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2008/08/21

沼野雄司のボストン通信03(2008/08/19)

 前回の「通信」が6月12日だったので、あっという間に2か月ちょっとが過ぎてしまいました。ボストンはすでに夏の盛りを終えつつあり、ときにはえらく涼しい風が吹いてきます。夏のハーヴァードはシーズン・オフでひっそりとしているものの、学外では、夏ならではのさまざまなイヴェントがありました。ちょっと遅くなってしまいましたが、7月前半までのあれこれについて書きます。

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Photo1 まず、6月15日から21日まで、ボストンのニュー・イングランド音楽院でおこなわれたSICPP(Summer Institute For Contemporary Performance Practice)について。これは、若い世代の演奏家・作曲家を受講生にした講習会で、およそ1週間にわたって、テーマ作曲家の作品を中心にしたレッスンやディスカッション、そして演奏会がぎっしりと詰まった企画。今年はたまたまテーマ作曲家が日本の近藤譲、そして中心的なゲスト演奏家が高橋アキということもあり、僕もほぼ毎日、催しに内部から参加させてもらいました(簡単な記事を読売新聞7月18日朝刊に書きました)。

 会場のニューイングランド音楽院(略称NEC)は、1867年に設立された全米最古の音楽院。われながら面白かったのは、NECの建物の中に入って、音楽大学独特の「騒音」、つまり練習室から漏れてくる音を耳にしたら、懐かしくも落ち着いた気分になったこと。考えてみれば、学生時代から現在にいたるまで20年以上も音楽専門の大学で過ごしているわけで、もはやあの「騒音」は自分にとっての基調音のようになってしまったということでしょう。またじっさい、音楽院の規模やレヴェル、そしてゴミゴミした学内の様子や弦楽器専攻が強いあたりは、僕の勤務する桐朋学園大学によく似ています。

 この講習会の「SICPP」という略称、行ってみるまでどう発音するのか謎でしたが、関係者はみなSick Puppy(=病気のワンちゃん)とよんでいる。誰もがニコリともせずに「今年のSick puppyは……」などとしゃべるのが、最初はおかしくてしかたなかったのですが、しかしこの冗談半分の呼び名に象徴的なように、講習会には権威主義的な堅苦しさがまったくない。この点、アメリカ的ともいえますが、それ以上にこのリベラルな雰囲気の源泉は、音楽監督を務めるピアニスト、スティーヴン・ドルーリーの人柄にあります。優れた現代音楽ピアニストとして知られる彼ですが、この企画では、レッスンやピアノ演奏(ソロ・リサイタルもこなす)はもちろん、さまざまな折衝からアナウンス、受講生のケア、さらには舞台の楽器セッティングから会場整理にいたるまで、その働きぶりは超人的。スタッフに、彼はなんでもやるんですねと言ったら、「きっと、来年はピアノの調律もするんじゃないか(笑)」とのことでした。

 SICPPのこれまでのテーマ作曲家は、フレデリク・ジェフスキ、クリスチャン・ウルフ、マイケル・フィニシー、ヴァルター・ツィンマーマンなどで、このなかに近藤譲を置いてみると、現代音楽ファンには、講習会のカラー、あるいはスティーヴンの好みがなんとなく見えてくるでしょう。毎晩、講師陣を中心にしておこなわれるコンサートはすべて無料ということもあって、ごく普通の(つまり現代音楽マニアではない)観客も少なからずやってきて、けっこうコアなプログラムに耳を傾けている。ここらへん、この音楽院とSICPPの企画がボストンの街の一部として機能している様子がうかがえます。

Photo2 各国から集まった受講生はおよそ40名ほどでしたが、日本からは、現音の「競楽」で数年前に優勝したピアニストの須藤英子さんが参加していたといえば、レヴェルの高さがわかるはず。で、とうぜんながら、演奏会が10時にはねたあと、受講生たちは毎晩のように音楽院のとなりにあるビアホールに集まって飲むことになるわけです。写真は、近藤譲を囲む受講生と講師たち(近藤さん、勝手に載せてしまってすみません)。

 こちらとしても、いろいろと学ぶことの多い講習会でしたが、近藤作品をこれだけ集中的に生演奏で聴くことができたのは、大きな収穫でした(講習会の全体は、以下のサイトの情報を参照のこと。http://www.sicpp.org/index.html)。また、ヴァーモント州から高橋アキ・リサイタルのために駆けつけたクリスチャン・ウルフと、ビールを飲みつつ話ができたのもうれしかった。そもそも、僕はいわゆるケージ・グループのなかでは、この作曲家がもっとも好みなので、ミーハー的な感激はもちろんですが、生前のヴァレーズに会ったときのエピソードを聞けたのも思わぬ僥倖でした。

