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2008/12/29

沼野雄司のボストン通信05(2008/12/28)

081228_01 ボストンは、クリスマス前に降った大雪がまだ残っています。秋学期の授業もすべて終わり、こちらはひさしぶりに、少しばかり落ち着いた日々を過ごしているところ。まずは雪のハーヴァード・ヤードの写真を1枚。

 今回は、10月末から11月頭にかけてハーヴァード大学でおこなわれた「Crosscurrents」という催しと、11月の第1週にテネシー州でおこなわれたアメリカ音楽学会の全国大会の話題などをとりあげたいと思います。

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 10月30日から3日間にわたっておこなわれたCrosscurrentsは、大西洋をはさんだアメリカとヨーロッパの音楽の関係をテーマにした国際会議。クラシック音楽にかんしていえば、ヨーロッパからアメリカへの影響というのはいうまでもなく決定的なわけですが、この会議の場合にはCrosscurrents=「逆流」というタイトルからも想像されるように、むしろアメリカからヨーロッパへの逆影響、もしくは相互作用をピックアップして考えるというのが主旨です。

 20世紀音楽史に興味のある人ならば、ヨーロッパ→アメリカという矢印をちょっと反転させるだけで、ジャズ、移民、亡命、演奏旅行、パトロネージュ、教育、レコード録音、ハリウッドなど、意外に面白そうなテーマが拡がっていることに気づくでしょう。企画はアメリカとヨーロッパの学者が共同でおこなっており、ハーヴァード側からはCarol OjaとAnne Shrefflerという、ボストンでの私の後見人もしくは「姉」のような2人の教授、そしてヨーロッパからは、ミュンヘン大学のWolfgang Rathert、スイスのザッハー財団のFelix Meyerという計4人のチームです。

 ちなみに、このシンポジウムは大きく2部に分かれていて、まずは今回、2008年にハーヴァード大学で1900年から1950年までのできごとを扱ったのち、来年2009年の5月7日〜9日にミュンヘン大学で1950年以降を扱った第2部が開かれます。情報はこちらを参照ください(http://www.crosscurrents08-09.org/credits.php

 さて、10月30日の午後4時に始まった催しは、Michael Denning(前にこの「通信」でもとりあげた『Cultural Front』の著者)の講演「耳の脱植民地化」で幕を開けました。音楽学専門ではない彼が基調講演というのが少し不思議な気もしたものの、レコードの出現によってアメリカ音楽が大量にヨーロッパに流れこみ、さまざまな触媒となってゆく過程を論じた内容は、資料の裏付けもじゅうぶんにあり、なるほど鮮やかなものだった。彼はイェールの歴史学の先生ですが、レセプションで話したさいに「イェールの音楽学の学生がよく僕のところに論文の相談にくるのだけれども、かれらは自分の教授にはそれを秘密にしているらしいんだよなあ」といってました。違ったジャンルの先生に教えを乞いにいくと、担当教授がヘソを曲げるということなのでしょうが、意外に「日本的」なエピソードで面白かった。ちなみに、この基調講演の内容は、来年には本にするつもりとのこと。

081228_02 さて、翌日から16本の個人発表があり、これはぜんぶ出席したのですが、非英語圏の人間としてつらいのは、パワーポイントのプレゼンが増えたこと。手もとにハンドアウトがないので、英語のリスニング能力が如実に問われてしまう。まあ、そんなわけでたびたび混乱しつつも、内容としてはいろいろな刺激がありました。

 ざっとテーマを挙げてみると、第二次世界大戦中のベルリン、サンフランシスコ万博、イサドラ・ダンカンとワーグナー、シャルル・ケクラン作品にみるアメリカ、20世紀初頭のウィーンにおける黒人芸人、ヨーロッパの作曲家のアメリカ旅行、スロニムスキーと妻の大西洋を隔てた往復書簡(スロニムスキーの娘による発表!)、ブーランジェ関係のあれこれ、ウォルペのコスモポリタニズム、ロシア音楽家のアメリカ移住、亡命者の語法としての十二音音楽、私的演奏協会とアメリカ、ナチとミュージカル、ヒンデミットと戦後ドイツ楽界、アイスラーとアメリカ左翼、アメリカ音楽と連合軍、等々……。

 内容とは別に、ちょっと感動したのは、Giselher Schubertの発表。ヒンデミット研究で知られるドイツの老学者ですが、英語は得意じゃないのです。しかし、そんな彼が一参加者としてこの会議にアプライし、しどろもどろになりながらも(途中でちょっとドイツ語になってしまったり、会場の助けを借りたりしながら)、懸命に質疑応答までこなしている。これには勇気づけられるものがありました。

