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2009/03/25

白石和良の「闘う古楽&トラッド乱聴記」040──飯塚直子+寺村朋子[2009/03/10]

◆Rhythm & Baroqueライヴ
 2009年3月10日 19:00開演 カーサクラシカ(東京・赤坂見附)

◎出演:Rhythm & Baroque:
     飯塚直子(リコーダー&パーカッション)
     寺村朋子(イタリアン・ヴァージナル)

◎曲目:
 [ステージ1]
  1)タランテッラ
  2)グリーグ ソロ・ピアノのための作品より(アルバムの綴り/エレジー/ワルツ/鳥ちゃん/ハディング/トロールの行進)
  3)J. S. バッハ:フルート・ソナタより(シチリアーナ/G線上のアリア)
  4)テレマン リコーダーのためのソナタ(第1楽章〜第4楽章)
 [ステージ2]
  1)モンセラートの朱い本より《輝ける星よ》
  2)パヴァーン
  3)ピナタ
  4)セファルディ《ラ・ローサ・エン・フロレーセ》
  5)イントルチャのダンス
  6)D. スカルラッティ:フルート・ソナタ(第1楽章〜第4楽章)7)グリーンスリーヴス
 [ステージ3]
  1)セファルディ《さよなら愛しい人》
  2)アンヌ・ダニカン・フィニゴール:リコーダー・ソナタ(第1楽章〜第5楽章)
  3)アントン・スティングル ギターとフルートのための組曲より(パッサカリア、カンツォーナほか)
  4)ギョーム・ド・マショー《ドウス・ダム・ジョリー》(優しく美しい乙女)
  5)チム・チム・チエリー
 [アンコール]
  《ドウス・ダム・ジョリー》


 はじけるように溌剌としたリコーダーや各種のパーカッションを聴かせる飯塚直子さんの演奏は、以前からジョングルール・ボン・ミュジシャンや久保田潤子さんあるいは、武久源造さんとの共演などで親しんできたつもりだったが、チェンバリストの寺村朋子さんとのこんな素敵なデュオ(名前も素敵!)、R & B(Rhythm & Baroque)を組んでいたとは、昨年9月に赤坂のライヴ・ハウスで聴くまでは不覚にも知らなかった。そのあまりに自由奔放なライヴを聴いてすっかりぞっこんになってしまい、おふたりの出演した12月のクリスマス・コンサートや、飯塚さんもゲスト出演した今年1月の寺村さんのすばらしいチェンバロ・ソロ・リサイタル……と追いかけてきたのだが、R & Bとしては昨年9月以来になるはずのライヴをついに聴くことができた。

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 まずこの曲目を見ていただきたい(曲目は筆者の聞き書きですので不正確な部分がありましたらご容赦のほどを)。ふたりの楽器からすればほんらいのレパートリーのバッハ、テレマン、フィニゴールの作品、あるいはパヴァーンのようなダンス曲といったルネサンス〜バロック音楽はもとより、セファルディ(ユダヤ系スペイン人の歌)や《グリーンスリーヴス》のようなヨーロッパ各地のトラッド、そしてグリーグやスティングルのような近代音楽、はては誰でも知っている(ディズニーのミュージカル映画『メアリー・ポピンズ』からの)《チム・チム・チエリー》とまるでおもちゃ箱をひっくり返したみたいになんでもアリの楽しさなのだ。

 ライヴはノリがよく明るい寺村さんのイタリアン・ヴァージナルが鳴り響くなかを飯塚さんがリック(トルコのタンバリン)を手に踊りながら登場、短い挨拶のあと、こんどは踊りながらリコーダーを吹くという《タランテッラ》で始まった。冒頭から楽しさ炸裂のR & Bを象徴するようなパォーマンス! 音楽の妖精そのもののような飯塚さんのパフォーマンスにはいつもハートをわしづかみにされてしまうけれど、寺村さんの演奏のすばらしさも特記しないわけにはいかない。一般のチェンバロよりもずっと素朴で、小型・可憐なこの楽器から寺村さんは、その朴訥な音の魅力を残しながらも、まぢかで聴いていても信じられないくらいのパワフルで濃密なサウンドをつむぎだすのだ。この濃厚でメリハリのくっきりした、いい意味での演奏の押しの強さは今年1月のチェンバロ・リサイタルでも強く感じられたが、もうこの点だけでも筆者としては溺愛してしまうのだ(ちなみに今回のイタリアン・ヴァージナルの制作者は久保田彰氏とのことでパワフルな演奏家に向いた(?)久保田チェンバロとの相性の点でもまさに最適と勝手に思ってしまった)。

