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2009/03/27

沼野雄司のボストン通信07(2009/03/27・最終回)

01 部屋にだいぶ段ボール箱が増えてきました……。帰国まであと5日というタイミングでこれを書いています。ボストンはまだ空気が冷たいものの、樹木が芽吹いているのを見ると、ああ春か、いよいよ帰国だなあという感慨がわいてきます。
 最初の写真は、ハーヴァードの音楽学部にある憩いの場、タフト・ラウンジ。院生と教員が自由に使う部屋で、1年間、ここに僕のメールボックスがありました。

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 まずは大学のことを少し。1月終わりから始まった春学期は、2つほど、どうしてもこれはとらねばならない、というクラスがあり、出席させてもらいました。

 ひとつはChristopher Hasty教授の「20世紀音楽の分析」。日本では僕も同じような授業をやっていますから、これは出ないわけにはいかない。無調音楽分析の方法論をあれこれ考えるのが目的というクラスですが、毎回、Joseph StrausのIntroduction to Post-Tonal Theoryの課題が宿題なのに加えて、面白いことに、なんと無調の視唱課題までやらされるのです。まあ教授やTAも含めて6人ほどでいっしょに歌うので、多少は怪しい音程でもなんとかゴマかせますが、だいぶ冷汗が出ました。

 もちろん、こうした基礎課題にプラスして、毎回、特定の作品を全員でディスカッションしながら分析します。これまでのところウェーベルン、後期ストラヴィンスキー、そして初期シュトックハウゼンといったあたりを扱いましたが、いよいよ戦後音楽の佳境に入る、というところで帰国になってしまい、少々残念。ちなみに、Hasty教授はなんとも気さくな先生で、定期的に彼の研究室を訪れて、1時間ほどあれこれ話して帰ってくるというのは、この半年間、僕にとってじつに貴重かつ楽しい時間でした。

 もうひとつの授業は、近くのノース・イースタン大学から週に1回だけ非常勤で来ている、Judith Tick教授の「アメリカ作曲家の伝記執筆をめぐる諸問題」。Tick教授はアメリカ音楽研究、とりわけアメリカ左翼音楽の研究では重鎮のひとりですが、このクラスは、アイヴズとルース・クロフォード・シーガーを例にしながら、今世紀のアメリカ音楽の背景や、伝記研究の意義を多面的に考察するというもの。予想以上にハイ・レヴェルな内容で、リーディング・アサインメントも内容が難解な文章ばかりできつかった。

02 じつは、今をさること4年前、ヴァレーズの研究を始めたさいに、僕はボストンまでTick教授を訪ねているのです。日本からとつぜんメールを送ったところ、見ず知らずの僕を彼女は家に招いてくれて、2時間ばかり話につきあってくれました。あのときには、まさか自分が将来ボストンに住むことになるだろうとは想像もしておらず、そういう意味でも、今回彼女の授業に参加できたのはうれしい偶然でした。また、このセミナーではヴァレーズにかんする発表を小1時間ほどやらせてもらい、メンバー全員であれこれ有意義な議論をかわすことができました(写真は学生が予習にいそしむ、音楽図書館2階の閲覧室)。

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 さて、ボストン滞在の最後の月となった3月は、先の2つのセミナーの毎週の予習、そして自分の研究を論文にまとめる作業が中心でしたが、なぜかほかにもいろいろイヴェントが多い月だった。

 コンサートは、BSOのアイヴズ4番(3月5日、アラン・ギルバート)、スティーヴン・ドルーリーのソロ・リサイタル(8日、ラッヘンマンのSerynadeと、シュトックハウゼンのKontakteのみというハードコアな選曲)、Chiaraカルテットの「ソ連で禁止された音楽」特集(13日、ベルク、シェーンベルク、そしてハイドン!)など、興味深い演奏会がいろいろ。そういえば、ボストン在住の作曲家、戸口純さんのミニ・コンサート(8日)も素晴らしいものでした。

