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2008/05/05

音楽非武装地帯[001] 音楽と聴力

2008年3月2日、聾学校の中学生たちがコンサートを開くというので、興味をもった。名前も知らないし、演奏も聴いていないが、聴覚障害者のティンパニスト(女性とか?)がいるという話は聴いたことがある。以前から「音楽に聴力は関係ないのではないか」と思っていたので、この機会に聴覚障害と音楽のことを考えなおせると思った。そしてプロのティンパニ奏者がいるくらいだから、もしかしたら聴覚障害者の演奏は恐ろしくテクニカルなものなんじゃないかと想像してもみた。まあ、これは視覚障害者の名演奏家がたくさんいることからの連想だったかもしれない。(後記:この女性打楽器奏者イヴリン・グレイニーのことは後日詳細を教えていただいた)

しかし、だいたいにおいて、聾唖者というべきか聴力障害者というべきか、私にはわからない。もちろん、最近では後者を使う風潮になっているのはわかる。ではなぜ聾学校という名称はあるのか? 聴力障害者校ではだめなのか? 盲学校だってそうだ。障害者の教育は障害者校ではなく養護学校でおこなわれる。障害者の芸術はエイブル・アートなんだそうだ。画家ジャン・デュビュッフェは「アール・ブリュ(=生の芸術)」とよんだが。いずれにせよ、言い替えは本質を隠蔽する。あたかもそれが差別をなくすかのように。

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クラシック界のヴェテラン打楽器奏者、有賀誠門(あるが・まこと)が、盛岡聾学校中学部を1年間指導した成果を聞かせてくれるという。

有賀誠門というと思いだすことがある。今から約30年前、ミニマル・ミュージックのスター、テリー・ライリーが初来日したオールナイト野外コンサートで、彼の指導する百人以上の打楽器オーケストラが、《ザ・ゲーム》という曲をやったライヴを聴いたことがある。これは今でも強烈に印象に残っている。

さて、有賀誠門の1年間の指導は、聴力障害のある中学生をどういうレヴェルに導いたのだろう。ステージには電子キーボード、大太鼓、小太鼓、和太鼓(締め太鼓)、ティンパニなどが、ちらばって置いてある。その多くが床に直接おいてあるのが気になった。「やはり聴力の不足分を体で感じるために床に直接置くのだろうか」などと思った。

さて、手話をまじえて開会の挨拶があると、さっそく有賀氏が登場した。唐突な、そして率直な話しかただが、親しみはもてる印象だ。しかし話の焦点は定まらない。一応、なぜ中学校で打楽器の教育をすることになったかの理由を説明してくれるらしい。彼が聴力障害者とつきあうようになったのは4年前、合気道をいっしょに学ぶ仲間との交遊からだったという。そして直接音が聴こえなくても、動きの交流で感じられるものがあり、一緒に音を感じる訓練をしていくうちに、彼にそれまでとは違う「声」が出るようになったというのである。その経験から、有賀氏が提唱する「響き感」を得ることによって、聴力障害の子供たちがこれからの社会のなかで、より良くコミュニケートできるようにしていきたいということが主眼だったという。だから、彼の指導したのは音楽ではなかった。実際のところ月1回、90分のみの指導では、よほど子供たちが積極的に練習し、またその間の指導者がいなければ、普通の意味での音楽演奏のレヴェルに達することは困難であろう。ステージ後方には1年間の有賀氏と子供たちの授業の様子が映像で紹介された。

ここで子供たちが登場する。総勢12、3名だったろうか。ここで私の嫌な予感がひとつ的中してしまったのが、彼らの扮装である。いわゆる「よさこい」系の格好だ。なぜ一般に子供たちが「よさこい」系の格好が好きなのか、その理由を考えるのもおもしろいが、それはまたいずれの機会にしたい。ところで、子供たちが出てくるまえに有賀氏は、聴衆に拍手のしかたを指導した。それは、手を頭の高さくらいまで挙げて叩くというものだった。たしかにそうすれば音はより響くだろう。そして拍手している客席を見ることができれば子供たちもうれしいだろう。さらに、立って拍手すればもっと響くと氏は言う。そう言われて客は進んで立ち上がることになった。強要といったら悪いかもしれないが、皆がそうせざるをえない状況に誘導されるのは、私には不快だった。私は遂に一度も拍手をしなかった。