 さて話をもどすと続いてはなんと19世紀音楽で、グリーグのピアノ曲からの抜粋を完全にR & Bの音楽に変容させて聴かせてくれた。《アルバムの綴り》では素朴で愛らしいリコーダーと粘りのある音で弾むようなヴァージナルが印象的な明るい曲で、続く《エレジー》は物思いに沈むようにぽろんぽろんと鳴るヴァージナルと独特の泣きのはいったリコーダーで演じられ、また《ワルツ》ではアイリッシュ・ミュージックのLOW−Dホイッスルが登場して一種幽玄な響きを聴かせ、散文的ながらもドラマを秘めたヴァージナルの演奏とのとりあわせが妙味をだしていた。そして《鳥ちゃん》ではヴァージナルとソプラニーノ・リコーダーが鳴きあうようなおもしろい展開。これは楽しい! さらに北欧の民族舞踏の名前がつけられた《ハディング》になると、きわめて軽快で民族的なノリのよいダンス・チューンがヴァージナルとアルト・リコーダーで演じられ、途中から飯塚さんは大型のフレーム・ドラム(平べったい太鼓で、じつはアイルランドのバウロンの枠に水牛の革を張ったものとか)に持ち替かえて打ち鳴らした。ヴァージナルも細やかに走る激演で応じる。まさにR & Bの特徴のよくでた選曲だ。

 しかし感涙するのはまだ早かった。ソプラニーノ・リコーダーとヴァージナルの掛け合いで軽妙にはじまった次曲《トロールの行進》にいたっては、まるで往時のディズニーやハンナ・バーバラのアニメの音楽のような、ワイワイと大騒ぎの楽しさ! ここでも途中からフレーム・ドラムが登場したが、さらに飯塚さんは口笛でヴァージナルと掛け合い、しまいには、寺村さんがカズーを持ちだし、これに対抗して飯塚さんはスライド・ホイッスル(玩具の楽器)で吹きあった! そしてさらに続く玩具の打楽器類やダルブッカなどなど……この自由奔放さこそ最高なのだ。

 ここでいったん、気分をもどして、バッハのフルート・ソナタからの2曲。《シチリアーナ》ではアルト・リコーダーとヴァージナルがしみじみと鳴る。とはいえ、やはり過度に情に流された演奏ではなく、適度なキビキビ感をもっていた。また《G線上のアリア》では最初はヴァージナルもリコーダーも穏やかに始まったが、しだいに感情を強めていくリコーダーに対してあくまでも冷静さを貫くようなヴァージナルの対比がおもしろい。ステージ1ラストのテレマンでは、深いため息のような音楽の楽章でも、沈みこみ過ぎない元気さがあったのがこのデュオらしく、最終4楽章では軽やかなノリで歌うような感じで鮮やかに締めくくってくれた。

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 ステージ2は、いきなり中世音楽の名作、『モンセラートの朱い本』からの歌で始まった。飯塚さんがフレーム・ドラムを叩きながら地声の歌を聴かせ、ふと気づくと寺村さんもハミングしている。トラッド的な味わいがなんともいい。その味わいの雰囲気のままに飯塚さんが立ちあがってフレーム・ドラムを叩き、寺村さんがキレのよいヴァージナルを打ち鳴らしてルネサンスの舞踏会の入場のダンスの《パヴァーン》が始まった。そしてひょうひょうとしたリコーダーの登場……。これは、さらにいっそうリズミカルなヴァージナルと立ちあがって吹かれたリコーダーによるノリノリのダンス・チューンにひきつがれていった。

 ここでトラッド系の歌もの、ユダヤ系スペイン人の伝統歌、セファルディ・ソングの《ラ・ローサ・エン・フロレーセ》(5月になって薔薇の花が咲くころに苦い恋を思いだすという歌とか)の登場だ。これを飯塚さんは味のある地声歌唱で聴かせ、そしてふたたびフレーム・ドラムとヴァージナルが打ちあう、スペイン・ルネサンスのイントルチャのダンスへとひきつがれていった。ここでのヴァージナルの演奏もすごい。

 そして楽器紹介のトークをはさんで、こんどはバロック音楽で、ドメニコ・スカルラッティのフルート・ソナタ。演奏のまえに「これは『私はかなしい、私はかなしい……』と同じことをずっと繰り返しているみたいな曲です」(笑)といったダイレクトでわかりやすい紹介がはいる。演奏者自身による、こういうホンネのひとことはとても素敵で楽しい。そしてかんじんの演奏は、けっして同様のことの繰り返しではなく、第1楽章のヴァージナルのみずみずしい響きや、続く楽章でのときに伸びやかに、ときに感情をこめて自在に歌うリコーダーなど、繊細で多彩な表現がこめられていた。

