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2006/11/17

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」015──濱田滋郎+アントネッロ(2006/11/07)

NEC古楽レクチャーコンサート「古楽と民族音楽」
 2006年11月7日(火)19:00 トッパンホール

◎曲目
[第1部]1.聖母マリアのカンティガより《これから私は尊敬された》
     2.お話:濱田滋郎
     3.聖母マリアのカンティガより《薔薇の中の薔薇》
       同《聖処女を信頼して祈る者は誰でも》
     4.お話:濱田滋郎
     5.ひょうたん(作者不詳)〜ロドリーゴ・マルティネス(作者不詳)
     6.お話:濱田滋郎
     7.チャコーナ《素敵な人生》
[第2部]1.対談:濱田滋郎×濱田芳通
     2.レセルカーダ・プリマ(ディエゴ・オルティス)
       〜アモールが彼女たちをまごつかせた(ファン・イダルゴ)
     3.トナダ《ダイアモンド》(作者不詳:トルヒージャ写本)
       《熾天使よ優しい和音で》
     4.コレンテ(バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラヴェルデ)
       〜キリストの降誕祭のカチュア(トルヒージャ写本)
     5.ラ・トラコテア
[アンコール]今日は遊んで食べよう

◎出演
講師 濱田滋郎
演奏 アントネッロ:濱田芳通(リコーダー、コルネット) 
          石川かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
          西山まりえ(ルネサンス・ハープ、チェンバロ)
          和田充弘(パーカッション)
          花井尚美(歌)
          藤澤えりか(歌)
          岡庭弥生(歌)
          春日保人(歌)

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 「古楽と民族音楽」──民族音楽などの要素を大胆にもちこむことにより、従来の古楽の壁を突き破って前進を続ける今日のアントネッロにとって、まさにこれ以上最適な題目はないだろう。そのうえ、ラテン音楽と古楽研究の大家、濱田滋郎氏と濱田芳通さん(同姓は、もちろんたんなる偶然である)の初顔合わせという、これはもう聴くまえからこちらのワクワク度も100%の今回のレクチャー・コンサートは、けっきょくは濱田芳通さんとアントネッロによる、この2つの音楽を止揚した類まれなる実演の連続にほかならなかった。ともあれ一言で感想をいえば「アントネッロは365日進化する!」。

 たとえば第1部の冒頭のカンティガは、今年6月の目白バ・ロック音楽祭のオープニング・コンサートでの衝撃的なパフォーマンスの興奮がまだ醒めやらない演目であるし(近くスタジオ録音のアルバムもリリースされる)、第1部ラストのチャコーナはアントネッロのかねてからのオハコのひとつ。そして第2部のペルーの《キリストの降誕祭のカチュア》も、同じく6月の目白バ・ロック音楽祭の、これはクロージング・コンサートでの熱い演奏と歌が耳に焼きついて離れない。このように新旧のお馴染みの曲目も演奏されたステージであったが、これらをアントネッロはけっして同じようには演奏しないのだった。

 まず、濱田さんをはじめグループ全体の演奏が、よりいっそうの確信に満ちて「民族音楽的なうねり」を強く感じさせるものになっていて(じっさい、ルバートというテンポを揺らす演奏技法も、研究のポイントのひとつになっているとのことであったが)、これが演奏技法とか、たんなる新しい表現の形といったレベルをはるかに超えて、演奏者の肉体と一体化した、完全にナチュラルなヴァイブレーションを感じさせた。

 個性的な歌手陣の歌声についても同様で、今日のアントネッロのひとつの華といえる春日さん×藤澤さんを中心にした掛け合いはもちろんのこと、《薔薇の中の薔薇》でのまさに入魂の西山さんの歌唱、そしてエモーショナルを炸裂させる方向に大きく踏みだした花井さんの歌唱など、いずれもさらに確信を深めて前進している印象を受けた。昔から鈴木美登里さんなど何人かのリード・シンガーを迎えて(あるいは器楽だけで)、いくどとなく名演奏を繰り広げてきたチャコーナにしても、春日さんのリード・ヴォーカルによる最新ヴァージョンはまた、じつに新鮮なものであった。そして随所に登場する濱田さんや西山さんの、文字どおり手に汗にぎる超絶即興演奏……。最高の愉悦にひたりながら、筆者は目前で展開されている音楽をいったい何と形容すればよいのだろうか、といくどとなく自問(愚問)してしまった。

 先の「うねり」ひとつをとっても、従来的な意味での古楽=クラシックのグループのパフォーマンスには絶対ありえないようなまったく自由で肉体的な感覚であり、しかし同時にきわめて頭脳的な精緻さと極限のヴァーチュオシティが炸裂するこの演奏は、普通の意味での民族音楽的な演奏でもありえない。これはもうほんとうにアントネッロだけの奇跡の音楽世界なのだ。

 《ひょうたん》や《ラ・トラコテア》のような新しい演目でも、このような無二の音楽世界が激しく展開されたことはいうまでもない。さらに付け加えれば、岡庭さんによる語りのような圧巻の歌唱やみごとなスロー・ダンスも、新しい魅力をアントネッロに加えていた(ひとつだけ希望を書かせてもらえれば、訳しようもないほどナンセンスということでプログラムの訳詞が省略されていた《ラ・トラコテア》の歌詞が具体的に何と歌っているのか、どのように意味がはちゃめちゃなのか、パフォーマンスが鮮烈だっただけにいっそう知りたくなったことぐらいだろうか)。

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 鬼才、濱田芳通さん率いるアントネッロが今後どんな方向へ進むのかは、凡人である筆者の想像のおよぶところではもちろんないが、今回のコンサートでも一部のパフォーマンスで暗示されていた西洋音楽と日本の音楽との関連性(これは以前から濱田芳通さんが言及されていることである)も、長期的にはひとつのテーマとなっていくのだろうか。

 ともあれアントネッロがこれからも斬新な音楽体験(これこそ音楽を聴く者にとっての最高の悦楽である)を次々と与えてくれることはまちがいなく、彼らの活動からは片時も目を離せないのである。[白石和良]

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