 そして映像の分野にはなりますが、とりわけ印象に残っているのはビル・ヴィオラがMIT(ハーヴァードの2つ隣の駅にあります)に来て、フィルム・スクリーニングを2晩ほどやったこと(3月12日、13日)。このイヴェント、不思議なことに初日は夜10時から、翌日は夜11時からという深夜モードで、ヴィオラ作品を作者みずからが解説するという企画にもかかわらず、MITの大教室は両日とも20人弱ほどという閑散とした状態。しかし、そのおかげで、彼がヴァレーズ作品に映像を付した『デゼール(砂漠)』はもちろんのこと、初期から最新作までのいくつかをじっくりと観られたのは、ぜいたくな体験でした。2日目の終演後(午前1時半くらい!)にヴィオラと話したさいに、たまたま僕が持っていた《デゼール》の原型にかんする資料(当時の新聞の切り抜きのコピー)を渡すことができたのも愉快だった。

 映像といえば、ハーヴァードのカーペンター・センター(ル・コルビジェによる北米唯一の建築)では定期的に日本映画をやっていて、これまでになぜか大島渚特集なんかを大雪のなか、観にいったりしたのですが、この3月には松本俊夫の『薔薇の葬列』(13日)と深作欣二の『仁義なき闘い』(20日)という、まったく異なるようでいて、しかしじつはかなり共通点がある映画を観て、いろいろ考えるところがありました。海外で接すると「日本映画」だとか「日本の現代音楽」というジャンルの輪郭が少しみえやすい気がします。

 3月15日には、マサチューセッツ州に隣接する州のうち、唯一訪れていなかったコネティカット州を制覇すべく、車を2時間ほどとばしてイェール大学を見学しました。ハーヴァードとはまったく異なるゴシック建築で、なるほどこれは重厚だと感心。ここで学位をとった森あかね先生が要所を案内してくれたうえ、なんとそのあとに音楽理論のアレン・フォートの家にまで連れていってくださり、恐縮することしきり。フォート教授は数年前に来日もしていますが、80歳を超えていても驚くほど元気で、彼の著書の中国語版を見せてくれたり──もっとも、無断翻訳とのことですが(笑)──、ジャズ・ピアノを弾いてくれたり、最後にはヴァレーズのプライヴァシーにかんする極秘情報まで教えてくれて、感激(彼は学生時代をコロンビア大学で過ごしているので、人脈にも直接的なつながりがある)。そういえば、先のHasty教授も、フォートの愛弟子のひとりです。

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 ……と、そんな怒涛のイヴェントのあとは、車をディーラーに売り、小切手を替えるのにいろいろ苦労し、電気や電話をとめる手配をして、同時に家財道具をムーヴィング・セールでたたき売りして、さらにはボストンで知り合った人に最後のあいさつをしたりするなか、帰国ぎりぎりの26日にはコーラス・ボストンという合唱団の集まりで「音楽学と楽譜」というレクチャーをやることになり、まるで落ち着かないまま、最後の日々が過ぎていきます。もっとも、バタバタしていたほうが感傷的にならずにいいのかもしれません。

 それにしても、アメリカの教授陣にはほんとうによくしてもらいました。僕の拙い英語を忍耐強く聴いてくれたのはもちろん、学会に出す英文を添削してくれたり、さまざまなイヴェントを紹介してくれたり、ディナーに呼んでくれたりと、さんざんお世話になりました。また、とつぜんあらわれた日本の学者をすんなり仲間に入れてくれたハーヴァードの学生たち、とりわけいっしょにクラスで議論した博士課程の学生たちとは、別れるのが辛い気持さえします。皆、いずれは音楽学者として育っていく連中でしょうから、最後の授業では「また、世界のどこかの学会で会おう。いい職をゲットしろよ!」と堅く握手をかわしてきました。

03 そして、来る前にはまったく予想していなかったものの、こちらで知り合ったさまざまな分野の日本人研究者たちからも、刺激をうけました。この多くは、前にもお話しした研究者交流会で出会った人たちで、みなさん次代の日本をになう人材ばかりです。3月半ばには、MITの開発徹さんが中心になって、ボストンの研究者で音楽好きな人を10人ほど集めて、僕のお別れ会──というか、たんにそんな理由をダシにした飲み会なわけですが──もやってくれました。

