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2006/10/16

新連載! 谷口昭弘の「アメクラ・セミクラ」001──運動会音楽になった《クシコス・ポスト》

Csikospost_senow  『レコード芸術』という雑誌の10月号で「セミクラシック」について短い記事を書いたため、最近そっち方向の資料をちょっと集めていたんのですが、先日面白い楽譜を入手しました。明治43年(1910)、セノオ音楽出版社から出された《クシコスの郵便》という楽譜(写真参照)。現在では《クシコス・ポスト》あるいは《クシコスの郵便馬車》として、とくに運動会の徒競走の音楽として知られているヘルマン・ネッケの作品です。

 楽譜じたいはヴァイリンとピアノの編曲版になっていて、あまり資料的には面白くないのですが、巻末に曲目解説として、妹尾幸陽が書いている文章がとても面白いのです。

 此の曲は、クシコスの郵便局から鞭の音勇ましく四方に配達の馬車が走り出す有様をギャロップ舞曲にしたもので、壮快です。

 《クシコス・ポスト》についてインターネットで調べてみますと、おそらくなにかの事典から引いてきたのでしょう、「クシコス」はその語源がハンガリー語 の「馬」をさす「チコーシュ」から来ており、《クシコスの郵便馬車》は誤訳である、と書いてあります。ところが、この楽譜では「クシコス」は地名であると 記してあります。さらに

 此の曲を始めて[ママ]日本に紹介した方は、宮内省雅楽所の山之井基清氏でありました。

 《クシコス・ポスト》を作ったネッケという作曲家、じつはドイツでも現在まったく無名のようなのですが、この曲がどうやって日本にやってきたのかは、とりあえずわかったといえると思います。

 ただ、もうちょっとインターネット上の資料を調べてみますと、そもそも妹尾氏の紹介が誤りだったという説を立てることも可能ではあります。じつはチコー シュという言葉には「馬」のほか、アメリカの「カウボーイ」にあたるという「馬使い」という意味もあるそうで、このチコーシュ(Csikós)は、5人の 馬を扱う曲芸乗馬をおこなうんだそうです。で、それを「Ungalische Post」というのです。

 このUngalische Postというのをやりはじめたのは1950年代だそうで、新しいものなのですが、そもそもこの曲芸乗馬は絵画にヒントを得ているそうで、その絵画というのが、Adam Kochという、19世紀オーストリアの画家のものなんだそうです。

 参考サイト(英語)
 http://www.travelintelligence.net/php/articles/art.php?id=525

 それで、ドイツ語圏のネッケが、なぜハンガリーの民謡を引用してまで《Csikos Post》という曲を作ったのかを考えてみますと、もしかすると、このUngalische
Postを描いた絵画を音で描写したのではないかとも考えられるのではないか、ということなのであります。

 参考として、まずUngalische Postの画像をご覧ください。
 http://de.wikipedia.org/wiki/Ungarische_Post

 そして、ドイツ語のサイトにはこれを「Csikós-Post」と書いた例もあります。このページ↓のいちばん下です。
 http://www.ungarn-tourismus.de/a_reiten2.htm

 もちろんこれは、あくまでもこういう情報がある、というレベルの議論でありますし、正直なところ、ハンガリーの郵便馬車については私も知識がないので、 あくまでもひとつの説としてお読みいただけるとさいわいです。もしネッケが活躍した時代の郵便馬車についてご存じの方がいらっしゃれば、教えていただけれ ばと思います。

 ところで、明治に日本に入った《クシコス・ポスト》のその後ですが、昭和に入ってからハーモニカで演奏されるようになり、昭和2年(1927)4月には 白眉出版社から、「白眉ハーモニカピース No.54」として青柳振作編曲による《クシコスポスト》が出版されています。昭和24年(1949)に出版された神保環一郎の『軽音楽を圍みて』(創元社刊。圍は囲の旧字)という 本にも、ハーモニカで演奏されているという記述があり、さらに、オットー・ドブリント・コンサート・オーケストラによるレコードの番号も明記されています (コロムビア J-1060)。

 学校のレコードとして使われた例は、ちょっと調べたところ、学趣会(http://homepage3.nifty.com/NOBE2/index.html)というサイトに、次の音盤が挙げられています。このなかで、最初のもの は学校用の音源という明記がないのですが、2番めのは、あきらかに鑑賞教材になっているようです。

 ビクター AE200 1954 クシコス・ポスト ネッケ作曲 井上二葉(ピアノ独奏)
 ビクター AE253 1955 クシコス・ポスト ネッケ作曲 小沢直与志編曲 ビクター・オーケストラ 中学・高校用鑑賞教材
 ビクター AE273 1956 クシコスの郵便馬車 カールネッケ作曲 黒羽亘編曲 全日本器楽教育研究会

