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2009/03/19

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」034──守安功+平井み帆ほか[2009/01/18]

◆ドーヴァー海峡の向こう側1
 2009年1月18日(19:15開演) イギリス館(横浜・港の見える丘公演内)

◎出演
 守安功(フルート、リコーダー、ホイッスル)
 平井み帆(チェンバロ)
 守安雅子(アイリッシュ・ハープ、バウロン、コンサーティーナ)
 中尾幸代(ナレーション)

◎曲目
 [第1部]
  1)作者不詳(イングランド伝承曲):3つのホーンパイプ[男の子と女の子たち〜シロタエギク〜さびたナイフ]
  2)T. オキャロラン(1670−1738):海は深い〜トマス・モレス・ジョーンズ−テーマと2つの変奏曲〜みんな生きている
  3)J. ヤング(印刷と出版)/リコーダーの名人(1706,ロンドン)より:アバディーンの美女ジーン〜トランペットの調べ〜営みに潜む魂〜美しい森〜ウィンチェスターで結婚式があった〜ダイヤモンドの踊り
  4)H. パーセル(1659−1695):2つのホーンパイプ[壁の穴〜泉の気持ち]
  5)G. ケラー(1704没):グラウンド(1701/2,アムステルダム)
 [第2部]
  1)作者不詳:あなたは私のペギーを見ていない(1710,グラスゴー)
  2)作者不詳(アイルランド伝承曲):私は眠っている
  3)T. オキャロラン(1670−1738):プランクスティー・スウィニー〜エレナー・プランケット〜ミセス・マクダーモット・ロー〜ブリジット・クルーズ〜魂と肉体の別れ
  4)H. パーセル(1659−1695):グラウンド ハ短調
  5)D. パーセル(1664−1717):ソナタ へ長調(1698,ロンドン)[アダージョ〜ラールゴ〜アッレーグロ〜グラーヴェ〜アッレーグロ]
 [アンコール]
  1)F. ジェミニアーニ:年老いたボブ・モリス
  2)T. オキャロラン:キャロランズ・コンチェルト
  3)T. オキャロラン:ダニエル・ケリー

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 筆者のようなトラッド・フォークと古楽をともに愛好する者にとっては、これ以上うれしいことはないのだが、日本の最先端の古楽演奏の最近の潮流のひとつは、ズバリ「トラッド古楽」だといっていいだろう。別記《カンティガス》のように、アントネッロはラテン系のトラッド(民族音楽)との分かちがたくクロスオーヴァーした演奏を以前から聴かせているが、ここへきて、ブリテン諸島のトラッド・フォークと古楽演奏のクロスオーヴァーの試みがおこなわれるようになってきた。そのひとつは、アントネッロでも活躍している歌手の春日保人さんが昨年旗揚げしたソナール・カンタンドで、「魅惑のケルティック・バロック」と銘うち、スコティッシュ・ミュージックをまったく独自の演奏で聴かせて話題になっている。この魅力的なアンサンブルについてはこの春にも続編のコンサートが予定されているので、あらためてレポートしたい。さてここでとりあげるのは、ながらく日本における真のアイリッシュ・ミュージックの普及に貢献してきた守安夫妻と、ネーモー・コンチェルタートや太田光子(リコーダー)とのデュオなどで熱い演奏を聴かせてきたチェンバリストの平井さんが、驚くべき共演をおこなった1月のコンサートである。

 経緯ははぶくが、守安夫妻と運命的な出会いをはたして共演することになった平井さんは、トラッド・フォークの演奏に接し、古楽演奏家として目からウロコの体験を積み重ねながらこの日の準備をしたものの、じっさいにどのような共演になるのかは想像もつかなかったという。それは聴き手にとっても同様で、ほんとうにワクワク、ドキドキしながら足を運んだのだが、はたしてその期待は裏切られなかった。会場は洋館のちょっとした応接スペースのようなところで、横向きのチェンバロのすぐ前に守安夫妻が陣どり、そのそばから部屋いっぱいにお客さんが座った。このアットホームで熱い雰囲気にふさわしい演奏が1曲目から展開されたのだ。

