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2008/04/14

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」023──武久源造ほか[2008/04/08|百観音明治寺]

◆第14回 花まつりコンサート「チェンバロのまわりでパートII」
 2008年4月8日(火)百観音明治寺

◎出演:武久源造(チェンバロ)
    大西律子(ヴァイオリン)
    十代田光子(チェロ)
    飯塚直子(リコーダー,パーカッション)

◎曲目[配布資料をもとに筆者の責で加筆・修正したものです]
[第1部]
 1.カステッロ:ソナタ第1番(ヴァイオリンと通奏低音+パーカッション)
 2.カステッロ:ソナタ第2番(リコーダーと通奏低音)
 3.バード:パヴァーナとガリアルダ(チェンバロ・ソロ)
 4.スヴェーリンク:「我ラインに漕ぎ出し」による変奏曲(チェンバロ・ソロ)
 5.ディヴィジョン〜グリーン・スリーヴスのテーマほか
[第2部]
 6.ルイ・クープラン:組曲 ホ短調(チェンバロ・ソロ)
 7.ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品2〜第4(ヴァイオリンと通奏低音+パーカッション)
 8.テレマン:トリオ・ソナタ イ短調(リコーダー,ヴァイオリンと通奏低音)
[アンコール]
 武久源造:ランドフォール(LANDFALL) (チェンバロ,ヴァイオリン,チェロ,パーカッション)

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今年で第14回を迎える「花まつりコンサート」は、中野区沼袋の百観音明治寺というお寺で、毎年お釈迦さまの誕生日の4月8日に行われているチャリティ・コンサートなのだが、音楽内容的には武久源造さんによる新しい試みが真っ先に聴けるチャンスとして、毎春の大きな楽しみとなっている。今回は(おなじみの大西律子さんや十代田光子さんに加えて)なんと飯塚直子さんとの初顔合わせというので興奮を禁じえなかった。飯塚さんは、これまでジョングルール・ボン・ミュジシャンやポプリなどのグループで活動をしてきた新鋭のパーカッション/リコーダー奏者で、彼女のアグレッシヴなパーカッションと、武久さんの濃密なチェンバロがどのように共演するのだろうかと思うと、聴くまえからもうワクワクなのだった。

はたして、その期待は裏切られなかった。まず冒頭のカステッロのソナタ第1番は、通常は(というか残っている楽譜上では)ヴァイオリンと通奏低音で演奏される曲だが、今回は通奏低音(チェンバロとチェロ)に加えて、パーカッション(この曲ではおもにハンド・ドラム)が参加した4人による演奏だった。大胆なボウイングのヴァイオリンと濃密でドスの効いたチェンバロとチェロによる、いつもながらの武久サークルの訴求力に満ちた音楽が、パンションあふれるパーカッションの響きが加わったことで民族音楽的な未踏の異世界へさらなる一歩を踏み出したというのが第一印象で、いっぺんに心臓をわしづかみにされてしまったのだ。

武久さんは後のヴェラチーニの曲のところでも、当時は楽譜上では記されていなくても舞曲系の曲であればパーカッションをともなって演奏されたことはおおいに想像できるといったことを話していたが、なによりも実際の演奏そのものがそのことを証明するかのように説得力にあふれたものだった。これは当日のパーカッションをともなったすべての曲についていえることであるが、昔からトラッド・フォークと古楽を愛好してきた筆者のような者にとっては、そのふたつの音楽のあいだにあった溝が大胆に埋められたような、文字どおり画期的な演奏であったのだ。これはたんに楽器編成上パーカッションを加えただけではとうていなしえないことで、武久さんの場合、ご自身が本質的に民族音楽〜トラッドへの柔軟な親和性や指向性があり、また確信をもっての演奏だったから可能だったことにちがいない。

さて、続くソナタ第2では大西さんが抜けた3人で、飯塚さんはこんどはリコーダーを吹き、武久さんの骨太で滋味あふれたチェンバロに対して、ストレートでダイナミックな演奏を聴かせた。とくにラストはアバンギャルドなまでに奔放に吹きまくってくれて最高、さらに(これはほかの曲についてもそうだったが)十代田さんのチェロの濃密な演奏も、武久さんの音楽にまさにぴったりだった。

さて続いてのバードとスヴェーリンクの2曲はチェンバロのソロ演奏だったが、ここでいまさらながら会場の音のよさ、響きの美しさに感激した。場所はお寺の本堂で、もちろん大部分は畳の和室なのだが、ステージは厚い板敷きの床になっているので、この床の響きの美しさが効いているのだろう。また当日は(晴れ男の異名をとる武久さんにしてはめずらしく)雨が降っていたのだが、副住職も言われていたように、この雨が外界の騒音を遮断してくれたということもあったようだ。

