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2008/11/19

音楽非武装地帯 by onnyk[005]角館再訪──私的「祭り」考

2008年9月9日、「角館のお祭り」を再訪してきました。3年ぶりになります。

このブログに前回、角館の祭礼のことにかこつけて「音のフェティッシュ」について書いてしまったのですが、あらためて当の祭りを観察してみると、記載の誤りやいい足りない箇所が多々ありまして、追記しておかなければと思った次第です。

角館の祭りについて書くことのいちばんの動機は、あの「鋲付き雪駄」でした。これも「お祭り雪駄」という記述がネット上にみられました。次に、私の住んでいる盛岡、その代表的な祭りへの批判、それによって「住民と祭礼」という問題を見直す、脚下照見ということも動機です。いずれ、経験に対する即時的反応ではなく、私の生きてきた状況のなかで、いったんは沈み込み、時間が経って浮上してきた問題意識ということであり、これは自分の再発見の旅でもあるようです。

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今回の角館訪問では、まず最初に祭りの中心である神明社、そして薬師堂も参拝しました。薬師堂にはまだ神仏習合があります。外観はどうみても神社なのですが、ちゃんと僧侶がいます。そして社殿に一礼二拍して賽銭をあげる様式もいかにも神道的です。

それほど広くはない、町内中心部を歩き回りながら、各丁(以下、角館町全体と、その中の地域を区別するため、昔ながらの表記である丁を使います)の中心となる「張番(はりばん)」も見学。「張番」は、街路に面して特別に設けられた小さな部屋だったり、既成の小屋であったりします。ここには丁の長老格の方が陣取り、奥の壁には「天照大神」と「薬師瑠璃光如来」の名を書いた掛け軸が下がり、その前に簡素ながら祭壇を設けて供え物や清酒を置いています。張番の前には、ススキや樹木がしつらえてありますが、案内してくれた友人によれば、これは「山」を象徴するという記号かもしれないとのことです。この友人もかつては角館近辺に住まい、若い頃には「曳山」を曵いて歩いたといいます。

私たちは、各丁の「張番」を覗いたり、写真を撮ったりしながら歩いていたのですが、急にある「張番」の中から声をかけられました。そして、友人によれば滅多にないことだそうですが、観光客である私に、神様に参拝していけと言われました(ここでも二拍の神道様式)。さらに酒をすすめられました。もっとも、そこに居た古老たちの間では意見の相違もあって、張番の神聖さをもっと大事にして、軽々しくよそ者を入れるべきでないとか、いや、祭りの神聖さをわかってもらうためには入ってもらうほうがいいとか議論が起こり、それも中々面白かったのです。

また、町内5カ所ほどに設置された巨大な「置き山」も見物しました。これは動かせるようなものではなく、高さは7〜8メートル、黒々としたそそり立つ小山のようなもので、はりぼてではありますが、その中腹には歴史的事件、あるいは歌舞伎などから引用した人形が見栄を切っています。友人によれば「置き山」も「曳山」も山そのものを表現しているといいます。だから「置き山」には、登れないけれど参拝用の階段が擬せられ、ほんとの植物が植えられ、水の流れを表現した部分もかつてはあったということです。「張番」にも植物が植えられるのはやはり山を擬して神を呼ぶためともいい、置き山、曳山、張番ともに「山から神を呼ぶための形式」としては共通しているようです。

曳山の中央部分にある盛り上がった箇所は、置き山を小さくしたような形です。詳しく言えば、縦長の、先の鈍い円錐形の両脇にそれより小ぶりの円錐形を対照的にくっ付けたような感じです。全体は真っ黒な布で覆われています。ちょっと「山」の字に似ていなくもありません。この盛り上がった部分を地元ではモッコといいますが、なんだかファロス的でもあります。しかし友人によると「曳山のカミサマは女性でしかも嫉妬深い云々という説明を中学のとき受けたような記憶がある」といいます。「山の神」という表現は昔から女性を指していますが、その神がファロスのような所に降りてくるというのもまたなんとも……。祭りそして曳山、ワゲシュ(=「若い衆」、曳山集団)については、女性に関する禁忌がまだいろいろあるようで、このあたり相撲と確かに似ています。