 さらに、運動会用のレコードというと、このサイトで紹介されている、いちばん古い音源は、以下になります。

 「中学校 学校放送・行事用レコード」ELS-3057 1967.3 コロムビア EES-364 種目別バック音楽(1)はしる競技用、2. 徒競走向−クシコスポスト−(越部信義)

 このデータによると、「運動会=《クシコス・ポスト》」は1967年ということで、わりと最近のことなのだなあ、ということになると思います。

 というところで、ちょっとした合間にリサーチをしてみましたが、かんじんのネッケの情報は少ないですね。とりあえず、作品369の《Tanz- Freuden für Jung und Alt.》というのは見つけました。これはヴァイオリン1台か2台、あるいはピアノ伴奏を付けたりして、自由に楽しむ曲のようです。著作権は切れているの で、そのうちMIDIにして曲の感じをつかみたいものです。[谷口昭弘]

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コメント

初めまして。「クシコス・ポスト」について勉強になりました。
確かに、「csikos」はチコーシュと読めますね。
それを「クシコス」としてしまったために、
おかしな事になったのかも知れないですね。
例えば、来日したドイツ人音楽教師などに向かって

日本人「クシコスって何ですか?」
ドイツ人「何だろう? 地名かな・・・」
日本人「あぁ、地名ですか。じゃ、クシコス郵便局ね」

日本にハンガリー系の方が多く来ていれば、
早いうちに訂正できたかも。

投稿: くま | 2006/10/21 17:17

くまさん、コメント、ありがとうございます。

ネッケというドイツの作曲家が書いた作品だから、ドイツ人に詳細を尋ねた、ということだったんでしょうか。あとは想像力のなせる技ですかね。むかし郵便馬車は現金を運んでいたため高速で走っていて、それでああいう曲調になった、と説明されているサイトもあるようです。

ところで作曲家のヘルマン・ネッケについて、音楽之友社刊行の『新音楽辞典 人名』 (1982年発行) を調べてみました。1850年11月8日、ヴィーエ・バイ・アルテルンというところに生まれ、1912年2月15日、ライプチヒで亡くなっています。デューレン市の音楽監督を勤め、ピアノ小品やソナチネなどの作品を残しているそうです。

投稿: 谷口 | 2006/10/21 20:06

本題とは,直接関係ないですが,
「明治43年(1910)、セノオ音楽出版社から出された」
とありますが,実際は,
同年に初版が音楽社から出版され,
大正6年にセ社が引継いだと思われます。
(ただし,音楽社の初版は未見ですので,
2社の同時代の他の楽譜から推測。)

当時,大流行のセ社からは,
セミクラシックの楽曲が,
他にも出版されていたのでしょうか?
気になります。

投稿: 誠 | 2006/10/22 08:16

誠さん、ご指摘、感謝いたします。

改めて奥付を見ますと、「明治43年6月27日印刷、明治43年7月1日発行、大正13年4月1日13版」と書かれていました。「セノオ出版といえば大正だよなあ」と思いながら、「明治と書いてあるから、私の勘違いだろうか?」と思ってしまいました。

ここで頭の中では「確認すべき!」という警告サイレンも鳴っていたのですが、そのままにしてしまってました。申し訳ありません。ちょっと調べれば分かるように、セノオ音楽出版社が設立されたのは大正4 (1915) 年ですから、おっしゃる通り、「セ社が引継いだ」と見るのが正しいと考えます。ただ私の楽譜がすでに13版ですので (人気があったんですね、この曲) 、私の資料だけでは、その何年前にまでセノオ版が遡れるのかというのは不明ということになるのでしょうか。でも他の楽譜が大正6年なのであれば、その可能性もありそうです。

http://www.lib.kunitachi.ac.jp/tenji/2005/tenji0510.pdf

ところで日本にセミクラシックが浸透するようになったきっかけとして、学校における鑑賞教育もその一つとして挙げられるとおもうのですが、先日、私の持っている《クシコス…》と同じ年に発刊された山本壽『音楽の鑑賞教育』 (目黒書店、1924 [大正13] 年) という本を入手しました。学校現場で使ってはどうかというレコードも具体的に紹介されていて、「描写音楽」というセクションもあるようです。どういう曲がここに言及されているか、ご紹介できればと考えております。

