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2008/04/17

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」024──ラ・ヴォーチェ・オルフィカ[2008/02/29|東京カテドラル聖マリア大聖堂]

080229lavoce◆ラ・ヴォーチェ・オルフィカ第23回定期公演「スペイン音楽の500年」
 2008年2月29日(金)19:00 東京カテドラル聖マリア大聖堂

◎音楽監督、指揮、コルネット&リコーダー:濱田芳通

◎演奏
 アントネッロ:春日保人(バリトン)
        藤沢エリカ(ソプラノ)
        石川かおり(フィーデル、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
        西山まりえ(歌、オルガネット、アーリー・ハープ)
        矢野薫(オルガン、プサルテリー)
        中村孝志(スライド・トランペット)
        わだみつひろ(パーカッション)
 ラ・ヴォーチェ・オルフィカ(合唱)

◎曲目:[プログラム資料をもとに筆者の責で一部を変更したものです。第2部ではこのほか器楽曲も演奏されました]
[第1部]
 1.聖母マリアのカンティガ集〜アルフォンソ10世(1221−1284)
  ・序「詩を作り歌うとは」
  ・詩を作り歌います
  ・薔薇の中の薔薇
  ・聖処女を信頼する者は誰でも
  ・その大変な美しさゆえに
  ・喜びよ、喜びよ
 2.モンセラートの朱い本(13〜14世紀)
  ・おお、輝かしい乙女よ
  ・輝く星
  ・声を合わせて歌おう
  ・乙女にして母なるマリアさまを
  ・死に近づく者達は
[第2部]
 1.こんなにも長いこの夜々:作曲者不詳(カラブリア公家の歌曲集:1556)
 2.リウ・リウ・リウ:作曲者不詳(カラブリア公家の歌曲集:1556)
 3.アヴェ・マリア:フランシスコ・ゲレーロ(1527−1599)
 4.おお、主イエス・キリストよ:フランシスコ・ゲレーロ(1527−1599)
 5.わがハープは哀しみの調べにかわり:アロンソ・ロボ(1555−1617)
 6.あまたの裏切りにさいなまれた心の高みから:ファン・ブラス・デ・カストロ(1561−1631)
 7.キリスト誕生のカチュア:作曲者不詳(マルティネス・コンパニョン写本:1713)

[おことわり]

時間的な都合で3月〜4月前半に書けなかった重要なコンサートやライヴについて、これから順次できるだけ書いていきたいと思います。そこでまずは2月末におこなわれたこの記念碑的なコンサートについて。なお以下の記述は当日のメモなどをもとに書きましたが、各曲の楽器やソロ奏者名などにもしも記憶違いがあればお許しください。

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アントネッロ+ラ・ヴォーチェ・オルフィカによる『スペイン音楽の500年』は、中世の聖母マリアのカンティガ集に始まり、18世紀の南米音楽にいたるというたいへん豪華なプログラムだった。これまでのステージやCDでおなじみのレパートリーの総集編的な趣もあったが、そこはアントネッロのこと、たんなる再演などではなく、随所に新しいアレンジが施されており、さらにいっそうパワー・アップした異次元の演奏が全編に展開されたのだった。

透徹した響きのコルネットとハープの対話が春日さんのエモーショナルな歌唱に続く、なじみのカンティガの「序」から、500年の音楽の旅はスタートした。続くカンティガ第1番〈詩を作り歌います〉では、従前と比較しても、またさらにいちだんとパッションに満ちた演唱だった。縦横無尽に飛び跳ねる濱田さんのファンキーなリコーダー・ソロに導かれて、狂おしく鳴るハープやパーカッション、管楽器、そして怒濤のようなウネリのあるコーラス……。もう最初からクライマックスに達してしまったような興奮だが、これも濱田さんの独特の手法のひとつといっていいと思う。つまり、聞き手はこの最初の一撃で彼岸の音楽世界へ、身も心もまるごと持っていかれてしまうのだ。なんという熱い高揚感! これこそ民衆に支えられてきた宗教音楽の根源的なパワーによるものでなくてなんなのだろうか。