 また、会期中は、ハーヴァードの音楽図書館でブーランジェ関係の資料が公開されるいっぽうで、毎晩、ペイン・ホールでコンサートが開かれました。もちろん、これらの曲目もアメリカとヨーロッパの交流にかかわりのあるものが選ばれています。初日は、フランスとアメリカで音楽を学んだベッツィ・ジョラスの依嘱新作、ヴァレーズの《アメリカ》ピアノ8手版の世界初演(これについては『レコード芸術』の1月号に記事を書かせてもらいました)を軸にした、ちょっと豪華なもの、2日目はキアラ・カルテットによるライヒの《ディファレント・トレインズ》、コルンゴルトの3番、バルトークの6番。そして3日目は、ピアノのブルーベイカーによる、ブソッティ、カラン、ブラウンのいずれも図形的な楽譜による演奏会。

 個人発表が林立するいっぽうでシンポジウム的な意見のやりとりが少ない点はやや不満だったものの、しかしテーマがはっきりしているだけに、全体としてはとても引き締まった印象を与える、僕にとっては有益な催しでした。

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081228_03 Crosscurrentsが終わった次の週(11月7〜9日)、テネシー州のナッシュヴィルでおこなわれたのが、アメリカ音楽学会(AMS)の年次大会。今年は、アメリカ音楽理論学会(SMT)との合同で、なかなか華やかな雰囲気でした。写真は会場となったルネサンス・ホテル。

 ボストンからテネシーへの直行便はないので、ニューヨーク乗継でナッシュヴィルの空港に降り立ったわけですが、予約してあった安ホテルが会場から8マイルもあり、毎日タクシー通勤になってしまったこと、しかもホテルのフロントにタクシーを頼むと、必ず白タクが来ること(でも料金は変わらず)など、なんだかチグハグな出だし。しかし、僕にとっては初めてのAMS大会ということで、いろいろと面白かった。

 なにしろ音楽関係の学会としては、世界最大規模とあって、連日朝9時から夜11時まで、多いときには10ていどのセッションが並行しておこなわれます。ゆえに、まずはプログラムとアブストラクトを見て、どこに出るか選ぶ作業だけでも複雑なパズルをこなしているような気分でした。けっきょく、めいっぱいがんばって23本のプレゼンテーションに参加しましたが、さすがに最後はこちらも頭が朦朧としたしだい。

081228_04 僕の場合、基本的には20世紀音楽関係の発表が多かったわけですが、そのなかでまず感じたのは、映像を用いたものがきわめて多いこと。たとえば『イワン雷帝』『恋する惑星』『シャイニング』『女ひとり』などの映画音楽、そしてヴェトナム戦争のニュース音楽を扱った発表などのように、直接的に映像を扱うものはもちろんのこと、歴史的な演奏映像などを発表に組みこんだものがめだちました。おそらく僕の見たなかでは半分以上が、発表のなかでなんらかのかたちで動画を使っていたのではないでしょうか。これは、今まで研究がじゅうぶんになされてこなかった「映像と音楽の関係」を扱う学者が増えたことに加えて、パワーポイントによる発表が標準になったことが理由でしょう。

 個人的にはジャン=リュック・ナンシーにフォーカスしたセッション(内容の難解さに加えて、夜11時までだったこともあり、最後には聴いている人も10人ていどに……)、そして自分のテーマのひとつでもある不確定的記譜法にかんするセッションなどが、今後のために勉強になったものですが、いっぽうで、これまで論文で名前を知っているだけの学者を見たり、会話を交わしたりできるというのも、ややミーハー的ではありますが、AMS大会の楽しみ。たとえば、ヴァレーズやメシアン研究のJonathan Bernardは、僕が学部のころから読んできた学者ですが、今回、初めてヴァレーズについて情報を交換することができた。そういえば、会場をのっしのっしと歩いていたRichard Truskinにも、声をかけてみました。もっとも、話しかけたはよいものの、考えてみたらとくに用件も質問もなかったので(笑)、なんだか妙に間の抜けた挨拶になってしまった。ともあれ、大きな腹に知識がパンパンに詰まっているという印象でした。

 日本人はほとんど見かけませんでしたが、しかしノース・キャロライナ大学で学位をとった川本聡胤さんとデュークの博士課程に在学中の川本牧子さんのご夫妻とは、いっしょに食事をしたり、ハーヴァードやコロンビアのパーティに突撃したりして(AMSの会期中、有力大学はそれぞれパーティーを開く)、よい思い出になりました。また、イェールでアラン・フォートのもとで学位をとり、現在はUniversity of Hartfordで教えている桐朋出身の森あかね先生に声をかけてもらったのも、心強かった。

