「古楽特派員テラニシ」012──大バッハ最古の楽譜
+ + + + + + + + + +
これらの楽譜は、ワイマールのアンナ・アマーリア図書館の蔵書から、バッハ・アルヒーフのペーター・ヴォルニー主任研究員らが発見した。かつてはゲーテも運営に参加した同図書館は、18世紀以来の伝統と100万冊近い蔵書を誇っていたが、一昨年9月に起きた火災により焼失した。焼け残った蔵書からは昨年、バッハ作曲の未知のアリア《全ては神と共にあり、神なきものは無し》(BWV1127)の自筆譜も見つかっている。
今回発見されたのは、バッハが13歳だった頃(1698年頃)と、15歳(1700年)のとき、他の作曲家による作品を筆写した楽譜。五線譜ではなく、オルガン用のタブラチュアで記されている。
前者の原本は北ドイツのリューベックで活躍したディートリヒ・ブクステフーデ(1637〜1707)作曲のオルガンのためのコラール・ファンタジー(讃美歌幻想曲)《いまぞ喜べ、愛するキリストの使徒よ》。中部ドイツ・オールドルフに住む長兄のヨハン・クリストフのもとで暮らしていたとき、兄からオルガン練習用に手渡された楽譜を筆写した。
[写真2:バッハが15歳で筆写したラインケンの《バビロン川のほとりにて》]
後者の原本は、北ドイツ・ハンブルクで活躍していたヤン・アダム・ラインケン(1623〜1722)のオルガン曲《バビロン川のほとりにて》。バッハがリューネブルクの聖ミカエル教会学校に通っていたさい、同地の聖ヨハネ教会で活躍していたオルガニスト、ゲオルク・ベーム(1661〜1733)のもとで筆写。少年バッハは帰途に夕立にでも遭ったのか、雨によると思われるインクのにじみがある。
これまで、バッハの修業時代の楽譜は、18歳ごろ以降のものがわずかに残されているだけだった。そのころの様子については、バッハの没後に彼の二男カール・フィリップ・エマヌエルが記した伝記『故人略伝』によって知られていた。今回の発見で、ここに記載された事項の真偽が実証されると同時に、今まで知られていない事実が明らかになると期待されている。
また、これらの筆写譜がワイマールで見つかった理由としては、のちにバッハが宮廷オルガニストなどを務めたワイマールから、次の勤務地のケーテンに移る1717年に、彼の弟子で後任でもあるヨハン・マルティン・シューバルト(1690〜1721)に贈られたことが推測されている。アンナ・アマーリア図書館では誤って「神学書」項に分類されていたため、今まで発見に至らなかった。
年齢を重ねるとともに微妙に変化するバッハの筆跡は、楽曲や資料の年代特定の重要な鍵となる。英クィーンズ大学の富田庸教授は「研究者の間では、昨年の未知のアリアが見つかったのをしのぐ大発見といわれている。とくにこの頃の資料は、年代確定が難しく、年代の特定がこれほど狭い範囲でできたことは、今後のバッハの(年代ごとの)筆跡研究にも寄与するだろう。そして、これまで間接的にしか知られなかった彼の少年時代の音楽活動が、一次資料で裏づけられる可能性がある」と話す。
また今回、これらの筆写譜とともに、《カノン》で知られるヨハン・パッヘルベル(1653〜1706)作曲のオルガン曲《バビロン川のほとりにて》《憐れみたまえ、永遠なる父なる神よ》のシューバルトによる筆写譜も、併せて発見された。どちらも、これまで知られていなかった作品だという。[寺西 肇]
▼バッハ/オルガンのCD(by Amazon.co.jp)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。








コメント