作者の霊感の泉に直接つながった舞台|モンテヴェルディ《オルフェーオ》[2007/04/05|ムジカーザ]
◆モンテヴェルディ/音楽物語《オルフェーオ》(1607年初演)
字幕付き抜粋上演
2007年4月5日(木)19:00 ムジカーザ
◎出演
オルフェーオ:中鉢聡(T)
エウリディーチェ、希望、エコー:柴山晴美(S)
ムジカ、ニンファ、使者、プロセルピナ:波多野睦美(Ms)
羊飼い:高橋美千子(S)
カロンテ、プルトーネ:藤澤眞理(Br)
◎演奏
バロック・ヴァイオリン:宮崎容子
リュート:つのだたかし
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏
ポジティヴ・オルガン/チェンバロ:上薗未佳
◎演出:ティモシー・ハリス
衣装美術:望月通陽、克都葉
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ひとつまえの記事でご報告したようなことがあり、この4月からは新生活が始まったわけだが、なんとなく「自分へのごほうび」といった気持ちでひさしぶりに演奏会に。この公演の制作の一翼をになったダウランド アンド カンパニイが配信する「ダウランド通信」では数号にわたって「読んでから行こう」と題してあらすじを紹介してくれているので、それをプリントアウトして電車のなかでまとめて読む。京王線の窓から満開の桜がちらちらとのぞき、気分がよい。
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100名のインティミットな音楽空間「ムジカーザ」でオペラ? そのことだけとっても、期待がいや増す。あの制限のある空間をどのように劇場と化すのか、モンテヴェルディが造形した10人以上の登場人物を、わずか5名の出演者でどのように演じわけるのか──。
結果は、期待どおり。まず、舞台美術と衣装が素晴らしい。波多野睦美とつのだたかしのアルバム・ジャケットなどでおなじみの造形作家・望月通陽によるデザインは、最小の筆づかいで最大の効果をあらわす象徴的なもの。それでいて、現代的なオペラ美術とは一線を画し、このちょうど400年前につくられた作品と同じ泉からイマジネーションをすくい上げたような連続性を感じさせる。
ティモシー・ハリスによる演出も、最少の人数による演じわけを逆手にとって、ひとりの出演者が異なる人物を演じ歌っていても、その奥底ではそれが同一の人格類型につながっていることを感じさせる。エウリディーチェが「希望」であり「エコー」でもある、ということが観客には違和感としてでなく、同じ人格のいくつかの異なる面を見せられているように自然に感じられるのだ。
あえてことばにすれば、エウリディーチェ/希望/エコーは手を伸ばしてもけっして届かない美とか愛をあらわし、ムジカ/ニンファ/使者/プロセルピナは劇の進行をうながす触媒のような役まわりであり、このドラマのなかでは唯一積極的にみずから行動する人物だが、つねに運命の前に無力感を感じている存在──ということになるだろうか。
オルフェーオはいちおう「神の子」という設定だし、超自然的な歌の力で獣や冥府の番人などをあやつる能力をもってはいるが、このドラマのなかでは「求めても得られない美や愛にあこがれながら、最後にはそれらを憎み、絶望する近代的人格」をあたえられており、それと対照的に自然とつながり、感じるままに泣き笑う牧童とともに、演じわけのない一個の「人間」として造形されている。
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音楽は羊飼いの高橋が、暗く観念的になりがちな舞台に一輪の野花を添えるような清新な歌唱・演技で、とくに素晴らしかった。また、藤澤のカロンテ/プルトーネももちまえのリリックかつ威厳のある歌唱の魅力が最大限に発揮されていたと思う。[木村 元]
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