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2006/09/09

realとvirtual

【メモ】旧blog「blooming*sound*blog」に2004/04/22 10:50 AM投稿の記事「realとvirtual」および2004/05/12 03:23 PM投稿の「『AERA』の2ちゃんねる批判について──realとvirtual(その2)」を、2つあわせて再録します。当時話題になっていた「イラクで邦人拘束」というニュースに直接関連する記事ですから、「古い」ものですが、ぼくのものの考え方がよくあらわれていると思うので、あえて。[genki]

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■realとvirtual

 すでに旧聞に属することだけど、「イラクで邦人拘束」のニュースを聞いていらい、「real」と「virtual」ということについて考えている。

 「自作自演」だとか「自己責任」だとか、いろんな言葉が飛び交い、政府とか野党とか人質の家族とか評論家とか、さまざまな「立場」の人たちが、それぞれの立ち位置に「応じて」さまざまな意見を述べていたのだけれど、いまひとつ実感がもてず、どことなく違和感を感じながら過ごしていた。

 人質が無事帰国し、こんどは「救出にかかった費用を税金でまかなうか否か」という議論になってきているのだが、それは、ぼくだって「自分の払っている税金が少数の命知らずのために使われる」ことを気持ちよくは思わない。けれども、けっきょく「税金を使いましょう」ということになったところで、ほんとうに「痛みを感じる」人って、どのていどいるのだろうか。なんか、「血税」などという言葉にあおられて、なんとなく人質だった彼らにたいして「もって行き場のない怒り」をぶつけているだけで、本気で「自分で全額負担しろよな」と思ってる人は少ないんじゃないだろうか。本当のところは、「ここんとこムシャクシャするから、ちょうどいい、ちょっといぢめてやろうぜ」ってことなんじゃないかな。

 ぼくがいいたいのは、ぼくたちの「real」な気持ちが、一瞬で「virtual」な言葉にかすめとられて、自分でも「real」の核が見えなくなってしまう、ってこと。ぼくのなかにも、正直いえば、あの3人+2人のことを「いぢめてやりたい」気持ちが巣くっているんだけど、それが「血税うんぬん」というような言葉で「正しく」主張されると「おいおい、ちょっと待ってよ、ちょっと違うんだけどなあ」と、とたんにおろおろしてしまうのである。

 そもそも、人質たちは「拘束」されることで、「人質」という「立場」を得た。彼らは拘束されているわけだから「主張」することは物理的に不可能だったわけだけど、その姿がテレビで映し出されることによって、「無言の主張」をした。あの5人にはそれぞれ異なった「real」があるわけなんだけど、それが「人質」という「立場」を得ることで、ひとつの「virtual」な言語を与えられた。その無言の言葉が、日本にいる家族にはビビッと伝わって、こんどは「人質の家族」という「立場」を得た彼らが──彼らには、それぞれの「real」があったはずなのに──「自衛隊撤退すべし」という「virtual」な言語を語りはじめた。それにたいして、小泉首相以下、政府という「立場」の人たちが「撤退は考えていない」と主張し、それから……と、どんどん続いていくわけだけど、ここまでをみても、人質5人+それぞれの家族、政府の人びと、と少なくとも数十人の異なる「real」が「人質」「その家族」「政府」という3つの色にわけられて、それぞれの「virtual」な役割に応じた言語をみごとに語りはじめていることに、ぼくはものすごい違和感を感じるのだ。そのうちに、国民のすべてがいくつかの色に分けられてしまって、1億何千万個かあるはずの「real」をいとも安易に数少ない「virtual」に委ねてしまって、あらかじめ用意された言説をうまいこと選び出して、語るようになる。うわあ、気持ち悪いなあ、というのが、ぼくの「real」なんである。この「real」にしても、とても単純なものなのに、それゆえに理論武装もなく脆弱で、気をつけていないとすぐになんらかの「virtual」に掬いとられてしまう。「それって、こういうことね」とラベルを貼ってくれる親切な人もたくさんいたりするのだ。「気持ち悪いから、そんなん貼るなよ」っていいたいけど、なんか貼ってもらえると、やっぱり安心したりもするんだよね。だって、それ以上、考えなくてもすむから。

 ぼくは会社で組合に入っていて、去年[注:2003年]までは委員長をやったりもしていたんだけど、80人ていどの会社のなかでも、「組合員」「非組合員」「会社側」っていう3つの色分けがあって、それぞれに「virtual」な言語を語っている。「組合的には、こう主張すべきだろう」みたいな。すごく便利なんだけど(もういちどいうけど、考えずにすむから)、やっぱり気持ち悪い。

