小鍛冶邦隆の「Carte blanche」002|現代音楽演奏における教育の役割とは──「競楽VII」本選レポート
◆第16回朝日現代音楽賞/第7回現代音楽演奏コンクール「競楽VII」本選会
2006年12月3日(日)14:00 けやきホール(代々木上原・古賀政男音楽博物館内)
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先日、このブログでご報告した「競楽VII」第1次、2次予選を通過した9名が、12月3日(日)におこなわれた本選に出場した。結果の詳細については日本現代音楽協会のホームページをご覧いただきたい。この報告では、筆者がコンクールを通じて感じた、現代音楽演奏の問題にふれてみたい。
第1位・朝日現代音楽賞を受賞した間部令子(フルート)は、すでにアメリカで現代音楽演奏のキャリアを開始しており、Ph. ユレルの《エオリア》や湯浅譲二《ドメイン》において自在な演奏をみせてくれた。また、木下大介(フルート)も審査員特別奨励賞を得るなど、日本におけるフルートによる現代音楽演奏の水準の高さを示した。第2位のピアノ・デュオ、藤井隆史&白水芳江は、古典的意味における演奏水準の高さのみならず、G. クラム《天体の力学(マクロコスモスIV)》でみせた現代音楽演奏の専門的な能力も説得力を感じさせた。
第3位の高校3年生、見崎清水は、ブーレーズ《12のノタシオン》を演奏して聴衆賞を獲得した小学6年生の奥田ななみと同様、ブーレーズの《ピアノ・ソナタ第1番》を堅実に弾き、他の演奏曲──デュティユー《コラールと変奏》や野田暉行《オード・カプリシャス》──における古典性の延長線上に現代音楽を捉えている(彼女たちにみられるように、現代音楽でも古典同様に暗譜演奏が普通となったといえる)。
とりわけブーレーズの音楽には、正確なソルフェージュ能力と高度な楽器演奏技術が求められるので、あるていどの年齢に達してから現代音楽に興味をもつといった自発性よりも、基本的能力の訓練期間にこうした音楽に適応する能力を習得させる必要がある。学習者の素質のみならず、現代音楽も含めたレパートリーを教えられるかどうかといった教師の資質が問われるといえよう。
現代音楽を古典的レパートリーの延長線に位置づけ、ソルフェージュ訓練にかんしても、現代音楽の読譜や演奏に必要な能力にいたるまで学ばせる必要がある。10代前半で古典同様に現代音楽にも演奏能力をもつということは、一般的ではないとしても、けっして特別なことではない。
もちろん現代音楽の演奏家には、さらなる未知の音楽の可能性を追究することが求められる。しかしながら現代音楽ファッションでない、同時代の音楽に実質的にとりくむことを可能にする能力は、個人的資質よりもむしろ、教育の質の高さに求めなければならない、ということを感じさせた現代音楽演奏コンクールであった。[小鍛冶邦隆(作曲家)]
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