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2008/01/02

長老の道案内|プレートルのニュー・イヤー・コンサート[2008/01/01]

 プレートルのニュー・イヤー・コンサートがめっぽう面白かった。

 ジョルジュ・プレートルといえば、《グローリア》をはじめとするプーランクの諸作品で、大学時代のぼくにとってはまさに「ターン・テーブル上のヘヴィ・ローテーション指揮者No.1」だった。手慣れた職人的な手さばきと「ここぞ」をきちんと際立たせるメリハリの効いた指揮は、まだ聴いたことのない作品を知るときにはなによりもありがたいものだった。

 そのプレートルももう83歳。じつは映像で彼をはじめて観たのは10年まえくらい。そのよくいえば庶民的、もっとあからさまにいってしまうと野卑なかんじの風貌に、大学時代に想像していた「フランスのエスプリ」といったイメージ(それは多分にLPのジャケットにかならずあしらわれていたミュシャの絵画に負うものであったろう)が完全に裏切られ、ちょっとがっかりしたのをおぼえている。今回ひさしぶりに目の前に現れた彼は、野卑などとんでもない、庶民的なイメージはそのままに、人生を愉しみつつ老いた者の余裕を、あの大きな口(昔はこれが野獣的に見えた)からあふれさせていた。

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 前半はフランスがらみの選曲、なかでもオッフェンバックの《地獄のオルフェ》をほとんどそのまんまダイジェストしたかのようなヨハン・シュトラウス1世作の《オルフェウス・カドリール》)、そしてフランス人ニコラ・ムザン振付のサッカーをモティーフにした肉感的なバレエ。フランス人指揮者がニュー・イヤー・コンサートに登場するのは、今回はじめてだというけれど、おなじシュトラウス・ファミリーの音楽を演っていても、こんなに違うものか。

 後半はもっと範囲をひろげて、中国あり、インドあり、ロシアありの多国籍風味ふんだんの大盤振る舞い。そのどれもが、彼ならではの職人的手さばきとメリハリでとても新鮮に響く。ニュー・イヤー・コンサート初登場の作品も多かったと思うが、たぶん「聴衆がはじめて耳にする音楽の紹介者」として、彼の美質はとくにその力を発揮するのではないか。「ここんとこが大事じゃ。よく聴いときなさい。そうすりゃ、この音楽の首根っこを押さえることができるから」と、はじめての旅行者に道を教える地元の長老よろしく、簡潔に教えてくれるのだ。

 今回あらためて感嘆したのは、瞬間に発揮されるほとんど過剰ともいえるほどの爆発的なエネルギー。そのけっして永続しない瞬間的な美への執着は、美食にも似て、やはり「フランス的」と形容してよいものだろう。彼の登場は、新機軸をもとめてもしかたないと長年感じていたこの保守的なイヴェントに、劃期的といってもいい新鮮味をあたえたのではないだろうか。[木村 元]


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