女声のソロもこれまで以上にも生々しい歌声でゾクゾクしてしまったが、生々しい歌声といえば、やはり西山さんが地声の絶唱で聴かせる〈薔薇の中の薔薇〉について触れないわけにはいかない。この曲で当夜はまた興味深い試みがおこなわれたのだ。ほかの独唱やコーラスはもちろんノン・マイクだったが、ここでの西山さんの独唱だけはマイクに向かって歌われたのである。濱田さんはかねてから、クラシック音楽のジャンルでも場合によってはもっとマイクを使ってもっと自然なかたちで(拡声のための唱法をしないで)歌ってもいいといったことを語っていたが、その言葉どおり、このときの西山さんの歌唱の素晴らしさはまた格別だった。この響きの多い会場で、口の中が見渡せるような明快な地声の歌唱が流れるさまは、じつにインパクトがあった。

それにしても「歌手」としての西山さんはまたほんとうに類のないアーティストだと思う。音楽の神が憑依したようなその歌唱は、ピュアな美しさにおいてもこのうえないものでありながら、世に氾濫している妖精声のような無色透明さとは対極で、あえていえば血の匂いすら漂う。あまりの素晴らしさに鳥肌が立った。またその歌唱によりそうような濱田さんのコルネットの優しい響きも絶品だった。

そしてアントネッロのカンティガと言えば、この曲。必殺のファンキー・ポップと化した〈聖処女を信頼する者は誰でも〉。当夜はまたいちだんとリズミックになった印象で、独唱の藤沢さんが冒頭から思いっきりアクの強いファニーな歌声を聴かせ、濱田さんはリコーダーで軽妙自在に飛びまくり、またコルネットに替えて煽りまくる。そして覆い被さるような地声的な響きのコーラスや春日さんのケレン味たっぷりの歌唱に負けじと、藤沢さんはいちだんと声を震わせながら黄色い声で絶唱する! アントネッロはここまでポップに、ここまでジャンルの壁を飛び越えて、ダイレトに聴き手の心臓を鷲づかみにしてくれるのだ。

身体中が思いっきり熱くなったところで、次の〈その大変な美しさゆえに〉では一転して清楚で敬虔なコーラスの世界へ。しかし静的な音楽ではまったくなく、切々と訴えかける歌唱もハープもフィーデルもリコーダー(ここでは朴訥な響きが印象的)も、従前以上にもエモーショナルな表現で、聴く者の心を揺り動かす。

そしていよいよカンティガを締めくくる〈喜びよ、喜びよ〉。この曲をアントネッロは例によってノリノリのファンキー・ポップで聴かせてくれるが、宗教的な歓喜が炸裂するそのパフォーマンスは、CDでもこれまでのステージでも昇天もののインパクトがあった。それが今回はまた新たな趣向が加えられていたのだ。埃の積もった因習の壁を突き破れとばかりに、ショームやトランペットで咆哮する濱田さんとともに、わださんのパーカッションが従前以上に終始大活躍して曲のパッションを増加しており、そのうえ、ラ・ヴォーチェのメンバーから新たな男性ソロ歌手が登場して地声的なインパクトのある歌唱を披露してくれたのだ。これに対抗して祝祭の場をさらに盛り上げるかのにように、藤沢さんのソロ歌唱もコケットリー的なケレン味たっぷり、また春日さんの歌唱はさらに狂おしく……と、もう目を丸くして聴きほれるばかりだったのだ。

先を急ごう。モンセラートでは、まず〈おお、輝かしい乙女よ〉での、会場の音響を効果的に使った背後から響く男性コーラスの極めつけの静粛さや、コルネットとオルガンの精緻な響き合いが印象的で、それにパーカッションが加わると、濱田さんがファンキーなサウンドのショームを吹いて「輝く星」になだれこんでいく。ここでの切々とした女声コーラスと春日さんのソロ歌唱にも、またエモーショナルなヴァイブレーションが強く感じられた。

そしてハチドリのように軽妙に飛翔する濱田さんのリコーダーに導かれた、リズミカルな泣きの歌合戦の〈声を合わせて歌おう〉。誰でも引きつけてしまうようなポップな感触はこのうえないのだが、それでいて軽薄な印象がみじんも感じられないのは、心の底からのパッションをもって演じられているからだろうか。〈乙女にして母なるマリアさまを〉は西山さんのダブル・ハープと石川さんのフィーデルによる静かな演奏をバックにした清楚な女声コーラスで、しかしやはり夢幻な美しさというより切々とした生身の人間の訴えけの声という印象だった。そしてモンセラートの終曲〈死に近づく者達は〉では、ふたたびリズミカルなパーカッションに乗ったポップな演唱で、コルネットとトランペットの陽気な響き合いも、弾むような女声陣のコーラスと大ぶりな春日さんの歌唱の対決も、どれもが楽しさ抜群だった。