ともあれ、きわめつけの繊細さと力強さが核融合したような武久さん独特のチェンバロ演奏が一音一音、目の醒めるような鮮やかさで展開されていったのだった。バードの曲では求心力のある純度の高さが、そしてスパニョレッタの旋律を使っているというスヴェーリンクの曲では、激しく音を揺さぶるような鮮烈なリズムがじつに印象的だった。

第1部のラストは、チェンバロ、リコーダー、チェロによるグリーン・スリーヴスのテーマなどによる2曲のディヴィジョン(装飾・即興演奏)で、ここでも飯塚さんはストレートな力演を聴かせてくれた。

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休憩後の第2部は、まずチェンバロ・ソロによるクープランの組曲。これまた目の醒めるような鮮やかさであったが、ここではまたとくに演奏の立体感のある深みが印象的だった。

そしてヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタはふたたび4人全員によるもので、ヴァイオリン、チェンバロ、チェロにパーカッションを加えた演奏だった。といっても最初はパーカッション抜きの3人での演奏ではじまり、まずヴェイオリンの民族的というか、いってしまえばジプシー音楽的な趣のエモーショナルでダイナミックな演奏に大感激。言葉を換えればアグレッシヴであると同時にしっとりとした情感にあふれていた。つづく穏やかな楽章では、穏やかながらもじつに歯切れがよい演奏で、コクのあるチェロとヴァイオリン、そしてもちろんチェンバロとの絡みが素晴らしかった。そしていよいよ最終楽章で期待のパーカッション(ドラム)が登場。シャープなドラムに乗ってヴァイオリン/チェロ/チェンバロが小気味よい激演を展開した。この4人の出会いはほんとうに最高だ。

プログラム最後のテレマンのトリオ・ソナタでは、ふたたび飯塚さんがリコーダーにチェンジして、チェンバロ、ヴァイオリン、チェロとの4人での演奏。ヴァイオリンとリコーダーの旋律演奏合戦を意図したような(?)曲だが、ここでもまず大西さんのハンガリー的、ジプシー的なヴァイオリンが終始圧巻で、対して飯塚さんのリコーダーはストレートな力演を聴かせてくれた。

アンコールは武久さんの近作の自作曲で、なんと《ランドフォール》という曲名。武久さん自身はこれは、いにしえの船乗りが叫んだ「陸地発見!」という意味と説明していたが、ご本人の意図とは別にこのカッコイイ曲名を聴いただけで、筆者は勝手に熱くなってしまった。これは英国トラッドのシンガー/ギタリストの最高峰、マーティン・カーシーの往年の1971年の名作アルバム・タイトルと同名だったからでかある(カーシーのほうは、たぶん「地すべり」の意味だと思うが)。

さて実際の音楽は武久さんのコメントどおり、荒れ狂う波の中を進んでいくようなイメージの曲。しかし、偶然とはいえカーシーのアルバムからの類推どおりに、そのテーマのメロディはひじょうにブリティッシュ・トラッドの香りがただようようなじつに親しみやすいもので、それに不協和音的なコンテンポラリー・サウンドの要素が加わった類のない音楽だった。ここでは通奏低音の枠から開放されたチェンバロのほんとうに自在な演奏と、そのチェンバロとパーカッションやヴァイオリンとのダイナミックな対話が圧巻であった。

武久さん自身はすでにオルガンにパーカッションを加えた素晴らしい録音をおこなっているが、ルネサンス以降の音楽にパーカッションを大胆に導入して聴かせる試みは、筆者の耳にしたかぎりでは、ほかには濱田芳通さんひきいるアントネッロの一連の斬新な演奏がすぐ思い出されるし、またチェンバリストの水永牧子さんがパーカッションの神田佳子さんを加えて英国音楽を演奏したこともあった。これらの方々は日本はもちろん、たとえヨーロッパに行ってもほんとうに例外的で、最先端の勇気あるアーティストと思う。本日はそうした稀なる新しい試みのなかでも、また未踏の音楽を体験できた忘れられない一夜であった。われわれリスナーは楽しませてもらうばかりだが、道なき道を進むアーティストの方々はほんとうに筆舌につくしがたいたいへんな苦労もされているにちがいない。しかし、アンコールの曲を聞きながら、荒海の向こうには確実に新たな大地が見えるぞ!と、武久丸の船長が嵐の中で力強く叫んでいる光景が脳裏に浮かんでならなかったのだ。[白石和良]

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