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2008/05/03

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」025──武久源造ほか[2008/04/24|東京大学]

◆東京大学教養学部オルガン演奏会 第113回演奏会
 2008年4月24日(木)18:30 東京大学教養学部第900番教室

◎出演
 武久源造(オルガン)
 蓑田弘大(三味線)
 中村仁樹(尺八)
 衣袋聖志(箏)
 山川節子(パーカッション)

◎曲目(配布プログラムをもとに、実際の演奏にしたがって筆者の責で修正したものです)
[第1部]
 1.〈オルガン独奏〉J.P.スヴェーリンク:半音階的ファンタジー
 2.〈オルガン独奏〉J.C.ケレル:カプリッチョ「カッコウ」
 3.〈オルガン独奏〉A.L.ヴィヴァルディ:コンチェルト ホ長調(武久源造編曲)op.8-1 RV269《春》
 4.〈オルガン独奏〉J.S.バッハ:コンチェルト イ長調(武久源造編曲)第3楽章
[第2部]
 1.〈オルガン独奏〉W.A.モーツァルト:「アンダンテ」へ長調 K.616
 2.〈邦楽器〉中能島欣一:さらし幻想曲
 3.〈邦楽器〉中村仁樹:楽園
 4.〈オルガンと邦楽器〉即興演奏
[アンコール]
 〈オルガンと邦楽器とパーカッション〉中村仁樹:楽園

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駒場の東大教養学部でのオルガンの演奏会はこのほどはじめて知ったが、今回が113回にもなるという歴史のある催しで、武久源造さん自身も過去に演奏したこともあったという(10年以上前のことらしいが)。会場の講堂は教会のように後方の2階席にパイプ・オルガンが備えつけられており、今回はさらに共演者の邦楽器奏者のための、仮設舞台がオルガンのまわりに特別に設えてあった。そう、今回はオルガンと邦楽器が共演するという、またしても武久さんならではの超刺激的なコンサートだったのだ。

プログラムの第1部は、武久さんのオルガン・ソロ。後方での演奏のため、演奏風景をヴィデオ・カメラで撮影して正面のスクリーンに映し出すというのが、この演奏会の独特の趣向のようだったが、この第1部ではあえて映像はなし。例によっての気のおけない魅力的なトークで(2階席からノン・マイクで話して広い会場をインティメートな雰囲気に変えてしまうのだからさすがだ)、武久さんは「オルガンは最近では普通の楽器として扱われるようになったが、本来は宇宙のハーモニーを表現した神秘的な楽器なので、どういうふうに鳴っているのがわからないところがよいのだ」といったウンチクを語ってくれて、無知な筆者はまたひとつよい勉強になった。そういえば、以前にあるところで武久さんの演奏を聴いたときに、その会場ではオルガンが前方にあるにもかかわらず、あえて演奏者の姿がひじょうに見えにくい構造になっていたのをちょっと不思議に思った記憶があったが、なるほど……。

さてかんじんの演奏は、まず厳かで思索的ながらも、独特のどこか熱を帯びた力感のある音でスヴェーリンクの曲がつづられた。そしておなじみのケレルの《カッコウ》。カッコウをはじめさまざまな鳥たちの鳴き声を即興たっぷりに描写するこの曲を、「武久といえばケレルと思われているくらいに弾きすぎた」とご本人は苦笑しながら紹介していたが、しかしマンネリ的な印象は微塵もなく、今回はとくに武久さんの優しい心を表したような穏やかで繊細な囀り声の演奏がつぎつぎに繰り広げられた。カッコウやウグイスの美声にまぎれて鳴く、ごく小さな音でのキツツキもユーモラスで楽しい。今回の楽器はパイプ・オルガンとしては比較的小型のもののようだったが、この楽器ならではの可憐なサウンドの魅力を十全に発揮させた演奏といえるもので、これは今回のオルガン・ソロ曲のすべてに共通する魅力のポイントだった。

