白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」038──太田光子+平井み帆[2009/03/01]
◆イタリアバロック音楽の変遷XII〜ドレスデンの煌めき
2009年3月1日 14:30開演 近江楽堂(東京・初台)
◎出演:太田光子(リコーダー)
平井み帆(チェンバロ)
◎曲目:
[第1部]
1)F. M. ヴェラチーニ:ソナタ第6番イ短調[ラルゴ−アレグロ−アレグロ〜アダージョ−アレグロ]
2)B. ガルッピ:変奏曲ホ長調(チェンバロ・ソロ)
3)N. シェドヴィユ(伝ヴィヴァルディ):ソナタ第6番ト短調[ヴィヴァーチェ−フーガ・ダ・カペッラ−ラルゴ−アレグロ・マ・ノン・プレスト]
[第2部]
1)F. M. ヴェラチーニ:ソナタ第1番へ長調[ラルゴ(気品をもって)−アレグロ−ラルゴ−アレグロ]
2)T. アルビノーニ:ソナタ ハ短調[アダージョ−アレグロ−ラルゴ−ヴィヴァーチェ]
3)G. Ph. テレマン:ソナタ ハ長調[アダージョ−アレグロ〜アダージョ−アレグロ−ラルゲット−ヴィヴァーチェ]
[アンコール]
1)G. Ph. テレマン:ソナタ ヘ長調[第2楽章]
2)N. シェドヴィユ(伝ヴィヴァディ):ソナタ第6番ト短調[第4楽章]
リコーダーの太田さん、チェンバロの平井さんによる魅力的なデュオ・コンサートは、2002年からこの近江楽堂で年2回ずつ定期的におこなわれており、今回で12回目を迎えることになった。おふたりともかつてはネーモー・コンチェルタートのメンバーとして活躍していたし、そのほかさまざまなアンサンブルやソロでの個性的なすばらしい演奏で、かねてからぞっこんの方々なのだが、とくにこのデュオは相性も抜群で回を重ねるごとにますます密度をましてきた。今回はドレスデンに縁のある、おもにイタリア生まれの作曲家の特集だったが、演奏のいっそうの充実度に加えて、自由な開放感といったものを強く感じてなおさら感激してしまった。うがった見方かもしれないが、おふたりの個性や演奏されたイタリア音楽の本質はもとより、別記のレポートのように、最近平井さんがはじめたアイリッシュ(ケルト)・プロジェクトの波及効果もあるのではないかと思ったのだった。
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コンサートのスタートはフィレンツェ生まれのヴァイオリンの名手だったというヴェラチーニのソナタ第6番。ここでは襞の深いチェンバロとゆったり深呼吸するような第1楽章に始まり、軽快そのものながらえもいわれぬコクを感じさせた第2楽章、細やかな高音のバッセージでの超絶技巧の第3楽章、そしてクッキリとしたリコーダーと響きがよくタイトなリズムのチェンバロの第4楽章アレグロと、各楽章ごとにに変化にとんだ印象的な演奏でゾクゾクさせられた。じっさい、この1曲目から割れるばかりの拍手が起こったのだった。2曲目のガルッピの変奏曲ホ長調はチェンバロのソロだったが、これに先立って平井さんのトークがあり、ガルッピの生地のヴェネツィアのブラーノ島を昨年の大晦日についに訪れたという話が思いいれをこめて語られた(徒歩でまわれるくらいの小さな島で、島いちばんの有名人?としてガルッピ通り、ガルッピ・レストラン、ガルッピ広場にガルッピの銅像まであるとか)。こういうトークはファンにとってじつに楽しいものだが、じっさいいい意味での思いいれの感じられる、慈しむような演奏であった。細やかな高音の優しい演奏で始まり、しだいに音楽に力強さが加わって、ハッキリ、クッキリした艶やかな音での変奏が展開されていったのだ。
第1部の最後のシェドヴィユのソナタ第6番ト短調は、ながらくヴィヴァルディ作とされていた作品とのことだったが、これは硬質な美しさの貫かれたみごとなデュオ演奏で、なめらかな激演の第1楽章、メランコリックに歌いながらもキリリとした表情を忘れない第2楽章、きわめてリズミカルなデュオの第3楽章、リコーダーの軽やかで過激なパッセージがすごい第4楽章とたっぷり楽しませてくれた。
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第2部はまずヴェラチーニのソナタ第1番へ長調。「美しいソナタ」と形容されていたが、ふたりの演奏はたしかに美しいけれども、それ以上に演奏の開放感がすばらしかった。第1楽章ではリコーダーが表情たっぷりに歌い、第2楽章ではキリリとしたチェンバロにおうじてリコーダーもキリリと歌いあげ、第3楽章では幻想的ながらもシンはくっきりした演奏を聴かせたのち、ついに第4楽章ではふたりの演奏はほんとうに開放的に、まるでダンスのようにリズミカルに楽しく舞ったのだ。ここでは中間部のリコーダーのトリルのようなスリリングな演奏にもゾクっとさせられたし、またチェンバロの力感がなんともすばらしかった。この曲は今回のコンサートを象徴しているような印象だったが、続いてのアルビノーニのソナタ・ハ短調も、なぜか「あの1曲」だけがあまりに有名すぎるこの作曲家が、ほかにも傑作を書いていることをあらためて思い知らせてくれる素敵な演奏だった。第1楽章ではリコーダーの透明感が印象的で、第2楽章になると細やかな音で身軽に跳ねるようなリコーダーと同じく細やかな音ながらよく歌うチェンバロの対比が聴きもの、第3楽章では物思いに沈むリコーダーと散文的なチェンバロのデュオになったが、しかし両者ともリズミカルなノリを失っていないのがよかった。そして第4楽章ではストレートで小気味よいサウンドの演奏が炸裂したのだった。
この日ラストのテレマンのソナタ・ハ長調も変化にとんだ演奏で各楽章が楽しめたが、とくに最終楽章での、飛び跳ねるような元気さでゴリゴリ弾きながらも軽やかなチェンバロとあふれるばかりの自由さのリコーダーはなにものにも替えがたい魅力を放っていた。アンコールは透明感いっぱいのリコーダーと深い響きのチェンバロでメランコリックにつづられたテレマンのソナタ・ヘ長調で火照ったリスナーの心をいったん鎮めてくれたのち、シェドヴィユのソナタ第6番ト短調の第4楽章の再演で、ふたたび超過激ながら軽やかでなめらかなこのデュオならではの演奏を聴かせて、醒めない興奮を巻き起こしてくれたのだった。
[白石和良]
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