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 SICPPが終わったあとの6月末には、資料探しの都合で、ニューヨークの図書館に行ってきました。バスで片道4時間半の小旅行。以前は、ボストン〜ニューヨーク間の安いバスは、双方のチャイナタウンを結ぶ中華バスしかなかったのですが(事故がなんどもあり、評判悪し)、最近、この牙城を揺るがす新たなバス「BOLT BUS」が登場。トイレも付いた新しい車輛で、ボストンからニューヨークの32丁目まで、およそ15ドル(季節や時間によって変動)という激安価格で運んでくれます。ニューヨークはホテル代が異常に高いので、ゆっくり滞在するのは難しいながらも、移動代がほとんどかからないのはありがたいところ。もちろん、根性があれば、日帰りもじゅうぶんに可能です。

Photo3 市立図書館での用はすぐに終わったので、数年ぶりにヴァレーズが長く住んでいたグリニッチ・ヴィレッジのアパートに行ってきました。ニューヨーク大学にすぐ近くの、ごく平凡で小さなアパートなのですが、よく見ると、玄関の脇にプレートが埋め込まれている。彼がこのアパートを買ったのは1925年。1965年に死ぬまで、およそ40年間にわたって、基本的にはこの家で過ごしたわけです。

 ヴァレーズの死後は、奥さんのルイスが87年まで住み(死去したのは89年)、その後は、彼の弟子だった作曲家がこのアパートを所有しています。じつは、数年前には部屋の中にまで入って、ヴァレーズの遺品などとも対面したのですが、今回は急な訪問だったので、外から写真を撮らせてもらっただけで帰ったしだい。

 ちなみに翌日、帰りのバスの時間を気にしつつ地下鉄でマンハッタンの外に出て飛び込んだのが、ブルックリン美術館の村上隆展。想像以上に規模が大きなもので、ちょっと前に16億円で落札されて話題をよんだ「My Lonesome Cowboy」をはじめとするフィギュア、カイカイキキのシリーズ、アニメ(これはおそらくもっともレア)、近年の日本画テイストを織り込んだもの、そして実際に館内販売もしているルイ・ヴィトン・コラボまで、まずこれを見れば、彼の全貌がほぼわかるという回顧展ですが、壁紙まで手がけるあたりは、そうとうに力が入っている。

Photo4 100点近くをいっきに見ると、やはりこの人の過剰なパワーに圧倒されるわけで、おそらくはその「あられもなさ」を心地よく感じる人と、不快に感じる人がいるでしょう。僕は前者でした。写真は会場の入り口に展示された、仏教をモティーフにした、まさにあられもない作品。

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 いっぽう、本業の音楽学の領域では、タフツ大学でおこなわれた「Music, Language, and the Mind」と題された学会(7月10〜13日)に顔を出してきました。タフツ大学は、ハーヴァードの2つ先の駅から、徒歩10分ほどの丘にある美しい大学。村上春樹が好きな人には、かつて彼がボストンで所属していた大学として有名かもしれません。4日間(といってもメインは3日間)の会期中、一日(12日)しか出席できなかったのですが、内容はじゅうぶんに刺激的でした。

Photo5 そもそも、この学会/シンポジウムは、レアダールとジャッケンドフという2人の学者が1983年に出版した A Generative Theory of Tonal Music(MIT Press)という書物の25周年を祝って開催されたものです(詳細はhttp://musicandlanguage.tufts.edu/)。一般的にいって、学者や作曲家の「生誕何年」とか「没後何年」というアニヴァーサリー企画はよくありますが、出版25周年を祝ってもらえる書籍というのも、そうはないでしょう。もちろんこれは、現在ジャッケンドフがタフツ大学の教授を務めているからこそ可能になったわけですが、それにしても珍しい。

 たしかに、言語学会の大物ジャッケンドフが、音楽理論家であるレアダールとのコンビで調性システムの解明に取り込んだこの書物は、新しいジャンルを切り開いた記念すべき出発点ではあったのでしょう。僕自身は、このGTTM(「Generative Theory of Tonal Music」の略)理論をきちんと勉強したわけではありませんが、しかしそのエッセンスは音楽大学での「分析」の授業のさいに、必ず紹介するようにしています。

Photo6 面白いのは、音大生はたいてい、GTTMに一種の拒否反応を示すこと。若い学生にとって音楽はポエティックな生命体のようなものなので、どういったときに音がグループとして捕捉されるのか、といったあたりから始まる、無味乾燥(のようにみえる)な細かいルール表をつぎつぎに提示されると、自分たちのやっていることを侮辱された気になるのかもしれません。あるいは、あまりにまだるっこしく感じられるのでしょう。しかし、調性音楽における一般理論の完成はまだ遠いとしても、この射程の広さや徹底性は、むしろきわめてロマンティックな印象を与えるものです。

 実際問題として、GTTMは音楽学という狭い業界を越えて……というより音楽学者にはほとんど無視されながらも、多くの学者を「音楽」という対象に惹きつけることになった。今回のシンポジウム/学会でも、人間が音楽を認識することをめぐる考察、それもサイエンティフィックな実験系の研究がプログラムの中心を占めています。発表者も認知科学、心理学、言語学といったあたりの専門家が多く、たとえば休憩時に知り合った学者は、音声の自動認識装置の専門家で、大学での所属は電気系とのことでした。