そして、あのヴィヴァルディの《四季》からの《春》。武久さんがコンヴェルスム・ムジクムをひきいて録音した『四季』は世界一ヴィヴィッドな『四季』と筆者は確信しているし(まだお聴きになっていない方は、親父の入れ歯を質に入れても、ぜひすぐにCD販売店へ!)、オルガンのソロでも、武久さんはすでに全曲のみごとな演奏を、それもモダン舞踏のパフォーマンス付きで聴かせてくれたことがある。はたして今回もひじょうに印象的な演奏だった。冒頭の浮き立つような明るい躍動感が、まず素晴らしい。そして今回の楽器の音の特徴を生かした、よく通った音のブレイクを経て、本格的な合奏のパートに入っても、この浮き立つような明るいサウンドがベースに強く感じられるのが印象的だったし、さらに全開の重厚なサウンドのパートでも、過度に重くなりすぎずに、あたかもアコーディオンのような明るく元気のよいサウンドが鳴り響いたのだった。重くなりすぎずに明るいなどといっても、そこは武久さんらしく、イージー・リスニング的なところは微塵もない。第1部のラストのバッハでは、惰眠をむさぼっていた(?)愚身を叩き起こすような破竹の勢いの演奏で、一挙に燃え上がって、カッコよさ最高! ウラメロの演奏も軽快なノリで、じつに爽快な1曲だった。

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休憩後の第2部は、まずもう1曲、オルガン・ソロで、モーツァルトが自動オルガンのために依頼されて「いやいやながら」書いたという曲。たしかにポッポッポッという一定のリズムの繰り返しなど、いかにも自動楽器っぽいところもうかがえる曲だが、武久さんは人間臭く血のかよった音楽として聴かせてくれた。冒頭のテーマの、ためらいつつ出てくるような、可憐でもあり、またおどけているようでもある微妙な表情からしておもしろく、自動オルガンの曲としても、その自動オルガンが茶目っ気たっぷりに鳴っているような──とでも形容すればよいのだろうか──ともかくじつに人なつこい演奏であった。

ここでお待ちかねの邦楽器奏者の登場である。筆者は不勉強にしてはじめて接した方々ばかりだったが、当日の資料によれば、高名な演奏家を父にもち、東京芸大で長唄三味線を専攻後、現在は昭和音楽大学講師で作曲や教育でも活躍している三味線の箕田弘大さん、同じく芸大出身で邦楽コンクール優勝後、現在はジャズや作曲・編曲も多数手がけている尺八の中村仁樹さん、「和音」というグループを結成して積極的に演奏活動を展開している箏の衣袋聖志さんの3人で、いずれも才気あふれる若手アーティストだ。当夜は、ここでこの3人だけの演奏がまず2曲演奏されたが、それを聴いて筆者はいっぺんで虜になってしまった。素晴らしくシャープでノリのよい演奏であるだけでなく、筆者のような基本的に西洋音楽ファンの耳で聴いても、即座に親しめるような演奏だったのだ。《さらし幻想曲》は勢いのよい箏のブレイクに弾けた三味線が加わり、さらに尺八が重なっていくが、このグループ演奏のフィーリングがとても親しみやすいし、その後リズムに乗って自在なソロを聴かせる尺八は、まるでフルートのよう(フラッター・タンギング?まで披露してくれた)、さらに随所でメリハリをつける箏はまるでパーカッションのように感じられて特別に身がまえることなく楽しめた。いっそう印象的だったのは尺八の中村さんが書いた、続く《楽園》で、こちらはゴージャスな箏の響きに乗って、力強くまた幽玄なサウンドの尺八が大活躍し、それに合いの手のように三味線がからんでいくというスリリングな演奏だったが、テーマのメロディも明快で、民族派のニュー・ジャズの良質な演奏を聴いているかのような心地よい錯覚におそわれたのだった。

そして当夜の最大の注目の武久さんとこの3人の共演である。基本的には即興演奏なのだが、武久さんは「TODAI(東大)」のスペルを音に置き換えたものをテーマのメロディとして設定する、といういつもながらのおもしろいアイディアを提示し、演奏は静かなオルガン・ソロによるそのテーマの演奏で始まった。しっとりした演奏だが、自在なインプロヴィゼーションが聴きもので、さらに演奏が進むと、それにウナリのようなサウンドが付加されて迫力を増していった。こうした随所のオルガンのサウンドの変化はストップを駆使したもので、おそらく山川節子さんたちも大活躍していたのだろう。

