハを弾いた後半では、なんとか真価を発揮できたようだった。

Bachfest02[写真6(→)深夜の小さなステージにもかかわらず、白熱の名演奏を聴かせたオフェリー・ガイヤール(6月3日、バッハ音楽院)。© Bach-Archiv Leipzig/Mothes]

 凡演続きの“大御所”たちを尻目に、すばらしい演奏を聴かせたのは、若手奏者たちだ。

 この点では、この音楽祭は毎年、聴き手を裏切らない。バッハの無伴奏チェロ組曲から第1〜3番を弾いたオフェリー・ガイヤールは終始、緊張感の途切れない秀演。またたとえば、第3番の演奏前には「私にとって、陽の光の中にいるような曲」とコメントするなど、思い入れもたっぷりと盛りこみ、聴衆の共感を得た。ブラティスラヴァから参加のオリジナル楽器アンサンブル、ムジカ・エテルナ公演(5月29日、旧市庁舎)でも、急遽代役で管弦楽組曲第2番のソロを吹いたヤナ・セメラドーヴァ(トラヴェルソ)が、卓越したテクニックと音楽性で大喝采をあび、やはり一躍ヒロインとなった。

Bachfest03[写真7(←)ムジカ・エテルナの公演では、代役でステージに立ったヤナ・セメラドーヴァ(左から3人め)が大喝采をあびた(5月29日、旧市庁舎)。© Bach-Archiv Leipzig/Mothes]

 バッハやイザイをとりあげたヴァイオリンのソフィア・イェフテ(6月3日、楽器博物館)や、ユリアス・スターン・トリオ(6月4日、福音改革派教会)など、いずれも地味なステージながら、若手奏者たちによる気合いのはいった演奏には、聴衆も拍手を惜しまなかった。

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Bachfest12[写真8(→)3年ぶりに復活した無料の野外コンサート「バッハ・オンエアー」では、多くの人が飲み物や食べ物を手に音楽を楽しんだ(6月2日、ニコライ広場)。撮影:富田庸氏]

 また今回は、大規模な工事や雨天の影響で中止されていた野外でのステージ「バッハ・オンエアー」が、3年ぶりに復活。多くの聴衆がビール片手に音楽を楽しんだ。また、バッハゆかりのジルバーマン製作のオルガンなどを訪ねる郊外へのツアーは9つを数え、ステージのない昼間も、海外からの聴衆を飽きさせなかった。なによりも、ホスピタリティあふれるスタッフの笑顔でのもてなしは好感がもてる。

 しかしその一方で、主催者であるはずのバッハ=アルヒーフの幹部が、聴衆をさしおいていちばん良い席に陣どって演奏を楽しむなど、首をかしげる光景もみられた。それでなくとも、エルマー・ヴァインガルテン音楽祭芸術監督はじめ旧西側から来たこれら幹部と、もともとライプツィヒに根を張って、この土地とバッハフェストを心から愛している現業部門のスタッフたちとの意識の隔たりは大きい。今回も、音楽祭の終了を待たずに一部の現業部門のスタッフの契約更新をおこなわない方針を一時は示すなど、露骨な実力行使をおこなう姿勢まで見せた。こんなことでは音楽祭運営に支障をきたし、「もっとも権威あるバッハ音楽祭」の看板が泣くというものだろう。

 そして、ほんらいの主要な目的のひとつであるはずの研究成果のステージへの反映も、じつは不完全燃焼に終わっている。たしかに、フェスト期間中には、バッハ=アルヒーフのミヒャエル・マウル研究員が、昨年新発見したばかりのカンタータについてレクチャーし、実際に演奏もなんどかおこなわれた。クリストフ・ヴォルフ所長もモーツァルトのレクイエムをとりあげ、バッハからの影響についてレクチャーをおこなったりもした。しかし、もっと綿密な連携がはかられてもよいのではないか。

 たとえば、2年前のバッハフェストでは「ボンポルティ《インヴェンション》をバッハの写譜にもとづいて演奏する」と銘打ったパフォーマンスで、実際に使用されていたのは、ボンポルティ自身の初版譜のファクシミリ。しかも、バッハが写譜した以外の曲も演奏されていた。バッハ=アルヒーフの研究部門は、もっと音楽祭の企画のチェックにも目を光らせるべきではないか。ヴォルフ所長を問いただしても、「研究と演奏の連携の重要性はじゅうぶんに認識しているし、努力もしているつもりだが……。来年は、バッハの写譜によるパレストリーナの声楽曲もとりあげます。新発見の資料ですよ」とはぐらかされた。

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Bachfest07[写真9(←)一昨年に続き登場したベルリン・バロック・ゾリステンとエマニュエル・パユ(フルート)。均整のとれたバッハ、テレマン、モーツァルトを聴かせた(6月5日、旧市庁舎)。撮影:寺西肇]

 音楽祭は最終日、ヴァイオリンのライナー・クスマウル、フルートのエマニュエル・パユらによるベルリン・バロック・ゾリステン(旧市庁舎)の公演に続き、トーマス・カントルのゲオルク・クリストフ・ビラー指揮、ラ・ストラヴァガンツァ・ケルンほかの演奏による恒例の《ロ短調ミサ》(聖トーマス教会)で幕を閉じた。

Bachfest08[写真10(→)クロージング・コンサートを前に、クワイア席に陣どったラ・ストラヴァガンツァ・ケルンとトマーナー(6月5日、聖トーマス教会)。撮影:寺西肇]

 今年の聴衆は国内外から延べ1万人以上。日本からはアメリカ人に次ぐ約500人が訪れたという。その年により、多少の演奏の良し悪しはあるものの、バッハが実際に生きた地で、彼の作品に触れるのは、やはり特別な経験だ。たとえチケットをもたなくても、朝の礼拝でカンタータを聴き、賛美歌で地元の人たちと声をともに合わせれば、バッハ時代そのままの「日常の音楽」に触れることができる。いわば、バッハフェスト期間中のライプツィヒには「非日常に触れられる日常」がある。筆者はひとりでも多くの音楽好きの人びとに、この特別な体験をしてほしいと願っている。[寺西 肇]

Bachfest09[写真11(←)クロージング・コンサートを指揮したトーマス・カントルのゲオルク・クリストフ・ビラーが聴衆の拍手にこたえる(6月5日、聖トーマス教会)。撮影:寺西肇]

◎追記
 「バッハフェスト・ライプツィヒ2007」は、「モンテヴェルディからバッハへ」をテーマに2007年6月7〜17日に開催予定。ニコラウス・アーノンクール指揮のコンツェントゥス・ムジクス・ウィーン、A. シェーンベルク合唱団によるバッハの初期カンタータ(9日)、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団によるバッハの先祖の作品(15日)などが決まっているほか、リッカルド・シャイー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、コンラート・ユングヘーネル指揮のカントゥス・ケルン、クリストフ・ルセ指揮のレ・タラン・リリックなど充実の顔ぶれが予定されている。

 最新情報はバッハ=アルヒーフのホームページ(www.bach-leipzig.de)で随時、発表される。

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