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2008/03/05

[日誌:2008/03/04]芸術家は誇りをもったらおしまいです。

永田町の今道友信先生と橋本典子先生の研究室へ。「あなたがくると、中華料理をもうひと品多く食べられるから」というお言葉に甘えて、いつも昼前にうかがってお昼をごちそうになる、というパターン。近くの「南甫園」へ。

今道先生は今年87歳になられるということだが、お元気のご様子。インターネットなどとはまったく無縁の生活をされているので、アルテスの現状についてはまるでご存知なく、ぼくが独立して、いよいよ生活に困っているのではないかと、ずいぶん心配してくださっていたようだ。

こちらも「もう大丈夫です!」とも大見得を切れないので、とりあえずこれまでにつくった3冊をさしあげる。今道先生、なぜか即座に『音盤考現学』を手にとり、熱心にページを繰りはじめた。しばらくして、「このひとは、どういう方ですか」と聞かれたので、片山杜秀さんのことを簡単にご説明する。今道先生の専門の美学とのつながりを思い出して、「朝比奈隆と『無国籍』」の章(片山さんがタワーのイヴェントで、「自信作はどれかといわれれば……」と挙げていた、朝比奈隆追悼の文だ)のなかで、美学者の植田寿蔵と朝比奈隆の関係が書かれていることを申し上げると、まさにそこを読んでおられたらしい(この先生の場合、これは偶然とはいえない。どこがこの本のポイントかということにたいする“嗅覚”が常人の何倍も何百倍もすぐれているにちがいない)。朝比奈隆が植田寿蔵の弟子であったこともよく知っておられた。

「この片山さんというひとは、自分は山田一雄のファンで、朝比奈さんよりも山田さんのほうが好きだった、と書きはじめておられるが、そのあと朝比奈さんのことをしっかりと書かれて、だんだんと朝比奈さんの素晴らしさが伝わってくるようです。こういう書き方はとてもいいと思います」。今道先生はヤマカズよりも朝比奈派だったのだろう、「山田一雄さんは戦争中の演奏会もずいぶん聴きましたが、いつも国民服で出てくる。朝比奈さんはみんなが国民服を着てこなければならないような場面でも、“自分は国民服を新調するようなお金があったら、楽譜に使ってしまいます”と堂々と言っておられた」と、思い出話がはじまった。こういう話は、とにかく聞きもらすことのないよう、じっくりと拝聴するにかぎる。

1955年にミュンヘンに行ったとき、朝比奈さんがわたしを訪ねてくださいました。現地の新聞の取材をうけたとかで、「日本人がやってきてオーケストラを指揮する。なにか東洋的な考えを西洋音楽にもちこもうというのか」と訊かれたので、「そんなことはオーケストラのマネージャーに聞きなさい」と答えたそうです。また「すべての作品──alle Komponistenだったか、alle Werkenだったか、わたしはWerkenのほうがいいと思うのですが──は、可能性の山であり、そのどれを取り出してみせるかは指揮者と楽団員にかかっている」とも言われたそうです。翌日の新聞を確かめてみたら、たしかにそう記されていました。「指揮者」ではなく「指揮者と楽団員」なのです。朝比奈さんはそういう方でした。けっして、「自分がこれをなしとげた」とは言わない方でした。

やはり同じころ、たしか1956年にシューラ・チェルカスキーに会ったことも思い出します。わたしは11歳のころ、チェルカスキーのレコードを父親が買ってくれて、よく聴いていたのですが、父が「たしかそのピアニストはお前と同じ歳でそのレコードを入れたのだよ」と教えてくれたのです。その後中学に入って英語を習いはじめ、レコードの解説を見ますと、たしかに「at his age eleven」と書いてあり、たいそう驚きました。しかし、その後チェルカスキーの名前を聞くことはなくなり、もしかして死んだのかと思っていました。

あるとき、おじの家でラジオを聴いておりましたら、アナウンサーが「ただいまの演奏はシューラ・チェルカスキーでした」というではありませんか。「ああ、生きていたのだ!」とうれしく思いました。彼は天才少年としてデビューしたのち15歳くらいでいちど引退し、勉強をやりなおしたのちに25歳ごろにまた一線に復帰したのでした。

