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2006/11/20

他人の理解を拒む内蔵助の孤独について──《元禄忠臣蔵》第2部[2006/11/15@国立劇場]

Genroku0611 ◆国立劇場十月歌舞伎公演《元禄忠臣蔵》第2部(4幕10場)
 《伏見橦木町》《御浜御殿綱豊卿》《南部坂雪の別れ》
 2006年11月15日(水)12:00〜16:00 国立劇場大劇場
 [初日=11月3日(金・祝)/千穐楽=11月26日(日)]

◎配役
 大石内蔵助/坂田藤十郎
 富森助右衛門/中村翫雀
 徳川綱豊卿/中村梅玉 ほか

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 真山青果の大作《元禄忠臣蔵》を、3カ月かけて完全上演するという画期的な公演の2カ月め。10月の中村吉右衛門にひきつづき、第2部は上方の坂田藤十郎が大石内蔵助を勤める。

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 浪人となった赤穂浅野家家臣たちの焦りと葛藤がドローン(通低音)として響くなか、遊郭での放蕩にふける大石。この第2部の大石は、終始晴れたところのないつらい肝〈はら〉を演じなければならない。ところどころで、その肝が明かされるようにみえる部分もあるが(第1幕の息子主悦らに「至誠が第一、敵討は第二」と説き聞かせるところ、第3幕の富森助右衛門が大石を代弁するかたちで徳川綱豊とやりあうところ、第4幕の最後など)、それでも重苦しい気分が晴れるわけではない。

 大石というひとは、徹底的に他人の理解を拒んでいるようなところがある。時の民衆や同志たち、主君の未亡人たる瑤泉院、そしておそらく後代に歴史をひもとくわたしたちや、みずからを演ずる役者にたいしても、にべもなく「人の心を理解することなどできない」と言い放つかのようだ。

 作者の真山青果にとっても、大石という人間は最後まで謎だったにちがいない。その謎にとらえられたがゆえに、かれはこの大作を手がけることとなったのだろう。そしてついに、その答えを得ることはかなわなかったであろう。われわれもまた、この作品を観たところで、謎は深まるばかりである。

 そんななか大石はひたすら韜晦につとめ、周囲の「わかろうとする心」をはぐらかし、かぎりなく深い孤独へと沈潜する。かれが遊郭に入りびたるのは、「世をあざむく計略」などではない。世の「まこと」とやらから背をむけ、その日かぎりの快楽に身を焦がす遊郭の人びとの生き様に、かれはみずからの孤独と同じ深さを感じたのであろう。

 人間はどこかでこの世と折り合いをつけなければならない。大石とて、敵討というかたちで、生涯に決着をつけなければならないことはわかっている。しかし、そこにも至誠の道はない、ということも、かれは痛いほどわかっていたことだろう。かれの「至誠第一」は、主君への忠義というようななまやさしいものではない。まず第一に「自分自身への至誠」こそが、優先されねばならないのだ。

 自分自身への至誠は、ときに世の中の「至誠」をかんたんに砕き割ってしまう破壊力をもつ。それを怖れたがゆえに、かれは「その日暮らし」の毎日、ひたすら受け身の毎日を送ることで、結論を先延ばしにしつづけるのだ。

 大石と相まみえることなく、しかしその心をもっともよく見抜いている綱豊とて、この大石の孤独の深さにまで降りることはできない。かれは、「天下有用」を説く師・新井白石の教えにしたがい、憂世で為さねばならぬ事業があるからだ(だから、綱豊の遊蕩こそ、「人心をあざむく計略」といえる)。

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 この晴れることのない孤独を、藤十郎はひたすら誠実に演ずる。役者は役の心根をわかったうえでなければ演じられない、といわれるかもしれないが、藤十郎とて、大石の心を心とすることはできないだろう。いたずらに解釈し、わかったような演技をするのではなく、台本〈ほん〉に書かれていることを誠実に演ずる──それが大石にたいして(というより、すべての人にたいして)できる最大の心づくしであろう。

 綱豊の梅玉(10月は浅野内匠頭役)は、貴人のさわやかさと、大石のそれとは違った楽天的な孤独をよく演じて、助右衛門の翫雀とともに、重苦しい幕がつづくなかでの清涼剤となった。[木村 元]

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