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 まず1曲目のイングランドのホーンパイプでは、平井さんはいつもながらの入れこんだ弾き方で、ウネリのあるコッテリした音で魅了しながら、守安さんのフルートともどもじつに生き生きとダンス・チューンを演じてくれた。注目は2曲目のオキャロラン(キャロラン)の作品で、こんにちでは普通はアイリッシュ・フォーク・ミュージックとして演奏されることが多いが、ほんらいはアイルランド音楽とバロック音楽のはざまに咲いた音楽なので、今回のような古楽とアイリッシュ・ミュージックの演奏家の共演で演奏されるのが、おそらくもっともふさわしいにちがいなく、まさにその期待どおりの印象的な演奏であった。《海は深い》ではまずチェンバロとアイリッシュ・ハープとフルート(木製のフルート)が神秘的な深い響きを醸しだし、そして、守安さんのフルートがいつも以上にこってりと歌ってくれた。《トマス・モレス・ジョーンズ》ではチェンバロの表現力がいっそう冴え、それに触発されるかのようにフルートも多彩なサウンドで音をじゅうぶんに揺らした演奏を聴かせて、曲の面白さをぞんぶんに引きだしていた。そして《みんな生きている》にいたると、チェンバロ、フルート、バウロンによるストレートなノリが炸裂した。

 もとより、古楽と伝統音楽の演奏家が共演することにたいして新奇性以上の意味があるのかとの疑問は、おそらく両方のジャンルから起こるのではないかと危惧しているが、筆者としてはオキャロランの音楽はもちろんとして、パーセルのダンス・チューンやケルト音楽に影響をうけたジェミニアーニの作品など、今回演奏されたような音楽は、このようにトラッドと古楽のジャンルの垣根を超えたかたちで演じてはじめて、その真価が明らかになるものと信じて疑わないのだ。そう、ほんとうのお楽しみはこれからだ。

 さて続く、ヤングの《リコーダーの名人》では、かつて、アイリッシュ演奏家の道に進むまえには新進気鋭の古楽のリコーダー奏者だった守安功さんが、「自分にとっての21年ぶりの古楽のリコーダー・リサイタルみたいなもの」といったトークを入れたが、その言葉どおりの気迫を感じさせるすばらしい演奏を聴かせてくれた。《アバディーンの美女ジーン》ではくっきり、こってりとしたリコーダーがなんともいい感じ。《トランペットの調べ》は起伏にとんだリコーダーの演奏が印象的で、それに呼応してチェンバロも深く切りこむ。さらに《すべての営みに潜む魂》にいたると守安(リコーダー)vs平井(チェンバロ)は変幻自在に対話(対決?)を繰りひろげてくれた。そして《美しい森》ではハープも含めてひょうひょうとした明るい味わい、《ダイヤモンドの踊り》では伸びやかなリコーダーvsシャープなチェンバロといった感じで、守安功さんと平井さんの両者は技のかぎりをつくして、多彩な共演を繰りひろげてくれた。

 ウラ話だが、このおふたりはじつは20年くらい前にも一度だけ「共演」したことがあるという。平井さんがチェンバロ科の受験で演奏したときに、守安さんが通奏低音を担当したとか……。まあ、それはともかくとして、平井さんは古楽演奏家として、これまでおもに文献資料をよりどころにしてオーセンティックな表現方法を探求してきたところ、それとはまったく違う守安さんの伝統音楽演奏に出会って、なんでもできるという気持ちになったという(トークの不正確な引用ですみません)が、そうした感覚はチェンバロ・ソロとして演奏されたパーセルの《2つのホーンパイプ》のアブラの乗ったヴィヴィッドな演奏にもじつによく表れていた。そして、ここで、ちょっとした「事件」が。チェンバロのかたわらに座って、じっとソロ演奏に耳をかたむけていた守安功さんは、演奏が高揚してくると「ラヴリー!」と自然に掛け声をかけたのだ。守安さんのステージやアイリッシュ・ミュージックの演奏を聴いたことのある向きならば、これはとうぜんの「作法」だとわかるだろう。しかしそれを思いきりよくチェンバロのソロでもやってくれたとは。もちろん筆者としては「これでいいのだ!」と激しく思う。おりしも、別記のようにアントネッロの《カンティガス》の血わき肉踊るステージを聴いて、もうここまできたら観客もじっと静かに鑑賞するのではなく、レスポンスを入れながら聴いたほうがふさわしいかもしれないと思ってやさきでもあり、期せずして守安さんに明快な方向を示されたように感じたのだった(まあ、だからといってすぐ今後の古楽演奏会すべてで、ひとりだけ歓声をあげることもできないのだけれど……)。

