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2009/02/15

音楽非武装地帯 by onnyk[007]自分の声は聴こえない(その2)

◎寄り道;サックス談義

 では古典的楽器演奏ならどうなのか。私のいう「古典的楽器」は、いかなる種類であれ発音体や共鳴体が、演奏者の身体に接しているものである。

 典型的な例をあげよう。サクソフォン(サックス)である。サックスはリード楽器であるから、マウスピースを口にくわえる。そのくわえ方(アンブシュア)にもいろいろあるのだが、いずれ歯に直接(噛み方によっては下唇を介して)振動が伝わる。初心者にとって、これは楽器自体から出る音よりも強烈に、直接頭に響いてくる。馴れてしまうと、むしろこの振動によってリード(簧とか弁ともいう)の状態を把握できるようになる。

 だから初心者のうちは自分が出していると感じている音響のほとんどが、骨伝導で聴こえていることになるだろう。いや、かなり演奏に馴れてからでさえ、録音された自分のサックス演奏が聴くに耐えないということがままある。熟練してきた奏者は、演奏している瞬間の自分の音がどう出ているかを補正して聴くことができるのだ。主として骨伝導で聴こえている音から、実際にはどういう音で響いているかを推定できるのである[註1]

 だから、おかしな話だが、不良なPA(パブリックアドレス=ステージ上の複数の音響をバランスよく会場と、演奏者に聴こえさせるシステム)環境、ごちゃごちゃした演奏状況、興奮したフリー・ジャズなどの状況がそろったとき、下手なサックス奏者は高音ばかり多用することになる。なぜなら、そのような状況では「頭に響いてくる音を聴きながら、出ている音を制御する」というのは至難の技だからだ。ある意味、コントロールを放棄した音響が要求されているということだろう。

 話はまたそれるが、PAとは結局、ある局所の音を周囲に配置するという以上に、自分の出している音をフィードバックするシステムなのだ。なぜなら、自分の声を聴けないような状況では、少なくとも意味あるテクストを話す、歌うことができないのである。これを実験するならエコーやディレイを過剰にきかせたマイク、スピーカーの組み合わせで語ってみることだ。結局われわれは自分の声を聴きながら考えている。それは声を出していることも伴わないこともあるのだが、音声として外部に出ている場合、どうしても声の伴わない頭の中のテクストより、聴こえてくる自分の声に依存して発声してしまうのだ。

 そう考えると、PAがナチスで重用されたのもわかる気がする(もっとも彼らの場合、分列行進で歩調を揃えたり、巨大な集会で音声が端まで届く差を解消したかったからなのだろうが)[註2]

 歯で聴こえてしまう困った楽器、サックスに戻ろう。

 サックスの発する音響の問題はそれだけにとどまらない。サックスは構造上、高音域と低音域で、鳴っている部分が異なる。とうぜん、高音域はマウスピースの近くであり、低音域になるほど管全体、とくにベルのほうまで含めて振動する。すると、これを増幅するには大きな問題が生じる。もしマイクの位置がベルに近いと、低音域ばかりが強調される。逆にマウスピースに近ければ高音域が。しかしサックス奏者はけっこう体を動かしてしまう。

 とくにジャズ、ロックではそうだ。そして電化されたジャズ(今はほとんどそうなのだが)、そしてロックの場合、周囲がすべてアンプリファイされている音響なので、サックスも効率よく増幅されなくてはならない。

 そこでマウスピースに近い位置に付けて、本体の振動を拾う小型のマイクが開発された。1970年代初期のことだから、空気振動を拾うマイクは大きすぎたし、大音量のなかでサックスだけを拾うには効率が悪い。そこで本体の金属振動を拾う方法になったのだ。しかし、これはやはり高音ばかり強調されたサウンドになり、廃れていった。70年代中期のマイルス・バンドでは、デイヴ・リーブマンが使っているし、マイルスもトランペットに用いている。

 マイルスはこのマイクの特性を生かして、エレキ・ギターに用いるワウペダルを、トランペットのサウンドに応用した。その成果は『オン・ザ・コーナー』に輝いている。

 その後出てきたマイクには、ベルの直上にフレームで支えられたタイプがある。しかしこれは逆の問題が生じる。また先端部が重くなるし、ソプラノのような直管型には向かない。