昔はギリシャのオリンピアードも女性は観戦さえ許されなかったそうですが、別に女子だけの大会、しかも処女のみのがあったそうです。処女、初潮、生理、妊娠、出産といった女性の身体生理に関わることが、聖性や穢れに結びつくというとフェミニズム方面からバッシングされそうですが、実際そういう経過があったのは事実です。これは世界が男性主義的な原理で運営されてきたというだけです。女子相撲も奉納はあるんですけどね。まあ横綱審議会は、内舘牧子(秋田出身)の参加で変わったかもしれませんが。

「品格あってこその横綱と、ある年代以上の人たちがお相撲さんに求めるように、かつては品のある山車の曳き回しが尊ばれました。しかし、昨今、『角館のお祭り』の朝青龍化が進んでいるようで残念です。進みすぎると文化財指定抹消でしょう」とはその友人の言です。

いちばんの見物である、山ぶつけ。最近は「観光山ぶつけ」といって早い時間に、曳山をぶつけて見せることがあり、いかにも観光資源としての行為です。実際に本気のぶつけが始まるのは9時過ぎです。

今回の訪問では、ぶつかっている山車を4か所ほどで見ました。ぶつかり方の多様性も友人の解説があると実に面白いものです。優劣のはっきりした対決、直角になってしまったもの同士、互角の状態など、まあ、これらは見てわかるのですが、当事者である丁がどういう性格か、ぶつかっている場所との関係から、その対決がどういう意味を持つか、ぶつけた後のだれ具合、膠着状態を解決する引き際(現地語では「ほごす」といいます)など、これらは流石に地元民ならではの見方が必要です。

たとえば、中心部のちょっとはずれでぶつかっているのを見ました。比較的小さな丁が、橋を渡って町の中心部へ進んできた。そこへ勢いのあがっている丁がぶつけにきたという有様です。友人は、それぞれの丁の特徴を知っており、これは双方にとってあまり意味がないといいます。というのは渡ってきた丁は、これから参拝するという大義名分(これを「のぼりやま」という)があるのですが、町内に入ってすぐぶつけてしまったのでは本末転倒。ぶつけに来たほうでは、そこからまっすぐ進んだとしても橋を渡って中心部から外れてしまうのですから、勝ったところであまり意味のない進行。ここで大事なのは曳山が前にしか進めないということです。方向を変えるために少し回転することはあっても、決して後退はしないのが原則です。

友人は、ぶつける前からのワゲシュやリーダーの所作、ぶつけた後の行動、曳山の相互のポジションなどについて、いろいろ意見を聞かせてくれましたが、批判や、美的な観点からの批評もおもしろかった。

曳山の基本的な運行は、初日が神明社にそして2日目には薬師堂に参拝、そして2日目の午後、旧佐竹北家末裔(現秋田市長ですが)に向ける上覧というパターンです。こうなりますと、神道、仏教のみならず世俗権力への礼儀も欠かさないということで、ますます共同体の統合的な意味合いを深めています(神明社は7日が宵宮、8日が本祭。薬師堂は8日が宵宮、9日が本祭ということでした)。

ぶつけの最も多く見られる通りで、ちょうど2つが向かい合っていました。ここまで来たらぶつかる瞬間までは、と思い2時間以上まち、ようやく「ぶつけ」を見ることができましたが、すでに午前1時を回っていました。でもまったく周囲の人だかりは減る様子がなく、どんどん増えていたのです。地元の人たちにとってみれば、ようやく宵の口といった風でしょうか。

