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2006/09/23

デファクト・スタンダード

【メモ】
 「blooming*sound*blog」に2004/06/21 12:01 AM投稿の「デファクト・スタンダード」および2004/09/15 06:58 PM投稿の「悪貨は良貨を駆逐する」を、2つまとめて再録。どちらも「デファクト・スタンダード(事実上の標準)」というものについての違和感をつづったものです。

 でも、最近「マイクロソフト・ワード」のファイルのまま原稿を送ってくる人の率が減ってきたような……。気のせいかな。[genki]

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■デファクト・スタンダード

 編集の仕事をしているが、この数年、原稿をメールでいただくことが多くなった。添付されてくる原稿の多くが「マイクロソフト・ワード」で作成されている。最後に「.doc」という拡張子がついているファイルだ。

 ぼくは「マカー」だ(2ちゃんねる用語でつね)。会社でも自宅でもMacintoshを使っている。だから、ぼくのコンピュータにはもともと「ワード」というアプリケーションは搭載されていない。だから、なんのことわりもなくワードの原稿が添付されてきたとき、「この送信者は、ぼくがワードをもっていないという可能性を考えていないのだな」と思ってしまう。もちろん、ワードやエクセルは追加購入してもっているし、自分でも使う頻度は高い。だから、相手が考える「誰にでもワードで送っておけば大丈夫だ」という判断は、(ちょっと癪だけど)正しかったといっていい。

 「デファクト・スタンダード」ということばがある。日本語にすると「事実上の標準」ということになるのかな。コンピュータのOSでいえば、Windowsは「デファクト・スタンダード」だし、ワープロ・ソフトの「デファクト・スタンダード」は「マカー」にとってもやっぱりワード、表計算ではエクセルだ。もうちょっと括りを広くしてみると、物書きはワープロを使うのが「デファクト・スタンダード」だし、いまや人間だったらケータイもってるのが「デファクト・スタンダード」。原稿用紙に万年筆で文字を埋めている物書きや、いい大人でケータイもってない人は「変わり者」ということになる。変わり者ですんでいるうちはいいけれど、編集の仕事をやっていて、「パソコン使えません」とか「ワードもってません」などというと、「失礼」だといわれかねない。

 ワードはたしかに便利だ。たとえば、ドイツ語のウムラウトなどの特殊記号もきれいに入れられるから、外国語を多用するような論文の執筆には欠かせないだろう。いきおい、出版社にその原稿をそのまま渡す、ということになる。渡された編集者はなにをするかというと、「先生、特殊記号もきちんと入れてくださって、どうもありがとうございます。ああ、表組みまで作ってくださったんですね。いやあ、助かりますです」などとへこへこしながら、社にもどると、やおら、その記号を「外す」作業にかかる。なぜなら、組版に使うソフトはとうぜん「ワードではない」から、せっかくウムラウトを付けてくれていても、文字化けするだけだからだ。そのような専門的なことを著者の先生に説明したって、あまり理解してもらえないし、相手によっては「どうして、わしがせっかく付けたウムラウトを外すんだ」と怒りだしかねない。したがって、編集者はあくまでも「ワードで助かります」という顔をしながら、猫の蚤取りのような不毛な作業を続けることになる。

 どうしてこんなことになったのか──マイクロソフトのせいだといいたいところだけど、ほんとうは、われわれが「おとなになった」せいだと思う。この世の中で「おとなになる」というのは、物事を根本的に考えることを「途中でやめて」しまうことなのだ。言い方をかえれば「現実と折り合いをつけることをおぼえる」んですな。「君、文句を言っていたって、現実にはワードやエクセルがないと仕事ができないでしょ? 大人になりなさいよ」といわれて、呑み込みがたいものも呑み込んで仕事を続けているうちに、「現実的になる」ことに慣れてしまう。そのうちに、著者から届いたワード・ファイルをそのまま印刷所に渡し、「悪いけど、そのワードのファイルどおりにウムラウト付けといてくんない」という編集者も現れる(はい、ワタシにも身におぼえがあります)。印刷所の人もこれから仕事回してもらえなくなったらたいへんだから、「お安いご用で」といって蚤取りをしてくれることになる。

 現実はこのようにして回ってしまっているので、もう仕方がないのかもしれない。だけど、それにもかかわらず、「根本的に」考えることがぼくたちには必要なのではないかと思う。「たしかにWindowsやワードは“事実上の標準”だ。だけれども、それは“原稿はワードで書かなければならない”ということを意味するものではないし、ワードや、はたまたパソコンをもっていない人を排除してはいけない」ということを踏まえたうえで、「現実的に」仕事をしなければならないのだ。