 そしてごく個人的につきあった友人たちも忘れられない人ばかりです。とりわけコンコードに住む音楽好きの遠藤さん一家とは、3度にわたるタングルウッド音楽祭ツアーをはじめとして、カヌーで川下りをしたり、むちゃくちゃにワインを飲んだり、数え切れないほどの楽しい思い出を共有しました。

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 そういえば、1年間のアメリカ生活で実感したことのひとつに、時代を象徴するポップスの不在があります。たとえば、もしも80年代前半にアメリカにいたら、毎日のようにマイケル・ジャクソンを耳にしたでしょうが、そういうかたちのヒットがみあたらない。もちろんそれは、僕の「年齢」のために受信アンテナが鈍ってしまったせいもあるのでしょうが、それにしてもじっさい、こちらの店先でいちばんよくかかっていたのは、ジャーニーの《ドント・ストップ・ビリーヴィン》だった気がします。僕が高校時代のヒット曲ですが……。

 とはいえ、わずかに新しい音楽として認知していたリアーナやコールドプレイの曲はグラミー賞をとったので、いちおう、これが「時代の歌」だったということなのでしょう。とりわけコールドプレイのviva la vidaは、ボストンでの生活のいろいろなところで響いていて、個人的に思い出深い曲です。明るいようでいて、妙に物悲しい曲だなと思って歌詞を調べると、これがなかなかいい。

 I used to rule the world
 Seas would rise when I gave the word
 Now in the morning I sleep alone
 Sweep the streets I used to own



 かつては世界を支配し、ひと言発すれば海の水位を上げることさえできたのに、今では落ちぶれてしまったというストーリー。音楽にあふれる独特の喪失感はそういうことだったのかと、納得してしまう。もともと僕は、ひどく楽観的ないっぽうで、けっこう幼いころから、つねに喪失感とともに生きてきた自覚があります。楽しいときほど、どこかで「ああ、自分はこれを失なってゆくのだな」と心の底で念をおしている。だから、ボストンでの生活も、あまりに充実していたがために1年間ひたひたと喪失しつづける感覚があり、その気分とこの曲がけっこうシンクロしたというわけです。

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 さて、わずか1週間後には、また日本で生活しているというのがなにか信じられない気分もしますが、4月1日からは桐朋学園に戻って、今度は海外研修の成果を還元していかねばなりません。ボストンを離れるのはもちろん寂しいのですが、しかしいっぽうで、また日本の職場と、そして音楽業界に帰って働くのが、ひどく楽しみでもあります。

 ということで、7回にわたって不定期連載してきた、「ボストン通信」はこれで終わります。もともとネット社会、というよりもテクノロジー全般に対してあまり好感をもっていなかった僕ですが、今回のこの連載は、自分のためにもやってよかったと思っています(また、意外に多くの人が読んでくれているのを知って驚きました)。日本に帰ったら、自分でもブログを始めようかと考えたり……。

 最後になりましたが、こうして連載ができたのもこのブログの運営者であるアルテスパブリッシングの木村元さんのおかげです。深く感謝しつつ、いったんお別れしたいと思います。

04 ということで、最後の写真は、僕の住んでいたアパートから徒歩5分ほどのところにあるジャマイカ・ポンド(9月頃)。ポンドといっても湖のようなサイズで、よくこの湖畔を散歩しました。ではみなさん、また東京でお会いしましょう!

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» ボストン音楽コミュニティ [MIT Sloan 遊学記]
12月の研究者交流会でも発表いただいた、ハーバード大学音楽学部留学中の桐朋音大の沼野雄司先生が帰国されるので、ボストン界隈の音楽つながりの友人を集めて送別会(という飲み会)を行った。ようやく「ボストン音楽コミュニティ(音大生の集まりではなく、異分野の人が音楽を愛するただ一点でのみ集まり、音楽の将来を語るコミュニティ)」といえるようなものが出来てきた。といっても何の形式もなく私がそう呼んでいるだけだが、少なくともこの1回、10人ほど集められただけでも嬉しい。 参加者は音楽学の沼野さんを筆頭に、い... [続きを読む]

受信: 2009/04/29 00:01

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