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さて、有賀氏が強調するのは子供たちの身体能力の低さだった。打楽器を演奏するというより、響きを感じ、またそれを相手に伝えるということの根本は、身体の運動能力にあると氏はいう。とくにそれは足に基本があるともいう。まずはステージ上で子供たちはふた手に分かれ、リーダーの合図でスキップしながら交叉して反対側へ達するという練習が披露された。たったこれだけのことだが、最初はできなかったのだという。スキップをすること、交錯して反対側へ達すること。これを同時にするだけのことが。そしてこんどは1列に並ぶと、いったん腰を落として、両手を振り上げると同時にジャンプすること。それを繰り替えして前方、後方に移動すること。これもできるようになるのに時間がかかったという。実際、スキップも、かがみこみも、ジャンプも、未だ十分にできていない子がいることは見ていてわかった。

いずれしても、氏が強調するように、身体能力の再開発は重要な視点であったと思う。が、疑問としては、なぜ、聴力障害があるだけで基本的な身体能力の発達不全が起こるのかということである。聴力はたしかに身体の平衡機能と関連しているだろう。しかしそれだけではないはずだ。つまり最近の子供たちに共通して言えることだが、視覚的なゲームやキーボード主体のメディアに依存することで、早期からの運動抑制があるようにも思える。また「障害者だから」という周囲の悪しき配慮、あるいは、障害を自覚した子供たち自身の消極的態度などが、身体運動をともなう多くの社会的行動を抑制してしまった結果ではないかとも思える。または、一部の子供は聴力障害のみならず全身の発達不全もあったのかもしれない。

聴力障害が身体運動の低下を招くという傾向は注意すべき問題だ。おそらく聴力障害のみならず、なにかしらの障害は、全体としての身体性を特徴的なものにするだろう。そういう観点からすれば、聴力障害の子供たちの身体能力が劣っている、というのは別の感覚を成長させたとも想像できるが、たしかに通常困難とは思えない運動にも支障がみられることは覚えておくべきだろう。

あるいは、それは彼らが通常に運動したさいに起こるかもしれない危険を回避するための予測的防御なのかもしれない。その予測の不可能性が、他者の考えを把握することの困難さになって、音によるコミュニケートの障害以上の行き詰まりを生じていることは容易に考えられる。

だから、映像で紹介された練習は興味深いものだった。ロープの両端を2人で持ってそれを合図なしで引いたり、引かれたりといった感覚を養ったりするのは困難だったろう。また、有賀氏はリズム、というよりビートを感じることを強調し、その根本は足の運動にあると言う。それはかなりの期間を通じて、楽器に接すること以上に重視されたようである。先ほども書いたとおり、足の動きと感覚を開発する訓練が見られた。あるときは横にした大太鼓の上に片足で乗ってみるなどという、通常の音楽教育では決して考えられないようなこともおこなわれていた。

さらに興味深いのは、氏が「手話」を学ばなかったという点である。おそらく彼は手話で先にコミュニケートしてしまうことの浅さを危惧したのであろう。海外での公演や、外国人演奏家との共演も多数こなしてきた氏であるから、演奏におけるコミュニケートには必ずしも言語的、記号的な方法に頼る必要はないと直観しただろう。実際の所、例えば我々が、外国人と交流する機会に、カタコト程度に相手の言葉がしゃべれたとしても、それでどれほどの理解を得られるだろうか。むしろ言葉は溝を深めていくばかりかもしれない。言葉の功罪である。それくらいなら、最初からサウンド、そして身体的な表出・表現の可能性に賭けたほうが得られるものは多いのではないか。手話で話す人々の世界における手話は、通常の聴力の人たちの手話とは異なるレヴェルにあるとはよく聴く話でもある。彼らには「音が聴こえることがハンディ」なのだ。

