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2008/07/08

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」027──特別編*『スウィート・チャイルド』40周年記念コンサート[2008/06/29|ロンドン]

Pentangle2008◆Sweet Child 40th Annivewrsary Concert
 2008年6月29日(日) ロンドン ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

◎出演
 ペンタングル The Pentangle
  Terry Cox: ds, glockenspiel, vo
  Bert Jansch: g, banjo, vo
  Jacqui Mcshee: vo
  John Renbourn: g, sitar, vo
  Danny Thompson: b

◎曲目
 Part 1
  1. The Time Has Come +
  2. Light Flight
  3. Mirage
  4. Hunting Song
  5. Once I Had A Sweetheart
  6. Market Song +
  7. In Time
  8. People On The High Way
  9. House Carpenter
  10. Cruel Sister
 Part 2
  1. Let No Man Steal Your Thyme
  2. No Love Is Sorrow
  3. Bruton Town +
  4. A Maid That's Deep In Love
  5. I've Got A Feeling
  6. The Snows
  7. Good Bye Pork Pie Hat +
  8. No More My Lord +
  9. Sally Free And Easy
  10. Wedding Dress
  11. Pentangling
 Encores
  1. Wille O'winsbury
  2. Will The Circle Be Unbroken?

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 発端は昨年末に来日したアイルランドの素晴らしいコーラス・グループ、アヌーナだった。リーダーのマイケル・マクグリンは、スティーライ・スパンやペンタングルといった往年のブリティッシュ・フォークのアーティストたちから多大な影響を受けたことを公言している人だが、そのマイケルから打ち上げの席でこう聞いた。「もう僕はチケットを買ったのだけれど、来年の6月はロンドンでペンタングルのコンサートを聴く予定なんだ。彼らはオリジナル・メンバーでの再編コンサートをやるんだよ」。「えっ!?」──一瞬、耳を疑った。不覚にも知らなかったぞ……。

 1960年代のスウィンギン・ロンドンに登場した5人組(バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ジャッキー・マクシー、ダニー・トンプソン、テリー・コックス)のペンタングルは、ジャズとブルースとフォーク・ミュージックを核融合したような唯一無二の音楽で世界に衝撃を与えた後、73年の初めには惜しくも解散してしまい、以降オリジナルの編成とサウンドは今日まで二度と再現されることはなかったのだ。付け加えると1980年代にペンタングルの名前での再編がおこなわれて1990年代半ばまで断続的に録音もリリースされたことはあったが、このときは、最初はテリーが交通事故で参加できず、彼が復帰して新作アルバムを制作するときまでにこんどはジョンが自分の道を進むために脱退してしまい、けっきょくオリジナルの5人での再編はおこなわれなかった。実際の音楽もこの再編バンドは最初からオリジナルとは違うフォーク・ロック的なサウンドで、さらに活動を続けるにつれてテリーやダニーも脱退してしまい、音楽的にも、ますます通常のフォーク・ロック・バンドになってしまったのだった。だからこの80〜90年代の再編ペンタングルはまったくの別物である。

 さて、マイケルからの情報を急いで調べてみると、たしかにチケットはネットでも販売されていて、すでに売り切れ間近か。後先も考えずにとりあえず購入してしまった。だって、これは筆者の最愛のオリジナル・ペンタングルの奇跡的な再編ステージであるばかりでなく、しかも『スウィート・チャイルド』の録音40周年記念という二度とないコンサートだったのだから。ペンタングルのファン以外の方にはなんのことかわからないの思うのでご説明すると、オリジナル・ペンタングルが日の出の勢いだった1968年6月29日にこのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサートがライヴ録音され、それが彼らのセカンド・アルバム『スウィート・チャイルド』(2枚組)のうちの1枚(残る1枚はスタジオ録音)としてリリースされて名作として語り継がれているのだ。その録音からちょうど40年後の同じ日に同じ場所でおこなわれるコンサートなのだから、このコンサートを聴くことはブリティッシュ・フォークの歴史に参加することでさえあるのだ!(嗚呼、かなり誇大妄想気味の自己満足……)