 先方が「パソコンを使う人」かどうか、あるいは「どんなOSを使っているのか」をかならず確認する。「ケータイをもたない人かもしれない」という想像力をつねに忘れない。電話やメールだけで交際していた人とはじめて逢ったときに、相手が盲導犬を連れていてもうろたえないだけの想像力をもつ──。ここに必要なのは、ただひとつ、「予断を避け、白紙の状態から根本的に考え抜く」という精神態度だけである。

 「グローバリゼーション」というのも「デファクト・スタンダード」と似たような、なんだかいわれのないプレッシャーを感じることばだが、「グローバリゼーション」も「デファクト・スタンダード」も、たんなる「事実」であり、「現実の一状態」を表しているにすぎない。「事実」=「真理」ではけっしてない。「事実の堆積」が真理になる、とうそぶく“えせ”マキャベリストが闊歩する現在だから、こんなことにこだわってみたくなるのだ。[木村 元]

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■悪貨は良貨を駆逐する

 ネット・サーフをしていたら、「永井俊哉ドットコム」なるサイトに行きあたった。このひと、すごい! ネット上の哲学者。それもテーマは「なんでも来い」らしい。さっそくメルマガ登録してしまいました。

 当blogでなんども話題にしている「デファクト・スタンダード」についても、簡潔にまとめられていた。たとえば、「最悪のものが市場競争に生き残る」ということについて:

悪しきデファクト・スタンダードの例としてよく引き合いに出されるのが、みなさんの目の前にあるQWERTYキーボードである。

1873年に活版職工のクリストファー・スコールズが、タイピストが速くタイプを打ってタイプライターを故障させないように、よく使う文字を隔離したキーボードのQWERTY配列を考案した。レミントン社がこの配列のタイプライターを大量生産した結果、多くのタイピストがQWERTY配列を覚えてしまったので、他のタイプライター製造会社もQWERTY配列に追随した。

やがてタイプライターの技術が進歩し、早くキーボードを打っても機械が壊れないようになった。1936年にオーガスト・ドボルザークが、指の動きを最小にする合理的なキーボード配列を考案し、入力速度を10%向上させたが、タイピストたちは、既に慣れ親しんでいるQWERTY配列のキーボードを使い続けたため、ドボルザーク配列は普及しなかった。

これはボタンの掛け違い(path dependence 経路依存)から起きる非合理である。最悪のものが、しかも最悪のものだけが市場競争に生き残るというのは、いかにもパラドキシカルである。

 いやあ、面白いなあ。ちなみに「デファクト・スタンダード」って「defacto standard」って綴るんですよ。ご存知でしたか?[木村 元]

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コメント

最近MacBookを購入したマック使いです。

確かにオリジナルの記事が書かれたほど、今はMS Wordってあまりうるさくならなくなったように思います。Unicodeが普及してきたので、特殊文字を打つのがそれほど大変じゃなくなったってことでしょうかね。それにMS Wordは重くて使いづらいということもあるかと思います。いまはNeoOfficeのようなフリーのソフトでもワードとの互換性があるので、今のところ、オフィスを買う必要性に迫られていないというのも事実です。

エディタはJedit Xを導入しましたが、ほどんどワープロじゃないかというくらいの機能がついててびっくりします。原稿用紙表示で字数換算もできるので、非常に楽です。

投稿: 谷口 | 2006/09/24 12:29

お久しぶりです。あれから私も、QWERTY配列の歴史に関してエンエンと調べまして、http://slashdot.jp/~yasuoka/journal も相当増えました。ちなみに、1873年の時点では、Christopher Latham Sholesは「活版職工」などではなく、『Milwaukee Daily News』という新聞の編集長だったようです。また、よければ私のページにもお越し下さい。

投稿: 安岡孝一 | 2006/09/24 22:17

>谷口さん

Jeditはわたくしも愛用しとります。Wordで原稿もらったときは、まずJeditで開く。そうすると、自動的に「ノミ」が取れた状態の「プレイン・テキスト」として開けるんですね。
ちなみに、普段づかいのエディタは「LightWayText」です。

>安岡さん

いま、サイト拝見しました。スコールズではなくショールズなんですね。失礼しました。
とても面白いご研究、進展を応援しております。

投稿: genki | 2006/09/24 22:29

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