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第2部は16世紀のスペイン音楽から18世紀の南米(ペルー)音楽へいたる構成。まず序曲的に、大型のトリプル・ハープとコルネットで演じられたのが、あの『天正遣欧使節』のテーマ曲のスペイン古謡だった。濱田さんのコルネットの包容力に満ちた響きはなんど聴いても目に涙。

続く〈こんなにも長いこの夜々〉は第1部の曲に比べればはるかに重層的ながらも、純朴な清楚さを少しも失っていないコーラス。そして筆者のお待ちかね、〈リウ・リウ・リウ〉である。これは幾多の中世音楽グループがレパートリーにしてきたノリノリの言葉遊びのような楽しい輪唱曲で、1960年代には米国のカレッジ・フォーク・グループや、あのモンキーズまでがTVで歌っていた(じつは筆者は子供のころにそれでこの曲を知った)という時代を超えた名曲なのだ。アントネッロは今回もやはり期待どおりで、西山さんが打ち鳴らすカスタネットのラテン的な響きのなかで、コーラスを従えた春日さんのアクの強い歌唱が大暴れしてくれた。

そして純度の高いコーラスが印象的だったゲレーロの2曲をはさんで、アントネッロの中核の3人による器楽演奏。ここでは濱田さんはリコーダーで最初は静かに、そしてしだいに激しく崩しながら咆哮するというお馴染みのスリリングな展開だが、石川さんのガンバと西山さんのハープがしっとりとした潤いのある美音でリコーダーの激演を支え、味わい深い奥行きを演出していた。

この気分転換の後、いよいよコンサートは佳境に。しっとりとした混声コーラスによる〈わがハープは哀しみの調べにかわり〉がゆったりと流れた後、トランペットが高らかに響いてコーラスが情熱的に掛け合うように歌う〈あまたの裏切りにさいなまれた心の高みから〉が演じられた。パーカッションが要所要所をひきしめ、歌唱は激しくなるとほとんど地声の発声との区別がなくなるような大胆な民族音楽的な表現が圧巻。

しかし民族音楽的な表現といえば、やはり南米音楽で決まりだろう。つづいて演じられた、気のおけない崩しノリのハープのソロの激演で、一挙にその世界にもっていかれてしまった。そしていよいよ終曲の〈キリスト誕生のカチュア〉の登場だ。2006年の目白バ・ロック音楽祭や、「古楽と民族音楽」のコンサートなどで演じられて、すでにアントネッロ・クラシックのひとつとなった感のある、このペルーの宗教音楽では、哀感と力強さをあわせもったコルネットをバックに、春日さんと女声コーラスがコール・アンド・レンポンスで激しく掛け合い、宗教的な法悦の極致に達していく。これこそアントネッロ版のゴスペルだ。今回もまた、コルネットのロンサムでダンディズム漂うサウンドや、ほとんど黄色い声のような生々しくアーシーな女声コーラスに目を潤ませながらどっぷりと堪能させてもらった。素晴らしすぎる! さらにここでもまたひとり、ラ・ヴォーチェから新たな男性ソロ歌手が登場したのも特筆すべきことだった(プログラムにクレジットがないので先の方ともども、お名前を記載できなくてすみません)。

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普通のコンサートの3回分くらいの充実感であった。アントネッロとラ・ヴォーチェ・オルフィカは、エキサイティングな曲はもちろんのこと静粛な曲でも身体全体で音楽を演じており、ますますリズムを、音を揺さぶりながらアグレッシヴな演奏を展開しているが、その大胆な波動に満ちた演奏は、記譜された音楽の硬直な枠を越え、偏狭な音楽ジャンルの壁を飛び越えて、聴き手の魂をダイレクトに揺さぶるのだ。そのうえ、二人の新たな男性ソロ歌手が今回登場したように、彼らは一時も留まることなくつねに変化と進化を続けている。このようなアーティストと時代と場所を共有できるとは、われわれはなんという幸福に恵まれているのだろうか。[白石和良]

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