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 前置きが長くなったが月日はあっという間にすぎ、諸般のやりくりを無理やりおこなって意気ごんでロンドンに到着してみると、現地は思いのほか冷めた状況だった。たしかに『ぴあ』のロンドン版のような『Time Out』誌にはジャッキー・マクシーのコメント付きで1ページのコンサート紹介記事が載っていたし、もっと簡単な記事は一般の新聞にもあった。しかしこれらはあたりまえすぎるもので、それよりも地下鉄の駅や街頭はおろか、当のロイヤル・フェスティヴァル・ホールにさえ、1枚のポスターも見られないのだった。本当にやるのか? しかし考えてみれば、ペンタングルはもとより派手なお祭り騒ぎにはおよそ似つかわしくないアーティストだし、これでよいのだろうと勝手に納得。

 1951年に建造されたロイヤル・フェスティヴァル・ホールはロンドンの中心部に位置しており、テームズ川沿いのロンドン・アイ(大観覧車)のすぐ近くだ(まったくの余談だが『サンダーバード』のリメイクの映画のほうで、フッドに乗っ取られた2号が破壊したモノレールの橋もこのすぐ近くであるが、実際にはモノレールはない)。ホールの外見はかなりモダンだが中の設備や内装を見るとやはり相応の年季が感じられる。しかし、年季の入った内部の落ち着きがまたなかなか心地よいのだ。

 コンサートは午後8時のスタートだったが、前夜コンサートに遅刻するという悪夢を見てしまった(苦笑)筆者が6時過ぎにホールに行ってみると、当然かもしれないが観客はまだ誰もきていない。ブラブラしているとなんとバート・ヤンシュその人が楽屋口から夫人のローレン(?)を伴ってひょっこり出てきたのだ。過去の来日時になんども会っているとはいえ、この日、この場所である。とっさに「東京からこの夢のようなコンサートのために来ました」と陳腐そのものの挨拶。「そうかい、楽しんで欲しいね」といつもながらの悠然としたバート。じつはほかの4人のメンバーを含めて、終演後にもういちど会う機会に恵まれたのだが、このときはこれ以上の言葉を交わすには恥ずかしながら胸がいっぱいであった。しかし興味深いことにほかには誰ひとりとして寄ってこなかったのだ。

 こんなことをやっているうちに、いよいよホール内には観客がそぞろ集まりはじめた。まず、さすがに年齢の高い層が目につく。それも往年のヒップなカップルのなれの果て(失礼)といった感じの気合の入った面構えの男女連れがけっこう多いのが面白い。といっても若い観客ももちろんいたし、いっけん年季の入った外見の人々も実際に40年前のコンサートを聴いたような世代ばかりではないようだ。また終演後に偶然会話を交わした観客のなかには、米国やブルガリアからこの日のために見にきた人々もいた(ところで、アイルランドから来ているはずの件のマイケルにはけっきょく会えなかったのだが……)。会場の規模は、2,900人の客席数で、正面には3階席まであり、また左右の壁にはバルコニー席が多数あったが、開演の少し前になるとやはりすべて満席の状態で、場内は異様な熱気に満ちていた。筆者の席は左右の位置ではまんなか付近ながら、3階の中ほどなのでオペラ・グラス持参でのぞんだ。

 海外の大物ポピュラー・アーティストの公演ではサポーティング・アクト(前座)のステージの後にやっとお目あての本人の登場となるかたちが通例だと思うが、この日は確認したところ前座はなしとのことで、このひとつをとっても彼らのなみなみならぬやる気を感じてしまった。

