沼野雄司のボストン通信01(2008/05/10)
ボストンはようやく満開の桜が散りはじめたところです。ハーヴァード大学の客員研究員という立場でこちらに来てから、ようやく一カ月がすぎました。今のところまでを総括すると、予想どおり英語の苦労はありますが、内容はきわめて刺激的で、なにか学者として日々リニューアルしている気分です。ブルックラインにある僕のアパートから大学までは、地下鉄(こちらでは「T」とよばれる)あるいはバスで40分ほどなのですが、だいたい朝は8時半過ぎには大学に到着して、夕方6時過ぎまで滞在しているというペース。これくらいぜいたくに勉強できる環境はひさしぶりで、あらためて勤務先の桐朋学園大学に感謝しています。
[photo 1 春のハーヴァード・ヤード]
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こちらで研究しているのは、おもに1930年代を中心にしたアメリカ社会と当時の前衛作曲家の関係ですが、まずはなによりもありがたいのが、世界最大規模の大学図書館。一次資料はともかくとしても、ある論文を読んでいるときに、そこで引用されている文献のほぼすべてに直接アクセスできるので、研究上のストレスがかからない。日本にいるとつねに、まずは資料と文献がどこにあるか、それをどうやって手に入れるかという部分から調査が始まるので、これはいまだに感激します。
図書館は小さいものまで含めれば80以上あるらしいのですが、僕がおもに使っているのは、音楽図書館であるLoeb music Libraryと大学の象徴ともいえるWidener Library。その他、必要におうじて、歴史や教育の分野の図書館にも出入りしていますが、学内はすべて無線LAN環境が整っていることもあり、気分に合わせて毎日、異なった場所の図書館やカフェで仕事をするのが、なかなか楽しい(ちなみに、この文章は人文学のバーカー・センターのカフェで打っています)。ともかく、研究状況は順調です。まあ、まだ端緒についたばかりなので、これからが勝負ですが。
[photo 2 巨大なワイドナー図書館]
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4月いっぱいまでは、授業がまだあったので(5月は基本的に試験期間、6月からは夏休み)、英語の勉強と、教師としての「偵察」をかねて、音楽史系の授業にもいくつか顔を出していました。アメリカでの基礎的な講義はみなそうでしょうが、すでに学期初めに、毎回の授業でテキストのどこを扱うかが示されているので、学生は原則としてはかならずそれを読み、かつ参照される楽曲も聴いてくるというスタイル。だから、教員が最初に補足的な説明を15分くらいで終えた後、授業の大半はディスカッションを軸に費やされます。ここは僕がふだんやっている授業とはまるで違うところ。つまり、この場合、教師の役割は知識を伝授することではなく、学生にさまざまな角度から質問を投げかけ、かつ議論を整理することで、当該の事柄を立体的に理解させることにあるわけです。音楽史のように、あらかじめ授業の概要が定まっているものにかんしては、きわめて効率がいいやり方でしょう。ちなみに音楽史のテキストは、WeissとTaruskinのMusic In the Western World: A History in Documentsです。
この授業形式を日本でもぜひ真似したいところではありますが、実際問題として難しいのは、予習はともかく、その後のディスカッションがなかなか盛り上がらないことが予想される点にあります。ほんと、アメリカの学生はよくしゃべるので。もちろんこれは、議論に貢献することが成績にカウントされるという前提があってこそだからでしょうが、あのように、ものおじせずに発言するという身体感覚あるいは反射神経のようなものは、幸か不幸か、僕らにはない。もちろん、なかにはぜんぜん予習しないで発言していることがバレバレの学生もいるわけですが、まあそれでもちゃんと理屈をこねるのは立派。
ハーヴァードで僕を受け入れてくれたのは、アメリカの20世紀音楽研究のスペシャリストであるCarol Oja教授ですが、彼女のミュージカル史の授業は、このジャンルの重要性と研究の可能性をクリティカルに指摘するもので、毎回、なかなか刺激がありました。大教室なので基本的には一方向の授業ながらも、完璧に準備された内容が効果的なパワーポイントで提示されるのに加えて(こっちの学者は、みなパワーポイントの用法がじつにたくみ)、毎回、選抜された学生が、対象となっているミュージカルの一場面を演じるという趣向がアメリカならでは。もちろん、みなじつに達者です。最後の授業では、場所を小さなステージに移したレヴュー大会で、えらい盛り上がりでした。また、この授業では、ちょうど学期末に、SondheimのPacific Overture(ちょっと前には宮本亜門がハリウッドで演出して話題をよんだ、黒船来航物語)をとりあげたのですが、とうぜんながら、ここではいわゆるYellowfaceにかんする問題、つまり紋切り型としての東洋という問題が俎上にあげられるわけです。これについてはOja教授とメールでいくつか意見交換をした結果がそのまま授業に反映されたりして、スリリングでした。
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ボストンといえば、たいていの人がボストン・シンフォニーを思い起こすでしょうが、こちらも、残念ながらレギュラー・シーズンは5月頭で終わり。2007/2008シーズンの目玉だった、ベルリオーズの《トロイアの人々》(レヴァイン指揮、もちろん演奏会形式)は、Oja教授といっしょに観に行きましたが、それ以外は残念ながら到着後のバタバタで行かれず。もっとも5月に入って、ボストン響がポップスに姿を変えてからは、ちゃっかりとバーンスタイン・トリビュートの演奏会に行ってきました。シンフォニー・ホールの一階固定席をレストラン・スタイルに変えて、ビールとかワインを飲んだりしながら楽しむわけです。
また、うれしい誤算だったのは、学内でずいぶんとたくさん現代音楽の演奏会があること。4月後半の、ほんの2週間ばかりで目ぼしいものをあげてみても、ラッヘンマン個展、アンサンブル・タッシ(メシアン、カーター、タケミツ)、Yinカルテット(ストラヴィンスキーの弦楽器作品全曲)といった演奏会(全部無料)があり、さらにはトレヴァー・ウィシャートの講演(参加者はわずか10人ほどで、ゼミみたいだった)もありました。また、授業の一環ではありますが、マーヴィン・ハムリッシュ(《コーラス・ライン》や《追憶》の作曲家)の講演もサービス満点で面白かった。もちろん、学生レヴェルの新作発表会や演奏発表会も、ひんぱんにあります。ちなみに現在、ハーヴァードの作曲科にはラッヘンマンとファーニホウという、きわめて非アメリカ的な2人が客員教授として来ており、来週はマリオ・カローリをゲストに迎えたファーニホウ個展が……。
シンポジウムの類は、学内のさまざまなジャンルで毎日のように開催されていますが、音楽関係の大きなものでは、ボストン響での演奏会に合わせてアメリカの名だたるベルリオーズ学者が全員集まった《トロイアの人々》シンポジウム(レヴァインも来た)が、さすがに迫力があった。なにしろ、こちらは毎日朝から晩まで資料を読んでいるので、研究に疲れると、どこかの講演かシンポジウムに顔を出すのが、ちょうどよい息抜きになっています。
[photo 3 音楽関係の講義やコンサートが行われるジョン・ノウルズ・ペイン・ホール・ホール]
ということで、また隙を見て通信を送ります![沼野雄司]
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