ドビュッシーの「音楽的無時間」|中井正子ドビュッシー/ピアノ作品全曲演奏会III[2007/10/24|浜離宮朝日ホール]
◆中井正子 ドビュッシー/ピアノ作品全曲演奏会III
2007年10月24日(水)19:00 浜離宮朝日ホール
◎曲目
映像 第1集
映像 第2集
12の練習曲 第1巻
12の練習曲 第2巻
◎演奏
中井正子(p)
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演奏会、校訂楽譜出版、CDという3つのメディアで併行して進められている「中井正子ドビュッシー全曲演奏プロジェクト」の一環としてのリサイタル。この演奏会にさきだって、同じプログラムを収録したCD『アール・ヌーヴォー ドビュッシー ピアノ作品全集III』がコジマ録音から発売された。
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作曲者39歳から45歳までに書かれた《映像》(第1集:1901〜05、第2集:1907)と、晩年53歳(1915)のとき、しかも第一次世界大戦中という限界情況のなかで、短期間に集中して作曲された《12の練習曲》。アンコールでは《夢想》(1890、28歳)、《アラベスク第1番》(1888〜91、26〜29歳)が弾かれたが、聴きおわってドビュッシーはなぜ「あそこまで行かなければならなかったのか」と、心に痛みをおぼえるほどの感興を味わった。
《アラベスク》など初期作品は「機能和声の崩壊を予感させる」と評されるが、たしかに《アラベスク》《映像》《練習曲》と並べて聴いてみると、その「崩壊」の過程がよくわかる。
機能和声とは「音楽的時間のオートマティズム」である。ある音がそれ以前に鳴り響いた音に準備され、そして次の瞬間に鳴り響く音を準備するという仕方で紡がれるのが「音楽的時間」であるが、それをある意味オートマティックにコントロールするのが機能和声というシステムである。それは作曲家と演奏家と聴衆とを結ぶ「最大公約数」的クオリアとして、その作品の理解や普遍性を担保するが、いっぽうでは「作曲・演奏・聴取における思考停止」をみちびくことは自明である。それはあくまでも作品の外部にあるシステムであって、内在的な価値から発したものではなく、むしろ内在的な価値へのアクセスを遮断し、隠蔽するきらいさえある。
ドビュッシーの機能和声からの訣別は、「外部システムに担保された作品理解から、音楽に内在するクオリアの発露へ」という道筋として捉えられる。それはどれほど困難な道であったことだろう。そこに思いをいたすとき、心に痛みを禁じえないのである。そして、その道程をもっともよく明らかにしてくれるのが、《映像》という作品ではないかと思う。
《映像》においては、《夢想》や《アラベスク》におけるような、和声的な機能性はすでに捨て去られている。左手の最低音をオミットして、中声部・高声部のみを見たとき、そこにはほとんど「無調」といっていい音響が展開されているだろう。問題は左手の最低音である。始終鳴り響くわけではなく、ポイントポイントで時を告げる鐘のように鳴らされるバスは、この「無調」の世界──つまり機能和声による音楽的時間を脱した世界のなかで、唯一「時間」を担保するものとなる。ただし、それは人間に普遍的なものと信じられる「精神的時間」ではなく、むしろ天体の運行に比すべき、非人間的・超生物的・宇宙的な時間である。
あらゆる人間に普遍的に真であるような価値などない──これがドビュッシーの信念であっただろう。それは「父なる天蓋としての神」(内田樹)を失った19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ知識人に、おそらく無意識的に共有されていた空気であろう。だからこそ、ドビュッシーはヨーロッパ音楽の「普遍性」をもっとも基礎づけている機能和声から訣別しようとした。それを破壊し、別な体系をうち立てようとしたシェーンベルク一派の行き方──それはまた別の「外部」を設定する危険につながる──には与せず、むしろ含羞をもってそこから逃れつづけることによって。
そのドビュッシーにしても、逃れえなかった──あるいは一縷の望みをいだいていたよりどころが、《映像》のバス声部にはあらわれている。あたかも人間が残らず死に絶えても、天体の運行は絶えることなく、時間はそのときも流れつづけている、というように。
それが、どうだろう──《12の練習曲》においては、そのバス声部までもが普遍性を喪っている。ここでは時間が宙づりになっているようだ。その極限的な緊張感のなか、まるでみずからの体内に分け入り、感情のない解剖医のようなまなざしで、細胞のひとつひとつをたんねんに調べるような音楽。ここで音楽を駆動しているのは、宇宙への信頼感にかろうじて基礎づけられた音楽的時間などではもはやなく、ドビュッシーという一個人のやむにやまれぬ切迫感のようなものだ。
「時間がない」──それは文字どおりの「無時間性」でもあり、またその困難な時代を生きた人びとに共有された感覚でもあり、もしかすると自らの余命がそれほど残されていることに気づいていた彼個人の焦りであったかもしれない。ドビュッシーはここではなにも信じていない。ただ、「時間がない」ということだけが、彼に音楽を書かせるモティヴェイションとなっている。
その究極的に個人的な、つまり共有できる縁(よすが)をまったくもたない「孤立したクオリア」が、《練習曲》を支配している。その意味で、この音楽はそれまでにまったく書かれたことのなかった、劃期的な音楽なのである。「これを音楽とよんでよいのか」とさえ感じるほど、孤立し他を寄せつけない「なにか」である。
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アンコール1曲目の「夢想」で、ピアニストの指が止まりそうになったことは、このほぼ完璧といっていいリサイタルの唯一の瑕疵といえるが、それさえも、《練習曲》という「音楽的無時間」の緊張のなかに没入していたピアニストにとって、外部的な「音楽的時間」の弛緩した世界に即座に戻ることは不可能なのだ、ということの証明ともなった。[木村 元]
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