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 さてさて定刻になり、照明が落ちると明瞭な男声のアナウンスで「... Ladies and gentlemen, please welcome PENTANGLE!」。このアナウンスの声の質や「PENTANGLE」の名前をちょっと気取ったように抑揚を付けて呼ぶところは『スウィート・チャイルド』のライヴ盤の出だしそのまんまで、満場の観客たちはさらにヒート・アップしてしまう(しかし、これで開始前から総立ちになってしまうようなことはなかった)。まず注目の出だしの曲はやはり『スウィート』のように〈マーケット・ソング〉だろうか? 1968年のステージのセット・リスト(曲順表)はすでに失われてしまったといわれており、実際にはどういう曲順だったのかペンタングル自身も記憶していないようで今日では不明なのだ(『スウィート』はコンサートを編集したもので曲順も変えられている)。ともあれ懐かしい思い出に目頭が熱くなったのだが、この状態は喜ばしくもこのアナウンスまでだった。果たしてスタートはアン・ブリッグスの名曲〈タイム・ハズ・カム(時は来たりぬ)〉だった。この曲は40年前にも演奏された曲だったが、これはまず声を大にして言わなければならない。この日のコンサートは「40周年記念コンサート」ではあっても「再現コンサート」の類ではけっしてなかったのだ。これから具体的に報告するように、ペンタングルは若いころの音楽を再現したのではなく、はるかに成熟した2008年のみごとな演奏を聴かせてくれたのである。また論よりも証拠で、上記の曲目表(筆者が聴いてメモしたもの)を見ていただきたい。この日に演奏された曲目で『スウィート』のライヴ盤に収録されていた曲(同盤のCD化のさいの追加曲を含む) に+マークをつけてみたが、それはアンコールを含めて全23曲中のたった4曲のみ。このことをみただけでもこれが再現コンサートの類ではないことがうかがえよう。

 ペンタングルの5人はジャッキー・マクシーを中心にして、向かって左手前にジョン、左奥にダニー、右奥にテリー、右手前にバートという配置で、ダニー以外の男性陣はみな腰かけて演奏するというおなじみの光景だったが、ただし往時には緊張のあまり足の震えが止まらず、いつも高い椅子に腰かけて歌っていたというジャッキーが終始堂々と立って歌ったのは、当然といえば当然か。彼らの背後に曲ごとにプロジェクターで色を変える6枚の衝立があった以外は、よけいな飾りがいっさいないシンプルなステージであった。

 いよいよ肝心の中身だが、まずなんともどっしりとと落ち着いたリズム・セクション(ダニーのダブル・ベースとテリーのドラムス)が印象的で、これによって往時でも大人の音楽だった彼らのサウンドがいっそうジャジーでアダルトな音楽に変貌していたのだ。超一流のセッション・ミュージシャンとして今日まで不断の活動を続けているダニーの演奏がみごとなのは当然としても、ひところはプロとしての音楽活動から引退状態だったテリーの演奏もまったく衰えを感じさせないものだった(蛇足だが、終演後に聴いたところテリーは、かなり前のことだがシャルル・アズナヴールのバック・バンドの一員として来日もしたという)。そしてこの2人のヘヴィなリズムの上で、ジョンとバートが自在なギターを聴かせたのだったが、とくにジョンが異様にテンションが高く力強いソロ演奏を連発し、ときにはジャッキーの歌唱と交錯するのもいとわずに弾きまくってくれたのも痛快だった。オリジナル・ペンタングルの音楽の魅力のひとつはコレクティヴ・インプロヴィゼーション的なものなので、演奏がおとなしく歌のバックをつとめてだけいては面白くないのである。ジャッキーの歌声は往時と比べてはもちろんのこと、90年代の来日時と比べても高音の伸びは正直いまひとつの感があったものの、音楽としてのまとめ方はさすがで不満を感じさせない。そしてときにふっと力を抜いたときの「フルート・ヴォイス」にはやはり神秘的なまなでの魅力があった……。