有賀氏の説明は始まったときと同じく唐突に終わる。子供たちが楽器の位置につき、いよいよ演奏開始となる。有賀氏は再度「曲は一切やりません。リーダーの指示で開始します」といってちょっと下がった。そしてステージの一番前に置いてある和太鼓の前に、客席に背を向けて座ったリーダーと思しきひとりが、なにか声を出しながらバチをふりあげる。すぐに一斉に全員が楽器を鳴らす。延々と2拍子が続く。しかも抑揚なく、てんでんばらばらである。ある2人組は3つの打楽器の周囲を8の字に周回しながら叩いている。別の2人組は横にした大太鼓の上に載せたシンバルを代わる代わるに叩いている。てんでにずれた2拍子が重なったり、互いに打ち消したりしながら一種の確率的な波を作っていくようでさえある。

これはたしかに通常の聴覚であればできそうにない演奏、いや現象だ。つまり、もし普通に聴こえていれば、瞬間的に互いの速度、強さを感じ、全体の頻度、密度といったものから自分の音を割り出して調整していくことによって、なにかしらはっきりしたパターンへと収束していくだろうからだ。

しかしここにはそれがない。延々と打撃音の波が寄せては返すだけなのだ。これはある意味ショックであり、プロのティンパニ奏者がいるとかいう話から、テクニカルな打楽器の妙技を期待していた私の固定観念を打ちのめすには十分だった。

中学生たちが嬉々として打ち鳴らす打楽器のパルスには、作品性などは微塵もない。中学生たちに演奏あるいは音楽という意識はあったのだろうか。彼らのそれまでの意識のなかにそれが芽生えた可能性はあったのだろうか。

またこれを単純に即興演奏であると言いきるのも難しい。それを成立させるだけの他者性がないように思える。ここでいう他者性とはつまり、そこで出ているサウンドをあたかも他人の聴覚で味わうがごとき意識のありようであるが、それがあっただろうか。これは別に聴覚障害の有無とは関係ないのだ。興奮した集団が狂騒的なサウンドを出していれば、そこには他者性はない。もしそれが他者的な耳で聴けるとすれば、そのさまを録音し、まったく異なる時と場所において再生した音を聴いた時しかないだろう。

彼ら、中学生たちにはたしかに、それまで楽器を人前で鳴らすというような情況がありうるとは考えられなかったのであるし、楽器というもの、サウンドという現象を媒介にしてコミュニケートの可能性が開かれるということも考えなかったであろう。ただ私はここでコミュニケートという問題を単純に「表現したいものが伝わる。表現されているものがわかる」といった意味だけで終わらせたくはない。

コミュニケーションという概念は色々な定義ができるだろうが、ここでは「ある個人が、個人としての自覚を幻想する過程で、その〈支え〉となるイメージや言葉を、共有の記号へと転換してコンテクストを生むこと」であるとしたい。しかし、それは共有する条件に制限されるだろう。電話のない人に電話はかけられない、文字を知らない人に文章は読めないのだ。

言ってしまえば、彼らは自分の演奏を聴いていなかったのではないだろうか。自分たちが演奏しているという意識がなかったのではないだろうか。他者の音のみならず自分の音までもが聴こえないという特殊な条件によってのみ可能な演奏。それを私は聴いたのだ。そして通常の聴覚の者には不可能なその条件、あたかもそれは特別な能力に恵まれた者たちの演奏に接したかのごとくに、私は畏怖したのだ。このような演奏はありえない、と。

即興演奏家、故高柳昌行は「集団の即興演奏中に他人の音など聴くな」と語ったという。それは殆ど不可能に近い。ましてや音楽・演奏を専門にしてきた者たちにとっては、聴くなといわれても、聴いてそれを無視するという「反応」しかできないだろう。それはしかし、やはりある種の「聴くこと」なのだし。