投稿: 谷口 | 2006/10/22 14:02

ご返事頂き,大変恐縮に存じます。
重箱の隅を突付くような事を言い,
申し訳ございません。
ただ,セ楽譜およびセ社に関する記述には,
誤謬が多く見受けられ,どうしても気になり,
書込みをしてしまいました。
例えば,ご返事の中で引用したHPの内容にも,
少し間違いがあり,
今回のような,セ社の設立時期についても,
図書によっていくらか異なります。
(例http://www6.atwiki.jp/yuirin25/pages/22.html
 なお,これは更新で訂正しました。)
恐らく,谷口様と違い,
多くの人が何の疑問を持つことなく,
孫引きしているのではないでしょうか。

話は変わって,
セミクラシックと言えば,
やはり私にはアンダーソンの音楽しか,
思い浮かびません。
ライト・ミュージックや,
また通俗曲にしても,
それぞれ違ったイメージを持ちます。
描写音楽と言えば,「ドナウ川のさざ波」
「森の鍛冶屋」「森の水車」や
「舞踏会のあとの愛の夢」(作曲者省略)等。
私の中では,これらは通俗曲に分類されます。

投稿: 誠 | 2006/10/23 23:04

セノオ楽譜に関する情報、ありがとうございます。突き詰めていくと、けっこう奥の深いものですね。大正4年が正解なのですね。参考にされた文献は、トップ・ページに挙げられていたものでよろしいでしょうか?

セミクラシックにライト・ミュージック、通俗曲…。いろいろ呼び名がありそうですね。2週間ほど前、砂川しげひさ さんがお書きになった『コテン音楽帖』という本を借りてきました。この本の中に「セミ・クラシックの復権」と題されたセクションがございます。2ページばかりの短いセクションなんですが、ここで砂川さんがお挙げになった作品をリストしてみますと、

タルティーニ 《悪魔のトリル》
ベートーヴェン ロマンス ヘ長調、同 ト長調
リスト 《愛の夢》
クライスラー 《愛の喜び》、《愛の悲しみ》
ドルドラ 《スーヴェニール》
バッハ 《G線上のアリア》
サラサーテ 《チゴイネルワイゼン》
サン=サーンス 《助奏とロンド・カプリチオーソ》
ケテルビー 《ペルシャの市場にて》
プライヤー 《口笛吹きと犬》
マスカーニ 《カヴァレリア・ルスチカーナ》間奏曲
バダジェフスカ 《乙女の祈り》

という感じになっています。

10日くらい前に届いた、イギリスのハイペリオンから出ている『European Light Music Classics』にはワルトトイフェルの《スケーターズ・ワルツ》が入ってますし、この姉妹編の『American Light Music Classica』には《口笛吹きと犬》、スーザの《ワシントン・ポスト》、デヴィッド・ローズの《ホリデイ・フォー・ストリングス》なんかも収録されております。

もしかすると、漠然とセミクラシック/ライト・ミュージック/通俗曲として汲み取った楽曲が、人によって全く違ったものになるという可能性もありそうです。

もっとも神保環一郎の『軽音楽を圍みて』ならば、上記のものが全部入ってても間違いなさそうではあります (^^;;

投稿: 谷口 | 2006/10/24 00:20

>誠さん

上記「大正4年が正解なのですね」について:
もう一度サイトを拝見しました。
すいません「西洋音楽の普及に努めた妹尾幸陽が明治43年より発行していた楽譜集」があって、そのあと出版社設立になるのですね。う〜ん。勉強になりました。

投稿: 谷口 | 2006/10/24 00:35

砂川氏のリストですが,
私の中では完全にクラシックの分類です。
CDの方では,「スケーターズ・ワルツ」は通俗曲。
スーザの吹奏楽曲は何だろう?敢えて言うなら,
いずれの作曲家のオリジナルな吹奏楽曲は,
吹奏楽としか分類しようがないです。
「ホリデイ・フォー・ストリングス」は未聴ですが,
『軽音楽便覧A-L』(日本放送協会1959)
に記載されおり,軽音楽に分類されるかな。
なお「口笛吹きと犬」も未聴で分類対象外です。

色々書いている内に,
混乱させてしまいました。
正解は,以下の通りです。
 大正4年 … セ社設立
 大正5年 … セ楽譜の発行開始
これだけの事なのに,
自分の文章力の無さに,
ほとほと呆れてしまいます。
参考文献は,図書館や個人所蔵の,
当時の楽譜と目録や雑誌『月刊楽譜』です。
一般図書で纏まった,二次的な文献としては,
 『歌の絵草子』(龍星閣1966)
 『竹久夢二「歌曲の彩り」展』
 (竹久夢二美術館における展覧会の資料)
ですが,これらにも多少誤りがあり,
また,夢二装幀以外のものについては,
殆ど触れられていません。
従って,「クシコス・ポスト」も。

投稿: 誠 | 2006/10/24 23:16

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