 ひとことでいえば解散後35年ぶりのオリジナル・ペンタングルは冒頭の1曲目で満場の観客を打ちのめしてしまった。世界一厳しいロンドンの観客は、懐かしさ故ではなく演奏の質の質の高さに対して割れるような拍手を送ったのだった。そしてジャッキーの簡素な挨拶。「これから私たちのヒット・パレードをやります」といった軽いジョークのあと始まった2曲目はなんと〈ライト・フライト〉。ミディアム・テンポの前曲ならまだしも、往時にははじけるような演唱を聴かせたアップ・テンポのナンバーなので、さすがに大丈夫なのかと思ってしまった。しかしこの曲はもちろんのこと4曲目には多重コーラスがダイナミックに展開する、あの〈ハンティング・ソング〉(バートが「じつに60年代的な曲」と紹介していた) までも2008年のペンタングルは、ややヘヴィなサウンドになったが、みごとな演唱で聴かせてしまったのだ。大丈夫なのかなどとはいらぬ心配で、このような難曲を演奏できるのは、世紀が変ろうともやはり彼らしかいないのだ。そしてこの〈ハンティング・ソング〉をはじめ、〈マーケット・ソング〉〈ピープル・イン・ザ・ハイウェイ〉などなど、ジャッキーとデュエットするバートの歌声がじつに若々しいのも印象的だった。そう、バートはあの孤高の歌声をたっぷり聴かせてくれたのだ。さらにかなり多くの曲でテリーまでがドラムスを叩きながらコーラスで参加していたのもうれしい驚きだった(往時はそうだったのだが、今日やってくれたとは)。歌については昔から無言の男のダニーはもちろんとして、ジョンにはなぜかヴォーカル・マイクがなく、そういえば〈星をみつめて〉など『スウィート』で印象的だったジョンが歌うナンバーが出てこない。しかし結論からいえばこれはまあ杞憂であった。パート2の最後のほうの〈ウェディング・ドレス〉ではジョンにもヴォーカル・マイクが立てられて彼もいちおう歌声を聴かせてくれたのだから。近年の様子からしてもジョンは歌唱には力を入れていないので、彼の歌う曲が少なくまたトークもなかったのは事実なのだが、そのぶん上記のように気合の入ったリード・ギターを聴かせていたし、また蛇足だが、会場で販売されていた立派なプログラム(この日からのツアー用につくられたもの)にいちばん長文を寄せていたのもこのジョンだったのだ。

 話がそれたが、3曲目の〈ミラージュ〉のようなスローでブルージーなナンバーでは、往時よりもディープな表現で、やはりよりいっそう素晴らしい。先を急ぐと、7曲目でジャッキーが抜けてインストの〈イン・タイム〉になると、もうどうしようもないほどハードでジャジーに決まった演奏で、手がつけらない素晴らしさ! そしてジャッキーが戻って驚きの〈ピープル・イン・ザ・ハイ・ウェイ〉に。何が驚きかといえば、これはオリジナル・ペンタングルの後期の傑作で、このころにはジョンの弾く浮揚感のあるエレキ・ギターがサウンドのひとつの要になっていたのだが、それを今回はまったくのアコースティック・サウンドで演じてくれたからである。パート2の2曲目の〈愛は悲しみではなく〉なども同様だが、往時にはジョンのエレキが活躍した間奏部分は今回は新しいアレンジによる彼自身のブルージなアコースティック・ギター・ソロに置き換えられており、やはりいっそうアダルトでまったく新しい曲のような印象すら感じられた。つまり今回は、初期のフル・アコースティック・サウンドで後期の曲も処理するという実験も聴かせてくれたステージだったのだ。

 それにしても〈ピープル・イン・ザ・ハイウェイ〉などもなんとも奔放な歌い方だが、バートはじつに元気がいい。そして9曲目の〈ハウス・カーペンター〉にいたって、またちょっとしたどよめきが。バートがバンジョーに持ち替え、そしてジョンは床に座りこんでシタールを手にしたのだった。バートのバンジョーはともかく、ジョンが公の場でシタールを弾くのは、おそらく80年代のジョン・レンボーン・グループ以来と思われるので、20年ぶりくらいか。しかしそのブランクを感じさせない堅実な演奏で、これもオリジナル・ペンタングル独自の音楽様式だったバンジョーとシタールの掛け合いによるファンタジックなサウンドをふたたび堪能させてくれた。バートのバンジョーなど荒々しかった往時よりも達者になった印象すらあったし、テリーのタイコと表現したくなるドラムも健在、ジャッキーの声もこのころになると冒頭よりもよく伸びるようになった……。またまた会場が割れるような拍手。冷静にいえば、このへんの曲では、ジャズ〜ブルース系のナンバーのような2008年版の新機軸はあまり感じられなかったが、この拍手の大きさはやはり彼らが究極のアレンジで聴かせるトラディショナル・バラッドの人気の高さを物語っているのだろう。

 続いて「とても長い曲です」といったジャッキーの紹介で始まったのが、トラッド・サイドのペンタングルの名刺代わりともいえる、あの〈クルエル・シスター〉だ。ここでも、かつての定石どおりテリーがグロッケンシュピールを、そして前曲に続いてジョンがよく走り回るシタールを聴かせ、ジャッキー&バートの歌も含めて万全のまとまり。大歓声とともにパート1の終わりとなった。ふーっ!