さていったんオルガンが静かになって箏と三味線が細かな音を重ねていき、そこへふたたびオルガンが登場して邦楽器との掛け合いになったが、オルガンが邦楽器の細やかなリズムに呼応しながら、力強いサウンドを入れていくさまはとても印象的で、そしてやはりある種のジャズ的なフィーリングを感じずにはいられなかった。そして一転して広大な大地が頭のなかに浮ぶような曲調になり、オルガンが滔々と流れ、これに尺八が断片的にからんでいく。そしてこんどは箏の繊細な音と対話するオルガン……。ふと尺八の中村さんを見るとなんと演奏しながら1階へ降りてきた! そしてゆっくりと1階の客席のあいだを通って、会場の正面に到達。正面では、後方2階の仮設舞台の武久さんたちの演奏風景がスクーンに映し出されていたのだが、滔々と尺八を吹きつづけている中村さんは、スクリーンの前に歩みでて演奏し、音はもちろん視覚的にもほかの3人といっしょになった。会場をフルに使った忘れられない演出だったが、それ以上に悠然とした演奏がみごと。これにオルガンや箏による風切り音のようなサウンドが付加されていったのがまたおもしろい。このとき武久さんは、なんとオルガンの鍵盤のアタック音だけの無音演奏(といえばよいのか)を披露してくれたのだ。続いて尺八と三味線の激しい対話となり、これにまるで笙の音のようなオルガンが割って入り、激しい和洋楽器の響き合いのクライマックスに突入。激しい演奏のなかを、やがて尺八は後方2階へ帰っていき、2階舞台での全員によるさらなる激演。そしてラストは激演の興奮を静めるようにオルガンの荘重な演奏に尺八や三味線が寄り添っていった。……割れるような満場の拍手。まさに武久さんらしい、ドラマ性たっぷりの前代未踏の音楽で、ひとつの歴史的なイヴェントに立ちあった充足感に満たされたのだった。

アンコールは、先の傑作《楽園》を武久さんのオルガンと、さらに山川節子さんのパーカッション(カメルーンのジュジュという楽器)を加えて演奏するという、これまた垂涎ものの1曲(なお山川さんのパーカッションはじつは前曲でも隠し味的に演奏されていた)。期待にたがわず、印象的な尺八のテーマをオルガンが支えたかと思うと、両者は熱くぶつかりあい、そこに効果的なパーカッションが加わり、そしてオルガンの超絶技巧のソロ・ブレイク! それに三味線が激しく打ち鳴らされる……と聴きどころいっぱいの民族音楽(トラッド)的かつジャズ的な熱い熱い演奏であった。

武久さんと3人の邦楽演奏者とはなんとこれがまだ2回目の共演だというが、息もぴったりで、まるでひとつのグループのようにさえ感じられた。さらに素敵なことは、それが閉じたグループではなくさまざまな可能性を秘めた開放的なグループと強く感じられたことである(じっさい、まったく別ジャンルの某アーティストを加えて演奏したいというすごい将来構想も!?)。ともあれ、この音楽は、若手邦楽器アーティストたちの柔軟さと、なによりも武久さんの包容力による奇跡の音楽で、筆者としては、この場に立ち会えた幸運を感謝しながら、この奇跡をより多くの聴き手が共有できるようになることを願うばかりであった。

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ところで、突如としておこなわれるかのような、日本の最先端の古楽アーティストよる、このような掛け替えのないステージの事前情報を得るにはどうすればよいのか。

古楽情報誌『アントレ』なども有用だが、これはというアーティストを見つけたら、そのアーティストのコンサート/ライヴにできるかぎり足を運ぶのがなによりもいちばん。そうすれば一般には広く告知されないものも含めて、今後の見のがせない演奏予定が手に入る可能性がもっとも高い。あまりに身もフタもない方法といわれそうだが、この武久さんの場合はさいわい、「鍵盤楽器奏者・武久源造と山川節子の活動記」と題された山川さんによるブログにほとんどの活動情報が掲載されるので、ファンとしてはたいへんありがたい。ぜひご一読を。[白石和良]

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コメント

渋滞の中、ようやく軽井沢から帰って来ました。
きょうもいらしてくださりありがとうございました。
午前中から出かけるのが苦手な山川ですが、
明日のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンも頑張りますので、
お聴きいただけましたら嬉しいです。

投稿: Yamakawa | 2008/05/05 01:23

山川さま、コメントをありがとうございます。
軽井沢の素晴らしい環境の中での武久さんのオルガンと桐山さんのヴァイオリンのコンサート、本当に素晴らしい音楽で一杯に満たされた一日でした。(怠け者ですのでいつも遅くってすみませんが、後ほどレポートさせて頂きます。)
本日5/5のラ・フォル・ジュルネでの武久さんのピアノ・ソロと、山川さんとの連弾も、大通りに面したビルの外や、美術展の会場の様な(軽井沢とは180度違った)環境でも、聞き手を釘付けにしてしまう、演奏の説得力は驚異でした!
それにしても昨日夜軽井沢から戻られて今日の12時からまた本番とは超人的なご活躍です!

投稿: Shiraishi | 2008/05/06 04:33

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