 ゆえに、少なくとも僕の参加した日にかんしていえば、GTTMじたいを応用したり発展させたりするという発表はほとんどないばかりか、そもそも発表のなかでGTTMについて言及されることすら稀でした(申し訳ていどに、文献表のどこかに入っているのですが)。ちょっと意外な気もしましたが、逆にいえば、こうしたアプローチじたいが、いわばGTTMの歴史とスピリットを反映したものとも考えられる。

 そんなわけで、予想はしていたものの、こちらにとって半分くらいの発表は理解が難しく……当日の午後になってから、発表のなかではじめて五線譜が提示されたときには、ほんとうにホッとしました(笑)。

 ちなみに、ロビーで会った「生」ジャッケンドフは、まだ若く生き生きしており、驚いたしだい。GTTMの延長線上で、その後も新著を発表しているレアダールに比べて、彼がいま何をやっているのかはよく知らないのですが。

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[今回のおまけ]

Photo7 これはブッシュ大統領退任までのカウントダウンをおこなうデジタル時計。一種のジョーク・グッズですが、見つけてすぐに購入しました。0.1秒まで表示するあたりが秀逸。あと152日……。[沼野雄司]

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コメント

タフツ大学って、小さいけれど、その分、アットホームな感じがしました。Red Lineで、ちょっと郊外ですよね。実は私もフロリダの大学が不合格だったら、タフツに行く予定でした。90年代半ばくらいでしたが、理論の先生は、ピストンの和声学を改訂したMark DeVotoで、授業にも2度ほど遊びにいったことがあります。1920年代の音楽をやってて、ラヴェルの《マダガスカル島民の歌》に出会いました。懐かしいです。

NECはドルーリーが頑張っているのですね。アメリカの場合、この手のセミナーなり演奏会というのは、非常に活発で面白い一方、案外、「地元、ローカル」っていう印象も強く感じます。広いアメリカで、あちこちで活発にやっているので、それでいいのだと思うのですが、案外地域どうしで、どういうことをやっているのか、全体を広く見渡すのが難しいなあ、と思う次第です。一極集中でないのはいいのかもしれませんが。

投稿: たにぐち | 2008/08/21 13:59

 タフツ大学は、ボストン中心部の大学とは全く異なった趣で、すっかり気に入ってしまいました。理論系はよく知りませんが、音楽史はシェーンベルク研究のJoseph Aunerが学科の中心人物のようなので、きっと悪くないですよね。
 そしてアメリカの「ローカル」の件、その通りの印象です。統一的な情報のチャンネルがあまり機能していないというか、まあ単に面積が広すぎるというか、ともかくすべてにおいて地方分権的なのがアメリカの特徴なわけで、だからこそ大学のカラーや地域のカラーがはっきりしていて、部外者にはとても面白い。ボストンエリアでも、市によって全然カラーが違いますしね。
 それにしても、ドルーリーの獅子奮迅ぶりは本当にすごかった。あえて作曲科の教員を委員に入れていない企画だけに、学内の風当たりも少なくないようですが、結局は洋の東西を問わず、こうした企画の成功は中心的なスタッフの熱意がもろに反映するのだなと感じました。
 ちなみに、彼の家は私のアパートから歩いて15分ほどの近さで、今度バーベキューに伺う予定です。

投稿: ぬまの | 2008/08/22 02:47

驚きです、先生。
先生ボストンにいらしたのですね。
余談で申し訳ございませんが、私は2000年入学で、東京音大で先生の授業がとてもおもしろくて、3科目取りました。(朝一のクラスは遅刻しないように必死でした)

土曜の午前中にふらりとお寿司の材料でも調達しようかと、ボストンの日本食のスーパーをうろうろしていたら何か見覚えのある男性が。。。声まで聞き覚えがある。。。でもまさかこんな遠方の地でと疑いつつも、やはり気になり、ネットで調べてしまいました。なんとビンゴ。

ボストン、これから紅葉がきれいになって来ますね。東京生活にはない美しさがあります。アメリカ生活を楽しみつつお体に気をつけてお仕事頑張って下さい。

次お見かけした際はお声を掛けさせて頂きますね。

投稿: chiko | 2008/08/31 03:08

コメントありがとうございます。実は、ちょうど土曜日の午前中は、まさに僕も寿司の材料を調達しにポーターのK屋に行ったのです。ということで、今度はぜひ声をかけてください。

投稿: ぬまの | 2008/09/01 12:15

先生、こんにちは!
東京音大のゼミでお世話になりました。
ボストン通信とっても楽しみにしてます。
先生、頑張って下さい!
応援してます!!

投稿: さち | 2008/10/15 18:58

さち様
ああ、すみません!2ヵ月もたつのに、コメントがあるのを気づいてませんでした。僕のゼミにいらしたということは、名前を聞けばわかると思うので、今度はぜひメールアドレスを書いておいてください。ウェブ上には掲載されなくても、こちらには伝わります。

投稿: ぬまの | 2008/12/17 00:33

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