彼ら、中学生集団は、その不可能性を全く最初から凌駕してしまっていたのだ。私の言い知れぬ畏れは、それへの驚愕なのかもしれない。

スクラッチ・オーケストラのメンバー、ハワード・スケンプトンの曲に《あなたの周囲でもっとも小さな音を助けるように演奏しなさい》というのがある。私が聴いた演奏は、その情況の正反対ではないか。ここでは、音は「身ぶりと振動」でしか存在しない。「もっとも小さい音」という知覚、認識、判断は、聴覚があるという初期条件のもとでしか有り得ない特殊性にあるのだという事実をさらけだす。

もしかしてカフカの作品『巣穴』に出てくる知られざる動物のように、どこからか来る振動に反応して自分の巣穴を掘りなおすことがあるなら、彼らのステージ・パフォーマンスは、見えざる巣穴によって描く軌跡だったかもしれない。あるいは同じくカフカの『ある犬の探究』に出てくる音楽犬たち。ぐるぐる輪になって回るだけなのだが、それが彼らの音楽だ。サイクル、スパン、繰り返し、ルフラン。これもまた音楽の要素であると同時に、音の本質でもあろう。

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私はかつて「音楽と聴力は関係がない」と書いた。それはより正確に書かれるべきだろう。さらにこう言っていいものだろうか。

「演奏と聴力は関係がない」
「音楽観念と聴力は関係がない」
「音楽と音は関係がない」
「ある音と別の音の関係、または音の有無や持続に関して判断した結果のうちで、ある種の傾向や構造を音楽とよぶことがある」……

たしかにここでは「関係」という語が曲者である。概念Aと概念Bがあったとき、両者のあいだに「関係がある」とすることが概念Cとなる。たとえば音と聴力とのあいだに関係があるとしたとき、その関係を音楽と呼ぶことができるのである。一般的にいえば音楽は、ある文化における限定的な概念であり、それはその社会に固有の観念(宗教性なども含む)に強く「関係している」。

遂にある文化では、サウンドの不在=「無音」をさえ音楽として、演奏の拒否=無為をさえ演奏として認めるに至ったのである(この「曲」──ジョン・ケージの《4分33秒》には楽譜さえある!)。 

あるいは、自然音、動物の声、機械音、電子音、聴かれることを意図しなかった殆どの音を、「音楽」的に鑑賞しているリスナーも存在する。私は聖書のヘブライ語朗読を聴くことを楽しみにしている。意味はわからないが、その響きを聴くことだけを目的に。それは私にとってはシャンソンを聴くのと大差ないことなのだ。

しかし、こうした判断は(改めて驚くべきことに)やはり聴覚に頼っているではないか。根本的に聴覚不在のままで音楽を考えることは可能だろうか。それはあたかも視覚の存在しないところで絵画や色彩を考えることに匹敵するようなものだろうか。

もし音楽と聴覚の関係が恣意的、つまりあってもいいし、なくてもいい、というレヴェルに持ち込めるなら、聴力障害者の音楽は、それだけで一つの領域を形成する。そしてそれは決して従来の「音楽的才能」「演奏技術」「音楽センス」といったもので測られることのない世界になる。

音楽という観念の産物は、聴覚的経験とその記憶をもとにして、再構成された体系であり、前述したように歴史的、文化的な枠組み=パラダイムで育てられた。ここには、具体的な音響は不要だ。だからこそ作曲という「紙の上の音楽」が可能になり、それは実際に演奏されることのないまま眠ってしまうこともありえるのだ(いったい、演奏されたことのない楽譜はどれだけあるのだろう。ヒロシマの悲劇を主題に、あるヨーロッパ人の書いたオーケストラ作品がいちども演奏されることなく、50年後に古書店で発見されて広島で演奏されたという例もある。作曲家はすでに世を去っていた。モーツアルトは自分の交響曲を生演奏で何度聴いたことがあっただろうか)。

聴覚的体験性の不在のうえに音楽が構成されること(再構成ではなく)は決して理不尽ではない。それだけではない。呼吸、心拍、歩行、神経の興奮、まばたきといった生物的な根本のビート、パルスは聴覚とは無関係に誰しもの体内で励起されているのだ。既に脳波を用いた音楽は、デイヴィッド・ローゼンブームや、アルヴィン・ルシエらによって実践されている。

