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2006/11/29

作曲とは聴衆の耳への想像力である──小沼純一+片山杜秀講演会(2006/11/25|早稲田大学)

◆早稲田大学比較文学研究室秋季公開講演会
 2006年11月25日(土)15:00 早稲田大学文学部

◎講演者/演題
 小沼純一「〈作曲〉の位相──21世紀における」
 片山杜秀「近代主義・日本主義・アジア主義──戦時期日本の音楽と思想をめぐって」

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 「作曲」という行為、概念をめぐって、戦時期と21世紀という異なった時代において、どんな思索や実践がおこなわれ、またどんな情況が出来したか──興味ぶかい講演会だった。

 万人が了解しているかのようにみえる「作曲」ということばが、多くの場合、「作曲家」ということばと結びつくことによっていまも一般に使われるものの、じつは単独では日常的に使われなくなっているのではないか──小沼氏の問題意識は、表層的・日常的な次元から、ことばの意味を根本的に問い返していく。

 語義からいえば「ともに(con)置く(positio)」ことであり、それゆえ「組み合わせる」という意味合いをつよく含み、「推敲して楽譜に定着させる」というイメージをもつ「conpose」と、あくまでも歌い手が主体であって、伴奏や歌そのものも即興的に変化させられる可能性のある「songwriting(歌を書くこと)」とを対比させたり、作曲の目的であったはずの「作品」という概念そのものが、録音メディアの変化や、偶然性をとりいれた作曲技法の出現などによって変容していくさまを跡づけたり──たんにぼくたちの認識をずらし、相対化するだけではなく、ことばの本質へと切り込んでゆく小沼氏の姿勢は、最近4冊めとなる詩集を上梓した詩人としての側面をも感じさせるものだった。

 はじめから「結論のない問い」とことわったうえで始められたこの講演だったが、音楽という、おそらく「music」というひとつの概念ではもはやなく、「musics」と複数形で記されるべき、ある情況の総体が、饒舌なことばのコラージュによって──そう、それをあらわすにはその方法しかなかっただろう──、たしかにひとつの全体として浮かびあがる。その全体を感得し、その情況のなかで、あるいはその情況とともに、ぼくたちがどう生きるか、ふるまうかということが、ひとつひとつ個別の「結論」となる、ということかもしれない。

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 いっぽう、片山氏は対照的に、ひじょうに具体的な「史料」をひとつひとつ提示し、独特の大胆な解釈によって、相互に関係のないように思われる個別的な事象を串刺しにして、「歴史」という物語をつむぎあげる。その解釈のたしかさは、氏があたった膨大な音楽作品、文献、証言などのリアルな物量によって担保され、裏づけられている。氏は政治思想史研究家としても知られるが、たんに表面的な思想潮流の流れを、音楽史にあてはめるような皮相な解釈ではなく、その時代のひとの目で当時の文献を読み、その時代の耳で音楽を聴くことによってのみ得られるいつわりのない実感を、視座の中心にすえており、そこがぼくたちにたいする説得力となっているのだ。

 1912年(大正1)に山田耕筰の《序曲》によって、ヨーロッパ前期ロマン派の精巧な模倣として実現したわが国の国際的作曲水準は、「ドッグイヤー」的な駆け足で1930年代には伊藤昇、大澤壽人らの表現主義的・前衛的な手法へと発展するが、それはある意味かれらが模範としたヨーロッパの音楽史を、ヴァーチャルに追体験した内実のないものであって、その後かれらは「聴衆」という壁につきあたる。どれだけ先鋭的な試みをしようとも、それを理解し評価する「耳」が存在しなければ意味がないのだ。その後作曲家たちは、時代や聴衆の「要請」を感じとりながら、それにあわせて創作の可能性をさぐる道をとるようになる。

 機をみるにさとい山田耕筰は、すでに1921年に交響曲《明治頌歌》における雅楽の響きの模倣によって、「日本主義」の先鞭をつけていた。その日本主義は、1930年代の終わりから菅原明朗、橋本國彦、深井史郎らが、ヨーロッパ流の対立・止揚という弁証法的構築ではなく、ひとつの旋律を反復し、展開し、高揚させるラヴェル《ボレロ》的な手法を援用することで、戦略として確立した。そして、戦時下の時流とともに、その日本主義はアジア主義へと変質してゆく──。

 片山氏によれば、重要なのはこの戦略とか変質が、上からの検閲とか要請に直接に従ったものではなく、もっぱら「聴衆の耳」というあいまいで移ろいやすいが、それでいてもっとも拘束力のあるものを相手にして、作曲家みずからが主体的にえらびとった道であった、ということだ。

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 2つの講演を聴いて、おぼろげだけれどもつかむことができたイメージがある。直接には、小沼氏の講演で提示された「作曲とはなにか」という問いへの答えでもあるが、「作曲というのは、人間の意識を音によって方向づけ、聴き手の耳になにが、どのように聴こえるかを想像すること、あるいはその想像力そのもの、と定義づけられるのでないか」ということである。作曲の様態がいかに変わろうとも、そして作品の概念がいかに変容しようとも、この定義は通用するだろう。

 大正から昭和初期の作曲家たちが、身をもって、作品をもって端的に示したのは、「聴衆がなければ、作曲はできない」ということである。1930年代にある高みに到達していたはずの日本の作曲が、その後前衛性を捨て、ある意味退行したようにみえるのは、時代の圧力におもねったからではなく、「聴衆にどう聴こえるか」への想像力をもつことの必要に作曲家たちが気づき、あらためて「聴衆の耳の具現化」としての作品の構築にとりくんだからではないだろうか。[木村 元]

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