ぶつけるまでの交渉役のあり方(提灯の持ち方ひとつから)、その口上のやりとり、まるでラグビーのスクラムのような交渉中の頭の寄せ方、交渉の場所、交渉の行き来、責任者の顔つきの変化。今回はこれらもじっくり観察しました。残念ながら交渉中の言葉のやりとりはほとんど聞こえません。周囲はざわめいていますし、曳山の上では手踊りが披露され、ずっとお囃子も響いています。スクラムを組んでいるような交渉は、前のブログで「両者の中央」と書いてしまいましたが、誤りです。各山の前方部に張り出した台の下に、それぞれの幹部が座り込み、交渉役を送り合います。片方の交渉役が「交渉、交渉」と叫びながら提灯を掲げて、相手方の山の下にやってきます。

そのやり取りを聞きたかったのですが無理。しかし実はこのやりとりを録画したDVDがあり、それをとある商店の店先で放映していたのを見ることができました。その中身はといえば、思ったよりは事務的というか、形式的です。いずれ通らなければならない理由を一方的に言いつのる。これを他方は道理が通らないと突っぱねる。攻め手と守り手とでもいうような関係が見られます。

交渉の間、引き手の様々な動き、あるいは踊り子の美しい舞など堪能しました。訂正しなければならないのは、ぶつける瞬間でも、その後でも「踊り子は降りない!」ということです。彼女らは、ワゲシュが振り回して消えた提灯に火をいれて渡す係をやってくれます。その健気さよ! 前にも書いたのですが、お祭りでは極力電力には依存していません。祭礼の灯籠も、ワゲシュの持つ提灯もロウソクです。そしてお囃子もマイクやアンプはいっさい用いません。どこかの祭り連中に見せたいほどの清冽さです。だからどんなに大きくやってもうるさいという感じがない。

また今回堪能したのは、手踊りです。曳山の上には、どの丁も、おばこ姿2人と紫の着物の2人の2組4人をのせています。その踊りの優美さよ! 狭い舞台だから動き回らず、足をきれいにあげて静止。そして手の動きはタイ、ビルマ、ジャワあたりのそれに似ている。また、踊り子の肌のこまやかさよ! 近寄ってみたわけではないですが、遠目にもわかるものはわかります。かつて某大手化粧品会社が「角館美人」を研究するため、肌の状態を調べ、まさしくその肌理の細かさを立証したと聞いたことがあります。

踊りが披露されるのは交渉中だけではなく、通常運行中にも、町の有力者、スポンサーの邸宅の前を通る際、いわゆる「門付け」をやります。曳山は、少しだけ山車をその軒先に傾け、踊りを披露します。その方向転換の妙。おそらく20度も向けないのですがが、ワゲシュが山車のへさきを、先導の笛に従ってぐいと持ち上げ、一瞬でずらします。

曳山は、ぶつかる前に前方の舞台に階段を設置したり、突起をぱたんと後ろに倒して縛ったり、入念な準備をします。階段というのは、山の前方部がせりあがるわけですから、基盤が斜めになる。すると足場が悪い。これを解消するために斜めになったときに水平に足をおける台を取り付けるということです。しかし手踊りをやっているうちは邪魔ですからしまってある。突起というのは前方部の舞台の欄干に飛び出している部分です。これは確かに出っ張っていると、ぶつけるときに危険が伴いそうです。実際、欄干部は祭りの終わり頃にはかなり破損している例が多いです。

ひとつの丁が行うぶつけは3日間のうちに2回ほどが多く、3回やると多いと言われるそうです。おかしいのは「いじめ」というのがあるそうで、まさにぶつかっている山の後ろにもう1台、山が付いてしまうことがある。これは付かれた方は、後退こそしないものの精神的には圧迫されてかなり困るようです。また反対側の山からすれば、これが済んでもまたすぐやるのか、みたいな気持ちになるでしょう。こうした駆け引きがどうやって起こるのかは地元民でないと見えないでしょうが、いずれにせよ何か楽しんでやっていることは間違いありません。ぶつかったから険悪になるとか、勝ったから偉いなんていうこともないでしょう。すべてはハレの日の次元の出来事であり、丁の団結、町の喜びに結びついています。

「祭り」が町をあげて盛り上がることのできる条件、それは町のロケーションと歴史とサイズに関係すると思います。秋田の内陸部にはこうした、特徴あるお祭りが多いように思います。

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私は「角館のお祭り」に何を求めているのでしょう?