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 第1部のラストのケラーのグラウンドはふたたび、守安功・平井のデュオで軽やかに舞うリコーダーが印象的。そして休憩をはさんで第2部に入り、まず演奏されたスコティッシュ・トラッド《あなたは私のペギーを見ていない》はチェンバロ、フルート、アイリッシュ・ハープで演奏されたが、平井さんならではのアタックの強いチェンバロの繰りだす強力なリズムを背に、守安さんのゴリゴリ吹きまくったフルート、これはほんとうに最高だった。守安・平井の出会いで感化されたのは平井さんのほうだけではけっしてないだろう。誤解をおそれずにいえば、これまでおもにアイルランド共和国のクレア州の穏やかな音楽を好んで演奏してきた守安さんが(もちろんその世界はそれですばらしいものなのだが)、平井さんに火を点けられて燃えあがった感じで、聴き手としてはものすごい演奏に打ちのめされながらも満面の笑みを浮かべずにはいられなかったのだ。続いて以前から守安夫妻が重要なレパートリーにしている静粛なアイリッシュ・トラッドの《私は眠っている》を、ここでは守安雅子さんが硬質で美しいハープのソロで聴かせてくれた。

 そしてふたたびオキャロランである。《プランクスティー・スウィニー》はチェンバロ、フルート、アイリッシュ・ハープのトリオでの演奏で、リュートストップを使った超絶技巧的なチェンバロと朴訥なフルートのとりあわせが面白い。そして超有名な《エレナー・プランケット》はまずエモーショナルなチェンバロのソロで演奏されて、後半に守安雅子さんのコンサーティーナな加わったが、このチェンバロとコンサーティーナこそ、めったに聴けない面白い組み合わせであった。《ミセス・マクダーモット・ロー》はフルートとアイリッシュ・ハープの演奏で、音をひじょうに揺らしながら神秘的でエモーショナルな味わいを醸しだす。オキャロランの初恋の人《ブリジット・クルーズ》はチェバロとアイリッシュ・ハープが優しく歌う。ほんとうに「ラヴリー」そのものの演奏! そして、この世を去るときの情景をつづったという《魂と肉体の別れ》はフルート、チェンバロ、アイリッシュ・ハープで厳かな雰囲気で演奏されたが、とくにフルートのきわめつけの繊細な味わいは忘れがたい。

 つづくヘンリー・パーセルの《グラウンド》もエモーショナルたっぷりのチェンバロがすばらしかったが、その後に出てきたのはめずらしやヘンリーの弟のダニエルのソナタで、リコーダーとチェンバロによる穏やかなかにもちょっとひょうきんな(?)アダージョ、軽やかなリコーダーのラールゴ、リズミカルなチェンバロが最高のアッレーグロ……とまた、たっぷりと守安・平井の共演を堪能させてくれた。

 アンコールでは、なんといってもオキャロランがフランチェスコ・バルサンティと技を競ったときに作曲したという《オキャロランズ・コンチェルト》(アイリッシュ・ミュージックの定番曲ながら、あらためて思うとアイリッシュというよりはベタベタのイタリアン・スタイルの曲なのだが)がまさに圧巻で、唸りをあげて突進していくようなスリリングなチェンバロと自在なリコーダーによって忘我の境地にいたってしまった。この1曲を聴けただけでも今回のアイリッシュと古楽の共演は聴く価値があったといえるほど興奮したのだが、うれしいことに守安夫妻と平井さんはこれからも共演を続けて、アイリッシュやスコットランドの伝統音楽と古楽をさらに掘り下げて聴かせてくれるという。この先、いったい、なにが起こるのだろうか……。ともかくパンドラの筺は開けられてしまったのだ!!

[白石和良]

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