1956年にわたしがヴュルツブルクに滞在したおり、プレイガイドに立ち寄ると、なんとチェルカスキーが来るというのです。さっそくチケットを買い求めました。演奏会に行くと、ステージに現れたのは、なんとも職人然とした頭のはげた男でした。わたしの家に出入りしていた仕立屋によく似ていたので、そう思ってしまったのですが、その職人然としたひとの演奏はまさに素晴らしく、たいへん感動しました。演奏会が終わったあと、あらかじめドイツ語で長い手紙を書いて持ってきましたので、楽屋の門番のようなひとに、「これを楽屋に届けてください」とお願いしたのです。その手紙には「わたしは東京であなたが11歳のときに録音したメンデルスゾーンを愛聴していた。その後ずいぶん経ってからラジオであなたの演奏を聴き、とてもうれしかった」というようなことを書いたわけです。

ヴュルツブルクでは修道院に寄宿していたのですが、翌日、修道僧が「プロフェッサー、あなたに速達便です」と手紙を届けてくれました。なんと、チェルカスキーからの返事でした。「演奏会は終わったけれども、わたしはこの町が好きだからもう1日滞在します。もしよければ、今晩いっしょに食事をしませんか」という手紙でした。

いろいろな話をしましたけれど、わたしはどうしてもかれの職人然とした風貌が気になってしまい、もちろん「よく知っている仕立屋に似ている」などとはいいませんが(笑)、「職人と芸術家の違いはなんでしょうか?」と尋ねてみたのです。チェルカスキーの答えはこうでした。「職人と芸術家は違う。職人の見るものはパターンである──つまり、職人はすでにできあがったパターンをめざしてものを作る、ということです──。それに対して芸術家は3つのペルゾンをめざす。それは、音楽家の場合でいえば、「自分自身」「聴衆」そして「作曲家」の3つである。パターンはその下にあるものだ」──そして、こう付け加えました。「職人には誇りがある。しかし、芸術家は誇りをもったらおしまいなのです」。

「Das ist Ende.」と強くいわれるので、わたしはもし聞きまちがえたらたいへんだと思って、「あなたのいわれるEndeとはFinaleのことですか?」と質問しました。かれは「そうです。Finaleです。しかし、Ziel(目的)という意味ではありません。おしまいなのです!」。

朝比奈さんのことを話していて、チェルカスキーのいったことを思い出しました。あのころは、ああいう「ことば」をもったひとたちが、まだいたのです。哲学の本をまだ何冊も書かなければならないけれど、それを書き終えたら、朝比奈さんやチェルカスキーや、クセナキス、西田幾多郎、リクールといったひとたちから聞いたことばを、1冊の本にしてみたいと思います。いま生きているひとも2、3人まぜておきましょう。読むひとが作り話だと思うかもしれませんからね(笑)。あなたの会社で出してもらえますか──。

ぼくにとっては、今道先生もまたそういう「ことば」をもったひとだ。そして、ぼくたちにできることは、その「ことば」を虚心にうけとめて、残すということだけなのだと思う。

先生の話をポイントだけにまとめずに長々と引用したのは、ぼく自身が忘れたくなかったからだ。今道先生のちょっとくぐもった、でもとても表情ゆたかな低い声、つねにたくまざるユーモアただよう話し口は、残念ながらどうしても表現できないのだけれど。[genki]

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コメント

元ちゃん!頑張ってますね。
「自分自身」「聴衆」「作曲家」というのは、私にとっては「自分自身+共演する仲間」「聴衆」「伝えたいもの・音・言葉」かなと。。。
それら全てが満たされる時間こそが私の「夢の時間」です。
でもきっと一生夢追い人ね・・・

ネット音痴の私ですがブログなんて立ち上げてみました。
地方音楽家のボヤキとして、よかったらたまに覗いてみてくださいね。
http://dreamofvoice.seesaa.net/
DREAM OF VOICE 永ひろこの音楽帳
です。
じゃあ、またね。
近日発売予定の指揮法の本、楽しみにしてるね!

投稿: 永 ひろこ | 2008/03/08 00:57

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