音楽という観念の形成される場には、聴力を通じて形成された聴覚、その体系化された記憶としての音像が深く関わっていることはたしかである。だからこそベートーヴェンは、聴力を失った後も作曲ができた。彼の脳裏には、「耳には聴こえない音楽」が、誰よりも純粋に鳴り響いていただろう。音を音楽と関係づけるのは「聴こえた音の記憶」である、あるいはそれにすぎないと言ってしまおう。私は、「恣意的」であるとした音楽と音の関係を、改めて「聴こえなかった音の記憶」・・・それが矛盾なら「〈聴こえない音〉という未在の経験」という言い方で示したいのだ。

それは聴力障害の中学生たちが垣間見せた「不可能でありながら、そこに存在している音楽」だった。

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しかし、それも束の間だった。というのも、有賀氏とその弟子2人が、ステージに登場し、子供たちと一緒になって演奏の場を仕切りだしたからだ。それは要請されざるをえないことだった。何故なら、そのまま子供たちに任せていては、(体力が尽きるまで)その音楽はけっして終わることはなかったであろうから。不可能な音楽は、演奏を終われない音楽でもあった。永遠性をめざすことは、音楽にとって決して稀なことではない。しかし演奏には終焉が来る。いわば演奏は永遠を目指しながら、終焉に向かって進行する実践のプロセスだ。不可能な音楽は、しかし演奏を終焉させることが自律的にはできない。ある意味、それは始まってもいない。それは子供たちの裡にずっと鳴り響いているものだから。それを有賀氏は外在化させてしまった。その責任としては外在するものを終了させなくてはならなかった。そこで3人の指導者が登場し、彼らは子供たちを音響以外の要素でコントロールしなくてはならなかった。終わり方、それは演奏者と聴衆で共有されなくてはならない。それがコンサートの形式であるから。

指導者たちはその役割を、聴衆に担わせた。有賀氏は聴衆に「立って手拍子をとれ」と身ぶりで指示した。拍手のしかたの強要はこの布石だったのかもしれない。子供たちも聴衆が拍子をとっていることがわかると、全体のリズムがそろってきた。そしてお決まりの大団円。盛り上がってどすんと落ちるような終了感が、聴衆を納得させた。私は最後まで立たず、この陳腐な終焉に落胆していた。

しかし、もし私が有賀氏の立場であればどうしただろう。それはこのコンサート全体の企画意図との関連を考慮しなくてはならない。聴衆、関係者、保護者に、聴覚障害の中学生の音楽活動が、何を目的とし、どのような成果があったのかを提示しなければならない。それだけでは、決して聴衆が納得しないであろうこともたしかなのだ。何故なら、聴衆がいま経験したものは、ある意味で音楽からはみだしてしまっていたからだ。その余剰分を整理するためには、あらためて音楽、しかも耳に聴こえるものを与える必要があったのだ。

私は有賀氏のスタンスを否定するものではない。とくに、子供たちに「音楽のやり方をしこむ」のではなく、「音と楽器を通じて身体を開発する」というのは優れた発想だ。しかし、そのような思考態度は幸福、性善、平和の裡では有効であるが、凡庸かつ陳腐であり、さらには危機的な状況にある者にとっては怠慢ではないのか。いずれ彼が今後も聴覚障害のある子供たちに「響き感」を伝えていくことは悪いことではないと思う。そしてそのなかから、私の期待する「不可能な音楽」の存在に意識的にとりくむ者が生まれてこないとはいえないだろう。[Onnyk/15, Mar, 2008]

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コメント

とても興味深い話ですね。

 日本には昔は聾唖学校しかなかったのが、ハル・ライシャワー(ライシャワー大使夫人)の尽力で、聾学校ができたそうです。つまり聾唖学校は手話だけで、しゃべらせる訓練をせず、聾学校は口唇読み取りと発話を教えます。