 現在、よく用いられるのは、サックス本体にフレームを付け、本体からちょっと浮いた位置にマイクが鎌首をもたげるようになったものである。そのマイクの位置はちょうど本体の長さの中間くらいにあるので、だいたい全域をカヴァーすることができるわけだ。

 逆にケシャバン・マスラク(ケニー・ミリオン)などという奏者は、ベル付近の音を拾う位置に普通のマイクをスタンドで立て、自分がサックスを振り回して演奏することで、妙にサウンドの遠近感を出すというか、トレモロというか変な効果を出している。

 またノイズ派ともいうべき怪物サックス奏者、ジム・ソウター、ドナルド・ディートリッヒ(2人はともに「ボルビトマグース」というトリオのメンバーである)らは、もっと過激だ。彼らは普通のマイクをベルの中に落としこんでしまう。そして中でマイクがごろごろ転がるのもものともせず、さらにはマイクとアンプの間に、ヘヴィ・メタル系ロックのギタリストが好んで使うような、音量と音域を最大限に増幅させつつ歪ませるようなエフェクターを多数つなぐ。そうやって出される音響は、巨大怪獣の咆哮である。

 私は彼らと共演したことがある。「よく、そんな凄い音を毎晩のように出して耳がやられないね」と話したら、「はっはっは、俺たちは大丈夫だ。だって耳栓してるからな」と言われたのだった。

 もはや彼らは自分のサウンドを外耳からの空気伝導では聴いていないのである。しかし、骨伝導だけでも相当な負担になるとは思うような音だった。言い方を変えれば、彼らは「自分の声を聴くこと」、つまりロゴスの専制を放棄して、感覚のおもむくまま、新たな次元=アルタード・ステイツ(変成意識状態)に突入しているのではないか。

 こうして書いてくるといかにもマイクロフォンによって捉えられた音響が客観的な聴取を保証してくれるようにさえみえるのだが、それは虚偽だろう。

 マイクロフォンという代物は、基本的にスピーカーと同じ構造をもっている。私が子供のころ、まだイヤフォンで聴くトランジスタ・ラジオはどこの家庭にもあった。イヤフォンの耳に差し込む透明なチューブをねじって外し、振動板を露出する。そしてイヤフォンのプラグをテープレコーダのマイクジャックに入れると、性能の悪いマイクになったのだ。成長してからはヘッドフォンを胸にあてて、心音を録音したこともある。残念ながら、マイクロフォンをスピーカー代わりにしたことはないのだが、不可能ではない。ただそんなことをする意味がほとんどないだけだ。

 われわれは、いかにもマイクが客観的に音声を捕捉していると思う。しかし実際、その録音を聴いてみるといかにそれが間違いであるかすぐにわかる。われわれは「つねに選択して」聴いている。それこそが「聴取」という「行為」だ。マイクという装置は、録音の道具にはなりえても、「聴取」の代理にはなりえないのである。

 しかしなぜ、それでは録音をモニタリングに使うのか。それは他者の代理としてである。そして絶対的な他者はどこかにいる。それは見えぬ聴衆であり、さらにその向こうにいる神かもしれない。絶対的な懸隔のかなたにいる他者としての神というわけだ。

 (この項まだ続く)


[註1]
 余談の余談。
 ナム・ジュン・パイクにはレコードの音を歯で聴くという作品がある。なんのことはない。レコード針のついたピックアップ・カートリッジは、通常トーンアームを介して電流をアンプに送るが、そのトーンアームを歯でくわえるというだけである。馬鹿げてるって? ケージの《カートリッジ・ミュージック》の真似だって? でも誰もやらなかった。それに刺激された私は《プライベート・ミュージック》と称して自分の指紋をレコード針でなぞって録音した「作品」を作った!

[註2]
 哲学の脱構築を図ったデリダはいう。西欧の哲学、ロゴスの歴史は「自分の声を聴く」、つまりフォノサントリスム(音声中心主義)の歴史であったと。もし、そうなのだとすれば、ナチスをはじめファシズムは、自分の声に酔うために、それを強制的に使ったのかもしれない。彼らはつねに全体が均一に行動することを望んだ。しかし「全体とはつねに虚偽である」(アドルノ)のではなかったか。

[onnyk/6, Feb. 2009]

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