ことばの洪水のなかで──《元禄忠臣蔵》第1部(2006/10/20@国立劇場)
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国立劇場開場40周年記念公演。これまで、明治新歌舞伎の名作として語りつがれながらも、その全貌を知ることのできなかった大作《元禄忠臣蔵》を、3カ月通して、いっきに上演してしまおうという試みだ。また、完全上演は「内蔵助役者」とよばれた初代松本白鸚の夢でもあったそうで、それを息子の松本幸四郎(第3部)と中村吉右衛門(第1部)が演ずるという、粋な趣向もこらされている(第2部の内蔵助は坂田藤十郎)。
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まず感じたのは、歌舞伎座ではこの全編通し公演は難しいだろうなあ、ということ。台詞が多く、動きが少ない。わかりやすくいえば、むずかしくて地味なのである。でもそこが、この歌舞伎の魅力でもある。
心理劇に終始して派手な見せ場の少ない劇の進行を前にして、まるで大石内蔵助の昼行灯ぶりにジリジリ、イライラする家臣たちの気持ちが乗りうつったかのように、観客はさまざまな思いを胸に去来させるだろう。みずからも内蔵助と家臣たちの評定に加わっているがごとく、観客ひとりひとりが“決断”をせまられているかのようだ。そしてそれが、作者・真山青果の企図したことでもあったろう。
主君・浅野内匠頭の切腹、御家御取潰し、赤穂城明け渡しという非常事態をまえに、大石内蔵助はなかなか決断をくださない。はじめは300人からの家臣が一致団結して籠城・討死の評決をしていたのが、日を経るごとに200人、130人と減り、逐電する重臣もでる始末。〈最後の大評定〉に参じたのは、わずか56人だ。
「眼中の宝玉、掌中の珠」とよぶその56人にたいして、なおも血判連盟をもとめたうえで、内蔵助ははじめて胸中をあかす。全員浪人となり、ご公儀(幕府の意向)への批判はいっさいせず、ただ主君の敵・吉良上野介ひとりを討ち取ること──。
しかし、これもまた、内蔵助の真意ではない。かれの腹の内を知ることがかなうのは、幼なじみであり、20年前に先代の主君から勘当された身であるために仇討ちに参加できず、切腹して忠義をしめした井関徳兵衛のみ。それも、いまわの際に耳許で告げられるのだ。
そうまでして、なぜ内蔵助はみずからの真意を隠すのか──。ことばにしたとたんに、内面の意志はひとつの外部となり、なんらかの評価をうける。それによって、その意志に根ざしていたはずの真実は、この世のしくみに絡めとられてしまう。それを、かれはなによりも怖れたのだ。
この歌舞伎は、とにかく台詞が多い。登場人物がこれでもか、これでもか、と台詞をたたみかける。そのことばの洪水のなかをかきわけ、泳ぐようにして、内蔵助は自分のこころを守りぬく。同志が300人、200人、100人、50人と減っていくにつれて、かれはことばのなかにひそむ「この世のしくみ」を剥ぎとってゆく。
「ほめられるような忠義は、きらいだ」──父に決断をせまるため、殊勝にも14歳にして元服を願いでる息子にたいして、かれが父として諫めることばだ(正確な台詞でないかもしれないが、ご容赦を)。ぼくはこのことばが大好きだ。かれは息子の行為を「善い」とも「悪い」とも評価しない。ただ、「きらいだ」とだけ、しかしきっぱりと断ずる。息子も父のそのぎりぎりの想いを感じて、納得するのだ。
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吉右衛門の内蔵助は、複雑な近代人的人格を表現して好演。富十郎の徳兵衛は、すこし台詞を噛むところがあったが、地で演ずるようなおおらかな芝居で、ともすると精神論一本槍になりがちな舞台に趣をそえた。とくによかったのは、多門伝八郎と堀部安兵衛の2役を演じた中村歌昇。幕府の役人でありながら、武士として人間としての正義をうったえる硬骨漢と、情にもろい豪傑をよく演じわけた。[木村 元]
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