 聴覚障害の子供を聾と唖の二つに閉じ込めることは身体性の発達にもよくないように私には思えます。
 
 で、このコンサートは、コンサートでなく運動会ですね。

 新生児の言語習得もそうですが、どんなコミュニケーションのアウトプットも、膨大なインプットが先行しなければ成立しません。
 私の知り合いには、聾学校の生徒に、音楽を聞かせるコンサートをボランティアで組織している人がいます。他のすべての音楽家と同じように、まず、音楽を、コンサートを体験しなければ、自分が音楽を発信することはできません。聾学校の生徒は、メカを通した再生音楽を聴くのは当然苦手ですが、生のコンサートではいろいろな情報を受け取るようです。音楽が真にコミュニケーションだということを実感するのはむしろ彼らのほうが敏感かもしれません。
 ですから、聾学校の生徒に音楽をやらせる時は、身体の訓練の前に、やはり、「いい音楽をたくさん
聞かせる」のが必要だと思います。
 
 彼らこそ「音楽的無音」の力も健常者よりも高い密度でキャッチできるかもしれません。

 後は身体能力の問題よりも呼吸の問題ですね。吹奏楽器はもとより、打楽器でも、音の出る前の呼吸の中にすでに音が凝縮しているわけですから。それは、視覚情報でも強烈に伝わります。
 能のお囃子なんかの舞台を聾学校の生徒に見せたら、その息の仕方と打撃にいたる動線の中に完全に
打楽器演奏を把握すると思います。

投稿: setsuko takeshita | 2008/05/10 09:54

新連載おめでとう。
次回を楽しみにしています。

投稿: NAKASHIMA tatsuo | 2008/05/10 21:04

漸くネットにも登場してくれましたか。
しかし重いね、このページ――。
早速感想のようなものを投稿します。

[非楽ノオト 「定義の問題」]

今回はごく自明なこと――俺にとってだけど――を書く。

定義の範囲が広すぎても狭すぎても、共有するには不都合である。
俺が最大限の範囲で音楽を定義するなら、「人間が、自ら認識した様々な音を、意図的に配列する行為。又はそのように配列された音の記録」といったことになる。

川のせせらぎを音楽として聞くことは聞く者の勝手だが、せせらぎ自体は自然音であって音楽ではない。
せせらぎを聞いた人が、それを音譜に置き換えて作品化したり、録音・構成して作品化したとすれば、俺の言う広義の音楽の範疇に入る――認めない人も多いかも知れないが。

鯨の鳴き声や脳波も、それ自体は音楽ではないが、それらを加工したものを音楽作品として提示する者がいてもおかしくはないし、現にいる訳である。
これも、音あるいは音ならぬ信号を人為的に操作して、最終的に音の作品にしているのだから、音楽と言っていいだろう――認めない人も多いかも知れないが。

だが、ケージの「4分33秒」は音楽ではない。
あれは一般的な音楽概念に対する異義申立てのパフォーマンス以外のものではなく、音楽批評の一形態として捉えるのが常識的な見方というものであろう。
楽譜を付けて「音楽」を装ったとしても、それは屁理屈に過ぎない。
「音楽批評」は、勿論「音楽」ではない。

ベートーベンは途中から聾者になったが、耳が聞こえていた頃の記憶があり、楽音を操作することができたから、聞こえなくなってから書いた作品も音楽になり得た。
彼は自分の書いた曲が実演されたときにどう響くかを認識していた筈である。

CDを再生するスピーカの前に座って音楽を楽しんでいる聾者がいるという記事を読んだことがある。
実際にその人は音圧を快感として感じ取っており、それがその人にとっての「音楽」なのかも知れない。
だが、彼/彼女にとっての音楽は、俺が定義する音楽の範疇には入らない。

当然ながら、ONNYKがレポートした聾学校の生徒たちの行為も「身体運動」ではあるが、音楽の演奏と見做すには無理がある。

俺はここで、音楽であるから/ないから 良い/悪いなどと言いたい訳ではない。
話が噛み合わなく恐れがあるから、音楽と非音楽の間には何らかの線引きをしておく必要があること、また、何でもかんでも音楽に括る必要はないということを言いたいだけだ。