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 休憩時に時計を見ると午後9時。しかし廊下に出ると美しい日没に観客が見入っていてロンドンの緯度の高さをあらためて実感する。

 さて休憩後のパート2はデビュー・アルバムの冒頭の曲〈レット・ノー・マン……〉からのスタート。トークなしのいきなりの演奏だったが、冒頭で重厚なアルコ奏法のベースに例の有名なギターのフレーズが1音絡んだだけで、やんやの歓声が沸く。これはペンタングル・クラシックの仕上がりでバッチリ決まっていた。これに対してミホール・オドンネル&ミック・ハンリーも歌っていた、バートの傑作の次曲〈愛は悲しみではなく(ノー・ラヴ・イズ・ソロウ)〉は、エレキ時代の曲(ラスト・アルバム『ソロモンズ・シール』に収録)の2008アコースティック・バージョン。重厚なベースなどをバックにしたジャッキー&バートの淡々としたシンギング(バートはほとんど例の泣き節だ)による全体的な印象は往時と大きな変化はなかったが、間奏部でジョンが細やかなチョーキングのソロをスロー・ハンドで飛ばすのが最高にカッコイイ。そしてまた長大な殺人バラッドの〈ブルートン・タウン〉。これはもともと初期のアコースティック時代のレパートリーだが、ここでもジョンが多発するウラメロでのブルージーなソロが長大な曲をダレることなく引き締めていた。次曲もトラディショナル・バラッドの〈恋する乙女(ア・メイド・ダッツ・デープ・イン・ラヴ)〉で、ここではバートがまた達者なバンジョーを聴かせたが、なによりもジャッキーの、例の力を抜いたフルート・ヴォイスが聴きものだった。ジャッキーの歌唱の伸びはまたいちだんとよくなってきていて、ふたたびブルースの〈アイ・ガット・ア・フィーリング〉では、ジャジーでバッチリ決まった演奏をバックに自在に飛翔した。

 さて、ここでジャッキーはまたいったん引っこんだので、インストかと思いきや、「これはアーチー・フィッシャーからのスコティッシュ・ソングで」とバートが紹介してトラッドの〈雪(ザ・スノウ……)〉が演じられた(アン・ブリッグスから教わったとばかり思っていたが……)。バート自身の泣き叫ぶような孤高のヴォーカル(昔よりは言葉を置いていくような歌い方になったがじつに若々しい)にジョンの神経質なアコ・ギが寄り添っていく。そしてジャッキー抜きでの2曲目、いよいよジャズ・インスト、それも本命中の本命、チャールス・ミンガス・クラシックの〈グッバイ・ポークパイ・ハット〉の登場である。いやーこれはまたまた死にましたねぇ。憎たらしいほど落ち着いたウォーキング・ベースの重戦車リズム・セクションに往時よりもはるかにアダルトに深化したジョン&バートのスロー・ギター・バトルが絡みついていく。手に汗がじわり。とんでもなく高度な仕上がりだった。じっさい、割れんばかりの拍手は毎曲のことながら、この曲などではさらに「うぉーっ」という叫び声まであったと思う。そしてジャッキーが戻ってきていきなり演奏されのが、あの〈ノー・モア・マイ・ロード〉。これは『スウィート』収録の往時のライヴのなかでももっとも印象的だったゴスペル・ソングだ。前曲を引き継いでの重いリズム・セクションをバックにした、ジャッキーの昔よりもいっそうダークな色彩のブルージーなスロー・シンギング、そして(これはもともとアコースティック時代の曲ながら)ジョンのプログレスした高音のソロ・ギターもじつに印象的だった。

