團伊玖磨のみずみずしさについて[2008/06/12|津田ホール]
團伊玖磨アーカイヴズ主催「合唱による團伊玖磨メモリアルコンサート」(津田ホール)。辻井喬の詩に作曲された混声合唱のための作品3つ──《海を探しに行こう》(1969)、組曲《木曽路》(1983/朗読、オーボエ、ピアノ)、組曲《長崎街道》(1986/朗読、フルート、ピアノ)──と、アンコールに女声二部合唱のための《夏帽子》《秋の思い》(1999/詩:滝沢政治/ピアノ/初演)。
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どの作品も、豊かでみずみずしい。聴いていて、変なはなしだけれど、むかしから團伊玖磨の作品が苦手だったことを思い出した。この豊かさ、みずみずしさ、おおらかさは、ほんとうに作曲家の真実から出ているのだろうか、といつも思ってしまうのだ。ひねくれているのはわかっているのだけれど。人間の真実は、もっと微細でさりげない、くすんだもので、こんなにかがやかしく、大きなスケールの音楽で伝えることはできないのではないのか。
でも、この夜、絶筆となった《夏帽子》と《秋の思い》を聴いていて、このひとは最後の最後まで、そのみずみずしさをつらぬいたのだ、ということがわかって、ぐっと感じるものがあった。こういうスケールの大きなひとも、存在するのだ。そんなこと、早くからわかっているべきだったのだろうけれど、ぼくにはこの夜、やっとわかった。そして、うれしかった。
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アンコールのアンコールに演奏された《花の街》。いままで、メロディのシンプルさにたいして、ピアノ伴奏がどうしても“大仰”にきこえてしまっていたのだが──中田喜直なら、あんなに派手な前奏はつくらなかっただろう──気持ちよく聴けた。ああ、これが團伊玖磨なのだ、と。よい演奏会だった。[木村 元]
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