081228_05 ちなみに、僕自身は出席しませんでしたが、いかにもアメリカ音楽学会らしいセッションといえば、あのJoseph Strausが中心になった「Scholars with Disabilities」と題されたもの、そしてハーヴァードのRehding教授も参加していた「Ecocriticism and Musicology」が挙げられるでしょう。ちなみに、両方とも最初は自分の英単語の勘違いかと思い、綴りを確認してしまいました。前者にかんしていえば、僕はまったく知らなかったものの、最近のStrausはこのテーマで書籍まで出しているとのこと(ちなみにボストンに帰ったあと、他の学者から、これはStraus氏の個人的な背景とも結びついていることを教えられました)。そして、後者にかんしては、いったい何が議論されたのかナゾですが、うーん、しかしそんなことを学会でとりあげるまえに、アメリカ人にはもっと日ごろからエコにかんしては心がけることがあると思うのですが……。

 そういえば、今回のAMS大会で、僕はあらかじめ「Buddy program」というのに申し込んでありました。これはじつにアメリカらしい企画で、初めてAMSに参加する人のなかで、よく勝手がわからない・知りあいも少ない「初心者」に、経験のある音楽学者をマッチングして、面倒をみてもらうというもの。つまりは一種のお見合いです。僕の場合はハーヴァード関係の知り合いこそいるものの、例によっての好奇心から、いちはやく申し込んでみたわけです。

 はたして、僕の「お見合い相手」はテネシーの大学で教える、ポピュラー音楽学のFelicia Miyakawaさん(日系の名前だが、ご本人は日本とはなんの関係もなし)で、ほぼ同世代のざっくばらんな女性だったので、最初から話がはずんで面白かった。まあ、これでなにがどうなるわけでもないのですが、ここから他の学者を紹介してもらうこともできるし、ごく単純にいって、まず最初のパーティで自分の話に付き合ってくれる人がいるというのは、心理的に大きな意味があるように思います。日本音楽学会の全国大会でも、学会員が少ない大学から来た人などは、それなりにさびしい思いをしているでしょうから、似たような企画を考えてもいいかも、と思ったしだいです。

 ……と、3日間、白タクで会場に通った怒涛の日々が終わると(この帰路にも、後述するようにちょっとしたトラブルがありましたが)、あいかわらず山のようなReading assignmentが待っているというわけで、翌日からはなんの余韻もなく、日常生活に復帰。ともかく、今回でだいたい勝手はわかったので、次は自分の発表で参加したいものです。

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081228_06 さて、ここまでは他人の発表を聞いた話ばかりでしたが、ついこの前の12月13日には、「ボストン日本人研究者交流会」という、ちょっと面白い場所で発表をさせてもらいました。これは名前のとおり、ボストン在住のさまざまなジャンルの研究者や院生の交流の場として、毎月1回のペースで開かれているもの。メンバーは、およそ半分くらいが医学関係の研究者で、残りの半分が官公庁や一般企業からの留学組や、理系の技術者、そして私のような人文系ヴィジティング・スカラーといった感じ。

 当日は「音楽学とは何だろう」というタイトルで、音楽学という学問が意外に身近で、面白いものであることを、いくつかの音の例などを交えながら、約1時間にわたって話しました。質疑応答なども活発でとても楽しかったのですが、いっぽうで、ごく個人的にかみしめていたのは、ああ日本語のプレゼンテーション(約10カ月ぶり)はなんとラクなことか、という感慨。まさに羽が生えたようなというか、どうにでも自由自在というか(笑)、ストレスなく言葉が使える喜びを、ひさしぶりに満喫しました。

 ということで、皆さん、よいお年を!

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[今回のおまけ]

081228_07 テネシーの学会後、デルタ航空の機材にトラブルがあり、経由地のアトランタ(ジョージア州)で1泊するはめに。飛行機の遅延でひどい目にあったことはなんどもありますが、宿泊を強いられたのは初めてです。まあこれも経験と、デルタの用意したホテルへとむかいました。このさい、デルタからは洗面用具やTシャツその他が入ったキットを渡されるのですが、ホテルで中身をチェックしてみると、シャツはあってもパンツはない。シャワーを浴びたあと、また同じ下着をつけて寝るのはゾッとしないなあ、とガックリきましたが(もちろん深夜のアトランタに服を買う場所などなし)。幸か不幸か、Tシャツがバカでかいアメリカンサイズだったので、これをワンピースのように着ることで解決(?)。昔のアイドルのグラビアには、こんな格好がよくあったよなあと、若干情けない気持ちになりつつも、ぐっすり寝ました。で、写真は翌日、早朝のアトランタ空港で、ボストン行き始発便を待つあいだに撮った朝やけ。

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