「祭り」と称されるものは、いかなるレベルでも基本的に、それを遂行する共同体の同一性確認であると思います。それは学校の文化祭から、慰霊祭まで含めて。しかし共同体とは何でしょうか。もし現在のオリンピックが、やはり「祭り」だとすれば、それを遂行する共同体はどこにあるのでしょうか? 祭りが大きくなればなるほど「共同体」という意識は薄れていきます。そして小さくなるほど「共同体」とは他の集団との差異化を、より明瞭にし、排他的にならざるを得ないものでしょう。その微妙な狭間、つまりある地域共同体が、生産集団であり、氏族集団であり、その内部で完結できること、または血縁関係を維持できること。やはりここで条件になるのはロケーションと歴史とサイズなのです。その条件が破綻していくとき、「祭り」は本来の機能を失い、観光資源に成り果てるでしょう。

私の「祭り」の理想像に、「角館のお祭り」は非常に近いと思うのです。

「祭り」には、町をあげて、住民をあげての一斉さ、そして町の日常的機能がほとんど止まるくらいのエネルギーが必要です。それから聖なるものへの畏敬があります。そして暴力的、破壊的なパワーがあります。さらに男女のしっかりしたジェンダー的、セックス的な差別があります。世代ごとの役割行動があります。

断じて会社単位などではなく、町内会や村落単位での行動が基本です。あるいは氏族、同じ氏子というべき集団が基本です。観光に毒されてはいけません。ましてや町の観光課であるとか、官製のしきたりに諾々と従うような下らない意識は最低です。すべての運営は住民の話し合いで決定し、役人や警察はそれを尊重するという形でなければなりません。マニュアル化した動き、踊りなどは最悪です。

盛岡の「さんさ踊り」の参加マニュアルを見たことがあります。その厚さと、細々した規定にあきれ果てました。まあそれ以前に、本来、輪踊りであったはずのそれを直線コースにおき、会社単位の参加にしただけでは飽き足らず、リオのカーニバルのごとき電飾まみれの車を配して優劣を競わせるという愚劣さもここに極まったという有様。

角館の住民は「祭り」に誇りを持っていますが、それは他のまつりとの比較などに依るものでなく、単に自分たちの伝統を守ろうという意識です。若者が年長者の言動や役割に尊敬の念をもって行動することが、自然と規範になります。そうすれば指導層がいきおい襟を正さざるを得ないでしょう。

それゆえすべて音楽や踊りが洗練されています。アンプで増幅してうるさくなることはありません。コンテストをやったり会社単位の強制のようなことはありません。

いずれ私は、かつて自分が盛岡の祭りについて持っていたイメージが失われて久しいことを悲しんでいます。幼い頃から、八幡の祭礼が大好きでしたが、それについても同じです。また八幡という神社の性格を歴史的にも、現状でも見るにつけ「これは崇拝してならない」と思うにいたりました。これは町が変わったというだけでなく自分の意識が変わったということでもあります。ですから、私は精神的に自分を放逐してしまった愚か者なのかもしれません。

盛岡市は観光資源としての夏祭りを作りたいという欲求を40年以上前から持ち続けてきました。仙台の七夕、秋田の竿灯、青森のねぶた、山形の花笠、なんとかそれに匹敵する大きな夏祭りを作りたかったのです。何度かそれらを試み、失敗してきました。川祭りであるとか、船っこ流しであるとか、もとからあった祭りを拡大しようとしてうまくいきませんでした。そして目を付けたのが「さんさ踊り」です。これはもともと、盛岡市内にあったものではありません。周辺地域の農村の太鼓踊りです。盛岡、岩手には太鼓を体にくくり付けて打ち鳴らしながら踊るというものが多い。これはある意味、大陸的、半島的でさえあるように思います。朝鮮のノンアク(農楽)、琉球のエイサー、中国の腰鼓などとも近いのではないでしょうか。

