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2007/05/08

内部と外部との転倒|ベンヤミン・コブラーplaysシュトックハウゼン

◆eX.2「ベンヤミン・コブラーplaysシュトックハウゼン」
 2007年5月7日(月)19:00 ISHIMORIイベントスペース

◎曲目
 カールハインツ・シュトックハウゼン/《KLANG》より
 第3時間目《自然の持続時間》(2005-06)第1〜15曲(日本初演)

◎演奏
 ピアノ:ベンヤミン・コブラー

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 川島素晴プロデュースの現代音楽演奏会シリーズ「eX.(エクスドット)」の第2回。シュトックハウゼン自身から学んだドイツのピアニストによるシュトックハウゼン作品の日本初演とあって、50名ほどの熱心な聴衆がつめかけた。

 タイトルにある「自然の持続時間」とは、音響の持続時間や演奏者の呼吸の持続時間、はたまた演奏者の技量による指の速さなどを意味し、曲ごとにどんな持続時間にしたがうかが決められている。音楽の主要要素のひとつであるリズムを、音楽に内在する絶対的自律的要素としてでなく、ある意味、外部にあるものによって決定される相対的他律的要素としてあつかうというアイディアだ。

 演奏者は楽譜に細かく定められたセリーなどをこれまた作曲家がさだめたリズムによって演奏するが、そのリズムは音響の持続や呼吸の深さやみずからの演奏技術などにおうじた、いわば「メタ=リズム」によって制御される。演奏者は演奏というアウトプットをしながら、みずからの身体や外部のアンビエントなどを「聴く」=インプットすることを要求される──むしろインプットがなければアウトプットが根拠づけられない。

 そのとき、外部にあると思われた「自然の持続時間」がじつは内在的自律的なものとなり、作曲家がさだめた楽譜上の音楽が他律的な存在となる──という転倒が起こる。同時に聴衆は、音楽を、ではなく、みずからの呼吸を、みずからをとりまく音響を、そしてみずからの音楽理解の度合いを、みずからの裡に「聴く」ことになる。

 それこそが「音楽」だ、とシュトックハウゼンはいっているのではないだろうか。[木村 元]

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