 ちょっと意外だったのは次の〈サリー・フリー・アンド・イージー〉の紹介で、バートが「これはシリル・トーニーが書いた歌で」と言った瞬間に期待した拍手がそれほどわかなかったことだった(おいおい、みんな忘れてしまったのだろうか)。たしかにペンタングルのレパートリーのなかではいちばん地味な曲のほうかも。しかし演唱のほうはバッチリでこれまた大歓声。わが道をゆくバートのリード・ヴォーカルの背後でのジャッキーの高音のスキャットも万全で、またジョンはアコギのソロでエレキのような浮揚感を演出していたのだった(この曲はエレキ時代のレパートリーだった)。

 さてコンサートはいよいよ佳境に入る。「これはアメリカのバンジョーの曲で……」といったジャッキーの紹介で登場したのが〈ウェディング・ドレス〉。ふたたびパート1のラストのように、バートはバンジョー、ジョンはシタールに持ち替える。アルコ・ベースの唸り声にバンジョーとシタールのユニークな掛け合いとジャッキーやテリーの歌声が組み合わさっていったが、バンジョーの快活さもあって、これは往時以上にも軽やかな印象だった。2008年のペンタングルは全曲一貫して重くなっているというわけではなかったのだ。そしてジャッキーによるスタッフや観客への謝辞のあと、「最後はシグネチュア・チューンです」と言って、大曲〈ペンタングリング〉が始まった。ジャッキーとバートのデュエットの歌は往時どおりの印象ながら、ここではまず聴き手をじらさんばかりにどっしりと落ち着いた大人のプレイを展開するリズム・セクションが圧巻。途中にはダニーのダブル・ベースのまったくのソロ・パートも挿入され、その直後には大歓声。そういえば今回のステージでは往時のようにベース・ソロ曲の〈ハイチの戦いの歌〉を披露するようなシーンはなかったのをここで埋め合わせしてくれたのだろう。ジョンも負けじと随所で鋭いソロを飛ばしまくる。勢いあまって?なんとギターの間奏でアメリカン・トラッドの〈クラック・オールド・ヘン〉(バートが70年代のソロ・アルバムの『LAターンアラウンド』でとりあげていた曲)を弾いてしまうというひと幕まであった。曲のラスト近くになって例の曲調が変わるところになると、それだけでもう歓声が沸き、興奮してなんと手拍子を入れるお客さんも(おいおい、ペンタングルの曲に手拍子か)。まあ手拍子はさすがにすぐ止んだが、演奏は熱い熱気のままに続き、最後はダニーがソロで〈グッバイ・ポークパイ・ハット〉のテーマを奏でるという粋なかたちでエンディングをむかえたのだった。これは、いかにも終曲らしい遊び心に満ちた演奏で彼らのゆとりがみてとれた。しかし,今夜が35年ぶりの再編ステージであることを思うと尋常なことではない。5人はよほどの決意と周到な準備のうえで元来の融和性をとりもどしてのぞんだステージだったのだ。前記のプログラムに寄せた短い文章のなかでもバートが「再会して最初はおたがいにナーバスだったのが、演奏を重ねるうちにどんどんよい感じになってきた」といった趣旨のことを書いている。

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 そして最大級の拍手と歓声に呼び戻されてのアンコールでは、なんと〈ウィリー・オブ・ウィンズベリー〉が登場。ふつうアンコールでやるだろうか、こんな長大なトラディショナル・バラッドを。観客の興奮を冷ますように清楚なジャッキーのヴォーカルが綴られる。しかし観客の熱気は冷めるどころかさらに熱く、そこで演じられたのが〈永遠の絆(ウィル・ザ・サークル・ビー・アンブロークン〉。これがまたすごいプレゼントだった。この曲はブルーグラスやアメリカン・フォークで無数のアーティストに歌われてきたホワイト・スピリチュアルで、ペンタングルは後期のアルバム『リフレクション』で、スローなエレクトリック・ブルースとしてまったくユニークな演奏をしたのだったが、それを今回は意表をつくジャズ小唄ふうな新解釈で聴かせてくれたのだった。リフレインでのジャッキーのジャジーな崩しも小粋で最高。筆者としてはこの1曲だけでもロンドンまで来た価値があったと思った。オリジナルのアレンジとどちらがよいかといった問題ではなく(どちらもよいのだ)、まったく新しい2008年版のみごとな演唱を聴かせてくれたことが重要なのだ。