60年ほど前から市内に門付け芸的に流入した「さんさ踊り」を、町内で真似るようになり、盆踊りとして定着してきましたが、これには慰霊的な意味合いはありません。一説には念仏踊りの振りは、南無阿弥陀仏の6文字の1字ずつに対応したものといいますが、そのような要素もないでしょう。そして昭和40年代後半に、ようやく市内全域を統一した形で「統一さんさ」(なんというネーミング!)を作り出した。まさしく「伝統とは創造である」ということです。ですからこれを大文字の「伝統芸能」として仕立てるにはエピソードが必要でした。そして岩手の名の由来になった、羅刹という鬼の退治、その成功を喜ぶ住民の声が「さんさ、さんさ」となったと牽強付会してしまったのです。

私は、ある意味「伝統の創造」を、その発生から変化を見てきた証人の気持ちです。ただ、それは伝統の創造ならぬ、伝統の捏造、伝統の粗造になっていったようですが。そしてその過程で失われてきたものも見てきました。だから決して本来の「さんさ踊り」が嫌いなのではなく、まさに誰かに、何かに、そして流れに「踊らされている」人々を見るのが辛いのです。

正直に言って、私の実家のすぐそばの児童公園で、お盆の2日間、屋台を組んで輪踊りしていた人々の、あの風景は忘れられません。失われてしまった、あの雰囲気はとても好きだった。それを観光課が台無しにしてしまったと言えば言い過ぎでしょうか。

いや、少子化もそれを推し進めたでしょう。児童公園が子供を狙う犯罪の現場になって、大きく育った木は切り倒され、遊具による事故が多くなり、ほとんど取り払われ、砂場は汚染されていると指摘され、遊ぶ幼児は減りました。休日の公園でサッカーや野球に興じる子供たち、夏の夜には花火で興奮する子供たちも見られなくなりました。冬には大小の雪だるまが幾つか見られた公園です。盆踊りの晩には夜店も出て家族連れで賑わったことが嘘のようです。

そして今、十万単位の人出を誇る「さんさ踊り」は、どうやらギネスに載ったり、東北の夏祭りの一角を占めるに至ったようです。若い娘たちは浴衣を着て、町中を闊歩しています。「祭り」の機能のひとつはこれで達成できているようですが、不思議に若い男たちには、踊りに参加する者以外和服を着る姿を見ません。これも不思議なことです。

もし、本当に住民全体で「さんさ踊り」を盛り上げるというなら、聾学校や盲学校にも出てもらえば良い、とは知人の意見です。続けてその人は言います。「天皇陛下とか右翼団体の幹部にも審査員席に居てもらって、neatにも『ひきこもり』にも出てもらうんですよ。誇りに思うじゃないですか」と。まあ天覧が誇りとなるかどうかはま別として、右翼的視点は面白いですし、「障害者を無視した偏向的な企画をたてる、観光課や市は反省せよ!」とプラカードでも持ってひとりでデモしましょうか。

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今年も、角館の履物屋の店先には「お祭り雪駄」が売られていました。店のおばさんと少し話しました。そこは50年営業しているそうですが、開店当時から「お祭り雪駄」があったということです。変わったのは鼻緒だけ。最近、白色のものや蛇皮のがでてきたということです。

私は過去の角館へ旅しなくてはならないよう気がしています。誰かデロリアン号を貸してください。[onnyk/6, Nov. 2008]

◎追記
グレゴリー・ベイトソンの1949年の論文「バリ:定常型社会の価値体系」を読むと、その内容が今の角館に匹敵するかと思われる記述が多々あるのに驚かされる。邦訳は『精神の生態学』(佐藤良明訳、思索社、1990年)に収録されている。

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コメント

You know “Fahrenheit 451” the society was controlled by AI, completely logical and efficient but basically whole society lose their will to live. Aggression is the factor of survival instinct and reproductions (i.e. sex). The most peaceful primitive tribes still offends neighbors, not for resources after all but to as a stimulus to be reproductive. The seasonal Festivals are the output of the society pumping up their aggression. Indeed that is why the festival often coincides with their harvest occasions – reproductions.

投稿: izumi | 2009/01/11 16:22

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