 ステージ2のラストは《グリーンスリーヴス》。ステージごとに1曲は誰でも知っている曲を選んだとのことだったが、これが普通の《グリーン・スリーヴス》ではまったくなかった。「前奏のエアー(歌)付きで演奏します」との言葉どおりに、まず飯塚さんがリコーダーで別のメロディの前奏を吹いたが、それが大小のリコーダーの2本同時吹きによる演奏なのだ。さらに予想外にも、やおら寺村さんの歌唱が登場。それもなんと《知床旅情》を歌いだしたのだ! しかし寺村さんの声はアルト系のなかなかいい声で、この歌ともぴったり。歌唱に続いてはヴァージナルとフレーム・ドラムでも《知床》のテールがしみじみと奏された。……以上を《グリーン・スリーヴス》の前奏としてやってしまうのだから、拍手喝采、これはすごすぎる柔軟さである。さて、やおら飯塚さんがアルト・リコーダーをとりだしてやっとおなじみの《グリーンスリーヴス》のテーマを吹きはじめたが、知床の夢心地を醒ますかのように、早めのテンポでのキビキビした演奏ですご腕を披露、ヴァージナルも負けじとグリッサンド音や連続音でノリノリに応戦する。パワフルな演奏にしばし圧倒されていると、ふたたび《知床》がでてきてエンディングとなった。

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 「渋いモノ特集」というパート3は、まずふたたびセファルディ・ソングで《さよなら愛しい人》。ヴァージナルがしみじみとした音で鳴り、大型のフレーム・ドラムを叩きながらの飯塚さんの地声ヴォーカルがここでも素朴ないい味をだしていた。曲が進むと寺村さんもコーラスに加わる。必要最小限の音でのすばらしい演奏だった。続いてはバロック時代のフランスの作曲家、フィニゴールのリコーダー・ソナタ。5つの楽章がすべて舞曲で、やはり第2楽章のきわめてリズミカルなヴァージナルとキリリとした音のリコーダーの組み合わせなどがとくに聴き映えがした。3曲目は20世紀のスティングルという作曲家によるほんらいはギターのフルートのための曲とのことだが、1曲目などは、もろにルネサンス音楽をベースにしたもののようで、なかなかおもしろい曲だった。ヴァージナルが美しい分散音であのパッサカリアの循環コードを演奏するのをバックにアルト・リコーダーが活躍した。とはいえこの1曲目も含めて全般的にはさすがに20世紀音楽らしい現代的でクールなおもむきもあったが、こうした曲でもR & Bは手際のよい料理をしてみせてくれた。

 このパート3の最大のききものは、やはり中世音楽のあの名曲《ドウス・ダム・ジョリー》(優しく美しい乙女)だろう。LOW−Dホイッスルの幽玄でありながら同時にコクのある音と、最小限の音で鳴るヴァージナルの味のある組み合わせでスタートして、途中からヴァージナルがジャジーな崩しをはじめるとLOW−Dホイッスルもそれにおうじて、大胆にジャジーな演奏を展開していく。もうヴァージナルはパワー全開の音。聴きたかったのはまさにこんな瞬間で、すっかりいい気分になってしまった。このあと、演奏はダンス曲へと移行して、ダルブッカがパワフルに打ち鳴らされた。パート3のラストは《チム・チム・チエリー》だったが、ああ、あの曲ネと油断していると、いきなりめいっぱいジャジーかつパワフルに飛びだしてきたヴァージナルに横っ面をひっぱたかれるようなインパクトをうけてしまった。これぞ快感!である。これに対して飯塚さんは、悪戯好きの妖精といった感じで軽妙にソプラニーノ・リコーダーを吹き、そして立ちあがってリックを叩きまくった。会場も手拍子の渦がわいてのエンディング。

 アンコールはふたたび《ドウス・ダム・ジョリー》で、しかしこんどはまたがらりと趣向を変えた演奏を聴かせてくれた。飯塚さんが「打楽器として使う」といってとりだしたのはなんとガット弦を張った小型のアイリッシュ・ハープで、これをかきならしながら地声でのエモーショナルな歌唱で聴かせてくれたのだ。これを寺村さんのヴァージナルはしっとりとした音で優しく支えていた。

 R & Bの魅力は、なにものにもとらわれない自由奔放なパーフォーマンスとアレンジ(編曲)だろう。ここまで大胆にやってしまうと、いろいろな意見もでるだろうが、しかしパフォーマンスやアレンジを軽視した魅力的な音楽などいったいありえるのだろうか。R & Bの誰もを無条件に楽しませるステージは、期せずして重要な問いかけをしているように思えてならなかった。ともあれ、このふたりのますますの活動を熱く期待したい。

[白石和良]

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