ケージの身体に接続せよ!|eX.6 ジョン・ケージ「solo for piano」完全上演[2007/10/16|公園通りクラシックス]
◆eX.6 ジョン・ケージ「solo for piano」完全上演
2007年10月16日(火)19:00 公園通りクラシックス
◎曲目/演奏
ジョン・ケージ/A Chant with Claps(1940年代)
朗唱:山根明季子
手拍子:川島素晴
ジョン・ケージ/Concert for Tuba, Voice, and Piano
*《Solo for Piano》(1957〜58)、《Solo for Tuba》(1957〜58)、
《Solo for Voice 2》(1960)、
《Song Books》より《Solo for Voice 13》《同45》《同60》(1970)
テューバほか:橋本晋哉
声ほか:松平敬
ピアノほか:川島素晴
ピアノほか:山根明季子
+ + + + + + + + + +
ケージの《Concert for Piano and Orchestra》(1958)はそれぞれ独奏曲としても、組み合わせても演奏できる14パートの図形楽譜からなる作品。この夜はそのなかのピアノ・パートの「完全上演」が主たる眼目であるが、テューバ・パートを同時上演、そして作曲者自身が「同時上演可能」として指定した作品のなかから声のためのいくつかの作品を同時上演する、というひじょうに意欲的なプログラムだった。
図形楽譜による偶然性時代のケージの代表作ということで、「正しい」リアライゼーションというものはもともとなく、極端にいえば「なにをやってもいい」という自由が与えられたなかで、奏者に課せられるのは「正しく聴くこと」ではないか。
奏者はみずからの耳を通して、ケージの体内に響いていたはずの「ひびき」(じっさいに音声として表出されるものも、「可能性」として表出されずに終わったものも含めて)を想像し、その許容範囲内にあると判断した音を響かせる。みずからの身体をケージの身体に接続し、そこでなにが聴こえるかということのみが、リアライゼーションの判断基準となるわけである。
聴衆も「自由に音を出してよい」と申し渡されているから、演奏中にコップの音やドアの開け閉めの音がする。でも、総じて静かだ。聴衆もまた、主体的に「聴く」ことに参入している。演奏を聴きながら、聴衆もやはりケージの身体に接続して、そこに響くのにふさわしい音響を想像する。
そう考えるとこれはひじょうに民主的な音楽だ。そこにいる全員が「聴く」ことでつながりうる世界。
もちろん、川島ほか奏者の技倆と創造性があってこそ、その自由で民主的な世界は担保されるわけで、たんなる企画性だけではなく、演奏会としてのクオリティの高さも強調しておきたい。[木村 元]
| 固定リンク