音楽ではないものまでを音楽に取り込もうという姿勢は、音楽の名を借りた専制行為と言うべきであろう。

投稿: geso | 2008/05/12 00:17

Onnyk様、連載楽しみです。
私も以前に聾学校に勤めたことがあり、当日のコンサートには行っていたので、とても興味深く読みました。日本の聾学校では、最近まで、「手話は言語ではない」と広言してはばからず、手話を使う生徒の手を縛り、口話で喋らない生徒の口にはガムテープを貼るという指導が主流でした(しかもそれは文部省の政策そのものでした)。音楽の指導も、聞こえる人のための音楽を聞こえない子どもたちにやらせているわけで、健聴の子どもたちに比べればその演奏は全国大会レベルでも高いものではないでしょう。聴力が130dB以下でスケールアウトといわれる子どもたちは、耳のそばで爆弾が爆発しても音が聞こえません。そういう子どもに音楽を聴かせるのはほぼ無理でしょう。もちろん、視覚的な情報からいろいろなことを学ぶことは可能ですし、子ども一人ひとりの残存聴力に差があるのも当然ですが。手話コーラスは、小中学校が特別支援学校と交流するために取り組んだり、PTAで手話を交えて合唱したりということで、全国的にポピュラーになっていますが、ろう者の手話コーラスには音楽はありません。まったく無音の状態で集団で手話で歌うわけです。また、手話による詩の朗読は、空間を用いる手話の特性を存分に活かして表現され、ろう者にとってはとても情感豊かな芸術のようです。以前、日本の聾学校を卒業し、イギリスに渡ってダンスと振り付けを学んだろうの振付家の方に会ったことがありますが、音に合わせて踊ることとは違う方法論があるのでしょう。聾者にとっては、ろうの文化の中での独自の芸術表現の体系があり、それは聴者の表現とは当然別のものです。日本の中で、「日本手話」と呼ばれる独自の言語を話すろう者は、言語的少数者、文化的少数者として差別されてきました。ろう者の中では、聾教育における音声日本語の強制は、日本における琉球やアイヌの差別、太平洋戦争までの日本の占領地への日本語の強制と同様に同化政策として捉えられてきました。現在の中国のチベットを初めとする少数民族の人権や文化への弾圧も同じ構図の中で捉えられるでしょう。言うまでもなく少数者の文化を尊重する姿勢が必要で、聴者の文化や価値観をそのまま押し付けることは出来ないでしょう。
ところでこれは、当日出演した聾学校の音楽の先生から聞いたのですが、有賀先生は最初、盲学校に生徒を指導したいと申し出て断られたそうです。当然盲学校であれば、見えないことの代償としての鋭敏な聴覚に基づいた指導がなされたことでしょう。盲学校に断られ、聾学校に指導を申し出た時点で、有賀先生の意図はかなり違ったものになったと思われます。音楽の指導以前に、よく工夫された様々な身体の運動をさせることで、普段ゲームばかりしている聾学校の中学生たちに自らの身体に注目することを教え、打楽器を演奏する身体の基礎を作り、内なるリズムを覚醒させていこうとする有賀先生の試みは、月1回一年間という限られた時間の中で表面的に音楽を演奏する技法を教えることより妥当な試みであるように思われました。当日の発表では、いわゆる「曲」にはなっていなかったのですが、生徒個々の発達の過程の中で、貴重な体験をすることが出来たと思います。
音楽の話題から離れてしまった部分もありますが、参考まで。

投稿: yas hosono | 2008/05/12 16:30

コメントをお寄せ下さった皆様、ありがとうございます。私的メールにも、色々な感想が寄せられ、反応の広さ、早さにも驚いています。これもブログ故でしょうか。雑誌にはずいぶん書いてきたのですが、反応はあってなきが如しでしたから。コメントの内容も濃くて、いろんな視点があり、全てにお返ししたいのは山々なんですが、ちょっと厳しいですね。また個別のテーマで論じたく思います。そんな訳で、丁寧なコメントをいただきながら、失礼する事をお許し下さい。次はまた全然違う話題で登場しますので宜しくお願いします。

投稿: ONNYK | 2008/05/16 12:47

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