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2006/09/13

「古楽特派員テラニシ」011──湯浅卓雄が語るシューマンの交響曲の魅力

Schumann モーツァルト・イヤーの陰に隠れた感もあるが、今年は没後150年のシューマン・イヤーでもある。普段以上にシューマンの歌曲やピアノ曲をとりあげた演奏会もめだつが、これらに比べれば、交響曲の人気はいまひとつ。「オーケストレーションが下手だから」ともいわれるが、はたして本当なのか──。この記念の年に国内で唯一、全曲チクルスに挑む指揮者の湯浅卓雄氏とともに、シューマンの交響曲の真の魅力を探った。

[写真1:ローベルト・シューマン(1810〜56)]

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 シューマンは1841年に最初の交響曲(第1番《春》)を完成し、1850年までのあいだに計4曲を発表。この他にも、習作とみられる初期の作品など未完成の数曲が残っている。第1番はタイトルのとおり、春を迎えた瑞々しい喜びに満ちあふれ、第2番(1844年)は彼のピアノ独奏曲を思わせる緩徐楽章が印象的。じつは第1番と同時期に作曲され、後に改作(1851年)された第4番は全4楽章が切れ目なしで演奏され、深い精神性をたたえる。そして、事実上、最後の交響曲である第3番《ライン》(1850年)は、ケルン大聖堂に霊感を得たといわれる壮大な作品だ。

Yuasa それぞれが個性あふれる輝きを放つにもかかわらず、一般的な評価の低さは「オーケストレーションの弱さ」から来るとされる。「たしかに、問題はある。そもそもシューマンは、気持ちのあふれるままにスコアを書くような作曲家だったので、細かい点にまで気を配る余裕がなかったのでしょう」と湯浅氏。「とくにバランスが悪くて“風通しの悪い”スコアで、たんに演奏するだけでは曲のテーマが埋もれてしまったりすることがある。マーラーがシューマンの交響曲のスコアに手を加えて演奏したのも、この点が不満だったのでしょう。しかし、あえて手を加えなくても、テーマを意識的に強調することなどで、魅力的な演奏がじゅうぶんに可能だと思う」

[写真2:インタビューに答える湯浅卓雄氏(2006年7月26日、大阪・リーガグランドホテル。撮影:寺西肇]

 第1ヴァイオリンに主旋律を任せきりになり、第2ヴァイオリン以下の弦楽器が刻みで伴奏する場面の多さも指摘される。しかし、たとえばオーケストラを対向配置にした演奏を聴けば、シューマンが弦楽アンサンブルに求めたであろう、“色彩”に触れる感覚になれる。

 また、シューマンがまだ管弦楽法に不慣れだった根拠の一例として、《春》が当初、当時のバルブのないホルンでは演奏の難しいB音で書きだされ、のちにD音に直されていたことも挙げられる。だが、これにも湯浅氏は「シューマン自身は、どうしてもこの音にこだわりたかったが、初演のさいに現場の判断でやむなく変更した可能性もあり、即断は禁物。自筆譜などの綿密な再検討の必要は、あるでしょうね」。

 シューマンの夭折の人生を通じての情緒不安定さが、その作品に影を落としていることは事実だ。しかし、それは音楽に必要不可欠な繊細さの裏返しともいえる。湯浅氏は「とくに、それぞれ個性的な交響曲の全4曲は、すべてシューマンその人」と表現。「ぜひいちど、4曲を続けて聴いてほしい。そうすれば、聴き手それぞれに、シューマン像が浮き彫りとなり、必ずや聴取体験の糧になるはずです」と語っている。

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 湯浅氏が大阪センチュリー交響楽団ととりくむ「シューマン交響曲全曲チクルス」は

  9月30日 第1、2番、歌劇《ゲノヴェーヴァ》序曲
  10月29日 第3番、ヴァイオリン協奏曲(ソロ:漆原朝子)、《マンフレッド》序曲
  11月21日 第4番、チェロ協奏曲(ソロ:スティーヴン・イッサーリス)、《序曲、スケルツォとフィナーレ》)

の全3回、神戸・松方ホールで開かれる(問い合わせ先:コジマ・コンサートマネジメント)。[寺西 肇]


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コメント

9月30日に行われたチクルス第1回目を聴いた。
 湯浅とセンチュリー響はオープニングの《ゲノヴェーヴァ》序曲から、アグレッシヴな好演。続く第1番《春》でも、全体として小ぶりの編成に抑えた弦楽器を臆することなく管楽器を十分かつ効果的に鳴らし、その楽想の若々しさが存分に伝わってきた。第1ヴァイオリンは所々でアンサンブルに乱れはあるものの、全体的に瑞々しい響きが心地よい。ヴィオラもよく鳴っていたが、バランス的には第2ヴァイオリンがもっと聞こえてきてもいいはずだ。特に、今回は対向配置を採用しているだけに、その非力さは気になるところだった。
 今回、特筆すべきは第2番。シューマンの交響曲全4曲の中でも、特に演奏者にとって「聴かせる」ことの難しい曲だが、全体の構成に破綻無く、しかも演奏者と聴き手の緊張感を途切れさせることになく最終楽章のコーダにもってゆき、最後には下品になる寸前まで管打楽器を鳴らしてゆくあたり、名人・湯浅の面目躍如と言える。筆者がシューマンの第2番でこれほど感動させられたことは、実は初めての経験だと告白しておこう。
 第2、3回目のステージも大いに期待できるだろう。

投稿: 寺西肇 | 2006/10/02 19:21

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