 なんてことを、感じたままさらっと書こうと思ったんだけど、こんなに長文になってしまった。「real」の核をつかむことは、かように難しいのである。[木村 元]
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■『AERA』の2ちゃんねる批判について──realとvirtual(その2)

 『AERA』5月17日号の「『2ちゃん』化する日本」という記事を興味深く読んだ。イラク邦人拘束のさいの「自己責任論」に火をつけ、その盛り上がりを後押ししたのが2ちゃんねるだ、という、朝日ジャーナリズムのお手本のような記事ではあったが、大月隆寛氏の「これまでメディアや学校教育が抑えつけてきたさまざまな感情を素直に出せるようになったのは、むしろ健全なこと」とするコメントも紹介していて、それなりにバランスをとっていた。

 ぼくも2ちゃんねるはたまに見るのだが、たしかにあそこには独特の「発火しやすいガス」のようなものが漂っていて、ひとたび煽動者が現れると燎原の火のごとく、あっというまに“世論”が形成される。ほとんど書き込むことはしないが、岡目八目で見ていてもコワイ。標的となったら最後、ほぼ確実に葬られる。

 以前、ぼくが編集したある本を、ひとりの著名人がラジオでボロクソにけなしてくれたことがあった。本がラジオで話題になることなんてめったにないから、こっちはけっこう喜んでいたのだが、放送の直後から2ちゃんねるをはじめとする掲示板で、その著名人にたいする大批判がもりあがり、しばらくたってから著名人側から連絡があり、詫びを入れてきた。「ネットって、コワイなあ」とそのときにはじめて実感した。

 で、4月に書いた「realとvirtual」の続きとして、この世の中でぼくたちが演じている「役割」というものについて、もうちょっと考えてみたい。

 2ちゃんねるで煽られる「無名の悪意」はすごく怖いが、よく眺めていると、ただ考えなしに大勢の流れに乗る輩が多いなかでも、ちゃんと自分をもった主張をしている“住人”も確実に存在する。そして、それに耳を傾ける人びとも一定数いる。これって、ネットじゃない「リアルな」社会と、そう大差ない状況なのではないだろうか。たしかに「無記名」ゆえの書きやすさはあるだろうけど、ぼくらは気のおけない友達とのあいだで、こんな会話を交わしているのではないだろうか? ネットは怖いけれど、世間だって怖いものである。

 問題はそれに乗っかるメディア側だ。『AERA』も読売新聞が2ちゃんねるの“世論”に安易に乗っかった、と批判していたけど、それって「目くそ鼻くそ」のレベルの主張であって、読売新聞は2ちゃんねるで世論が形成されたから「自己責任論」を主張したわけではなく、いつも自分たちが演じている「役割」に忠実であったにすぎない(2ちゃんねるを見てはいただろうけど、ね)。それを批判する『AERA』だって、版元である朝日新聞社の“社是”に忠実であるだけだ。なんか、これこそすごく「安易」だと思うんだけど。

 だいたい、小泉首相が人質の家族のことを批判したことにしたって、メディア側は「世論に乗じて」などとうがった見方をする。彼にも「役割」を演じさせたいわけだ。ぼくは、彼は本気で怒っていたんじゃないかと思っているのだが、こういう「役割」を演じる人たちばっかりの世界にあって、本音らしきものを口にできるっていうのは、この人のひとつの美質だと思っている(その本音に賛同できるかどうかは別問題)。

 どうもメディア側は2ちゃんねるもひとつの言論機関、つまり自分たちと同じ「メディア」の仲間に入れたいようだ。そうすれば、「この人たちはこういう役割」とレッテルが貼れて、安心できるんだろう。でも、この「メディア」はどうにも色分けがしづらい(右も左もタカもハトもリベラルもみんないるわけだから当然)。下手に批判すると「無名の大衆」に総攻撃を受けるし──というわけで、遠巻きに見てる、というのが現状だろうか。今回の『AERA』だって腰が引けてるのが見え見えだし。

 2ちゃんねるはメディアなんかではない。ネット上のという限定がつくから「リアル」ではないかもしれないけど、自分たちをとりまく「世間」と同等の世界だと思う。みんなが発言しやすいから、ちょっと怖いだけ。そんな怖い世間のなかでも、自分がなにを考え、どう行動するかを考え、自分を見失わずに生きていけるなら、メディア的に承認された「役割」を演じながら生きることよりも、ずっと自由で気持ちがいいと思うのである。[木村 元]

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