 ペンタングルの類のない音楽は、(ロックではなく)ジャズこそがもっともヒップな(最先端の)音楽であった1960年代半ばの時代の感性をベースにして構築されている。73年の解散後今日まで彼らの音楽の直接的な後継者は現れなかった。彼らは、自分たちの音楽は自身が演じるほかはないと認識をしたうえで、浮かれたお祭り騒ぎとはまったく無縁の真剣勝負に出たのが今回のステージであった。すべてアコースティック・サウンドで往時よりもさらにジャジーでアダルトに、といった方向性は、解散後これまで断片的に残されてきたオリジナル・メンバーたちの共演(たとえば『Derroll Adams 65th Birthday Concert』や『Acoustic Roots』などに収録された録音など)からすれば意外なものではなかったと思うが、それにしてもここまでの充実した説得力のある演奏を誰が想像しえただろうか。オリジナル・ペンタングルの音楽がけっして過日のはかない夢のようなものではないことを、このステージで彼らははっきりと示してくれたのだ。

 今回の再編グループはこの6月29日の後、7月1日のカーディフ(ウェールズ)から7月14日のリヴァプールまでほぼ連日、英国各地(イングランド〜スコットランド)で集中的にコンサートをおこない、その後約1カ月の間をおいて最後に8月17日にThe Greenman Festival(ウェールズ)への出演が予定されている。本日の印象からしても演奏を続ければ続けるほどさらにもすごくなっていくことは確実だろう。5人の音楽がこれからどんな展開をみせてくれるのか、それは誰にも(おそらく本人たちにも)予測できないだろう。とはいえ、音楽史上の不幸としてオリジナル・ペンタングルの解散後35年もの空白が生じてしまったことは厳然たる事実なのだ。2008年のペンタングルが聴かせてくれた比類なき音楽の将来は、今日のリスナーに委ねられたのではないだろうか。[白石和良]

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コメント

白石さん お久し振りです、こんにちは。

…感動のあまり何も書けません。

投稿: 広岡祐一 | 2008/07/10 21:32

広岡さま ありがとうございます。
正規盤のライヴCDやDVDのリリースを期待したいですね!(私の席からはビデオ・クルーなどは確認出来なかったのですが...)

投稿: Shiraishi | 2008/07/11 09:44

いゃあ素晴らしいレポートありがとうございました。
一気に読んでしまいました。
ロンドンに行けなくて残念です。
日本ツァーは無理でしょうね。
せめてDVDの発売も期待したいですが。

PS:この記事をmixiの私の日記で紹介させていただきたいのですが。いかがでしょう?

投稿: トド | 2008/07/30 12:52

トドさま
好意的なコメントをありがとうございます!
今回の再編ツアーはとりあえずは8月までの短期間のようですし、来日の可能性となるとやはりいろいろ難しいでしょうね...でも(私も具体的にはまだ何も知りませんが)オフィシャルのライヴ盤は恐らく最初から予定の上での今回の再編と思いますので、これは早期のリリースを期待したいですね。
ミクシィの日記の中でこのレポートについて触れて頂くのは私としては、もちろん嬉しく、光栄に思います。

投稿: Shiraishi | 2008/07/30 18:11

はじめまして。
mixiのコミュニティに白石さんが、コンサートレポを書かれていらっしゃると書き込みがあったので、拝見いたしました。
15~6歳にペンタングルを知り、以来30年ずっと聴き続けておりますゆえ、素晴らしいレポに、想いを馳せました。
胸がいっぱいです。
ありがとうございました。

投稿: Yoko | 2008/07/30 22:29

YOKOさま

暖かいコメントをどうもありがとうございます。私もペンタングルの存在を知ったのは丁度、同じくらいの歳頃だったと思います。以降、無数のアーティストや音楽と出会いましたが、やはり彼らの音楽は永遠に『別格』ですね...。レポート中に書いた事の蒸し返しですが、その事を、当の彼ら自身も認識したからこそ実現したのが今回の再編ステージだった様に思えてなりません。

投稿: Shiraishi | 2008/07/31 01:09

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