こころの中に“うた”をもつギター|波多野睦美+つのだたかし[2007/09/24|ハクジュホール]
◆ハクジュホール古楽ルネサンス2007第4回
「夏のなごりの薔薇」
2007年9月24日(月・祝)14:00
ハクジュホール
◎曲目(※=ギター・ソロ)
W. A. モーツァルト/さあおいで愛しいツィター(K351[367b])
同/夕べの想い(K523)
F. シューベルト/野ばら(D257)
同/夜の歌(D672)
M. ジュリアーニ/アレグレット※
F. ソル/《歌とギターのためのセギディーリャ集》より
うかつな目
恋の牢獄
おてんば娘と羞恥心
女とギター
R. ヴォーン=ウィリアムズ編/仔羊をさがして
アイルランド古謡/サリー・ガーデン
イングランド古謡/スカーバラ・フェア
アイルランド古謡/夏の名残りの薔薇
L. ブローウェル/11月のある日※
武満徹/小さな空
同/三月のうた
F. プーランク/愛の小径
A. ラミレス/アルフォンシーナと海
A. ピアソラ/オブリビオン
カタロニア民謡/鳥の歌※
F. ガルシア・ロルカ/《スペイン古謡》より
トランプの王様
セビーリャの子守歌
アンダ・ハレオ
◎出演
波多野睦美(歌)
つのだたかし(ギター)
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つのだたかしがプロデュースする「ハクジュホール古楽ルネサンス」シリーズ。今回は予定していた出演者が健康上の理由で急遽キャンセルとなり、波多野睦美とつのだたかしのデュオ・リサイタルに変更された。そんな理由もあってか、プログラムは「The Best of 波多野&つのだ」ともいえる、盛りだくさん、かつヴァラエティに富んだ内容。ここのところ、とくに東京での2人の演奏会は、ひとつひとつに考え抜かれたテーマがもうけられて、聴衆にもそのテーマ世界への参入をうながすものが多く、奏者と聴衆、そして会場の空間があいまってのひじょうに質の高い感動をつくりあげていたといえるが、この演奏会ではうって変わって、「あの曲をもういちど聴きたい」という聴衆側の素朴なねがいにこたえるような、とてもインティミットでフランクな雰囲気を提供してくれた。
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親密な音響空間をつくりあげていたのは、プログラムだけではない。音楽のうえでいえば、ここ数年つのだがリュートと同等といっていい思い入れをもって演奏しているギターの音色が、その空間を醸成していた。波多野との共著書『">ふたりの音楽』(2004、音楽之友社)のなかにも、「シューベルトのギター」として登場するウィーンの名工ゲオルク・シュタウファー作のギターを、つのだは「爪弾く」というよりは、おもに指の腹をつかって弦をやわらかくはずませる。指の腹を使うリュートと爪を使うギターとは、同じコンサートで使い分けられないというだけでなく、爪を伸ばすあいだや練習を考えればあるていどの期間、それぞれの楽器に専心することが要求される。「リュート奏者つのだ」と「ギタリストつのだ」は、だから「季節労働者みたいなもの」とつのだは笑うが、しかし「リュート奏者でもあるギタリスト」としての彼のギター演奏の個性は、奏法や音色へのこだわりにもあらわれているようだ。
また、木製の楽器はみなそうだが、演奏すればするほど、響きがその演奏家のもとめる音色に近づいていく。「なじんでくる」といったらいいのだろうか。不思議なものである。この200年前に生まれたギターも、つのだというオウナーを得て、彼の理想とする音色をみずから体現すべく、体質改善(?)に励んでいるようだ。年をへるごとに、音色がまろやかになり、波多野の声をやわらかく包みこむ独特の音響空間をつくりだす。音色もまた伴奏の欠かすことのできない一部だということを、実感する。この音色の統一感のなかでこそ、これだけ多岐にわたるプログラムを多彩に歌い分ける波多野の歌唱の自在さもまた、担保されているのである。
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どうもこの日は音色に思いがとらわれていたようだ。波多野の歌唱についても、その響き、ことばの音色といったことに、しぜん耳がひきつけられた。
歌手には外国語に通じていることがどうしても要求されるが、波多野の場合、たんに「外国語ができる」というだけではない。さまざまな民族がその歴史をつうじて育んできて、ことばのなかに「言表」以前の「ひびき」あるいは「肌ざわり」として託し伝えてきた「あわい」のような美質を、これほどまでにうまく掬いあげることができる歌い手はそうはいないのではないか。
子音に深く長く流れる呼気が母音の響きと同じくらい「うた」の本質となるドイツ語。
フィジカルな喉の震えがパーカッシヴな子音とあいまって、激しい情感を表現するスペイン語(南米のそれはまた違った味わいをもつ)。
子音の柱のなかを変幻自在な母音がアトモスフィアとして満たすような英語。
他に類をみないきらめきをもつ繊細な子音を、風のようにさりげない呼気が運ぶ日本語。
溶けてしまうように脱力した子音を、母音のなかで転がし香らせるフランス語──。
それぞれの言語の美質をあたかも瞬間的にみつけだし、驚きとともに、そして親しいひそやかさをもって、波多野のうたは伝えてくれる。
そして、その自在に移り変わるひびきをやわらかく包みこむギター。アンコールの1曲目はつのだの弾き語りによる《アマンダの思い出》だったが、シェイクスピアのことばをもじっていえば、「こころの中に“うた”をもっていない伴奏者は信用できない」──それを地で証明するようなうたとギターだった。[木村 元]
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