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2009/08/06

音楽非武装地帯 by onnyk[011]虫めづる姫君(その3)

7.花と蝶

 また擬態の話になるが、虫にそっくりな花、花や葉や枝にそっくりな虫がいる。これはどうしてだろうか。あまりにも当たり前すぎる疑問には答えがたいものだ。あるいは多種多様な答えが返ってきて混乱する。擬態という現象は否定できないが、あれほどみごとな模倣が、たんに適者生存のダーウィニズムだけで完成されてきたとは信じがたいと思うのは私だけではないだろう。しかしここで目的論を導入しようとは思わない。そっちに議論をもっていかないようにするべきだ(じゃないとブログではなくなる。いやもう、この長さではブログじゃないけど)。カイヨワとかバタイユを参考にしてほしい。
 切り離して別のカテゴリーに入れようとすれば、なぜその境界を裏切る(「越える」のではなく)ような形象が存在するのかという例はいくつもある。これは人が考案するカテゴリー化の不完全性を示している。

 なぜ、このように中間的な、移行的な、不分明な、曖昧な、不可思議な存在があるのだろうか。
 私がいいたいのは、「植物と昆虫は対として存在している」ということだ。
 森進一の歌った演歌「花が女か男が蝶か」という《花と蝶》はまさしく、この事情を言い当てている。
 男女という性別もじつは曖昧な審級ではないのか。生物学的、社会的な観点からトランスジェンダーの人々が主張を始めている。彼らは花である蝶、蝶である花なのかもしれない。

8.死神の眷属、そして女神

 しかし、まだ女性が、いや「女性」性が、「むしへん」存在を忌避するのかについて語りつくせてはいない。
 いきなりだが、中世ヨーロッパの芸術「トランジ」をご存知だろうか。ひとことでいえば「死の図像化」「形象化された死体」である。貴族や僧侶が、自らの石棺の表面に、腐ってゆく自らの体を彫り込ませ、また画像でそれを示したのである。しかも超リアルに!
 そこにみられるのは腐敗していく肉体だけではない。忌避すべき生き物たち〜「むしへん」の存在が一緒に表現されている。この当時、蛇も蝦蟇も墓地に棲み、死体を食べていると思われていたのである。こうした生物はたしかに地中に潜んでいるから、墓堀りをすると彼らがぞろぞろ出てくる。それを見て当時の人々は、そのように想像しただろう。彼らは死の象徴であり、「使い魔」であった。
 そして死は生の対蹠点=コントラプンクトゥスであり、生が善ならば死は悪の領域にあった。そして悪は神の不在である。死体という「腐りゆく物体」は悪魔に持っていかせてもよいのである。早くそうしておいたほうがいいのだ。そして本質たる魂はさっさと天に導かれるようにと。じっさい、ゴアにある聖フランシスコ・ザビエルの遺体は現在まで腐っていない(という。何度か医学的に調査されたらしい)。聖人は、その遺体さえも悪魔には侵されないのである。
 死体を食い荒らす蛇や蝦蟇と同類であるところの「虫」は、死の汚穢の象徴である。じっさいに死体を食んでいたであろう蛆には足がなく、その蠢く様がお互いに絡まり合った蛇の群を連想させたのだろうか。
 体を食い荒らすものとしての虫は、寄生する生物への連想を招く。つまり寄生されるということは、体の中に「死」を飼うことになるのだ。しかもその「死」は普通の死ではなく、そのまま「悪鬼」に移行する過程となる。霊が正しく導かれずに死することになるからだ。そうやって死んだ者はゾンビ、吸血鬼、人食い鬼、悪鬼、幽霊、悪霊となる。そして永遠に罪ある状態(罪を浄めるチャンスのないままに、というべきか)に置かれる。彼らは煉獄にさえ行けない。彼らはその本性のままに、死者を、あるいは生きた人を喰らって動き続けるのである。喰われた者はまた同じ運命をたどる。罪の拡大再生産、罪の資本主義である(神仏への喜捨が魂の浄罪になるなら、それは減価償却だろうか?)。

 寄生とゾンビのイメージは、じつは「疾病の感染と疫病蔓延」に起因していないだろうか。ほんらい、葬儀は死者の霊を無事に天に送り届けることにあるが、いったん疫病が蔓延するとちゃんとした過程を踏んだ葬儀などやっていられなくなる。これは中世の黒死病蔓延を描いた画像や記録文書をみてもわかることだ(同様に、戦役などで短期間に多くの死者が生じると、その遺体を収容することもままならず、また疫病と同じく葬儀がしっかりできないという状態が続く。だから戦死者は幽霊となりやすく、祟りやすい)。

 こうした、死の汚穢と、拡大される死の象徴ともいうべき「むしへん」存在に対して、人々が(女性ならずとも)恐怖や嫌悪を感じたことはいうまでもない。そして、これを祓うために呪術をしなくてはならなかった。
 その祭儀の重要な役割を担うのが「花」であっただろう。咲きにおう花は美しく、人を慰め、和ませる。そして花は生を終えても、そこには結実が保証されている。つまり花は生の勝利の象徴である。死に対して、「いのち」を生み出す生殖器たる「花」が賛美され、すべて良きものの喩えに用いられることにはなんら不思議はないだろう。
 そして女性それじたいが「花」なのだ。それは「母なる大地」という語に象徴される地母神信仰に通じ、生命を生み出すものとしての女性を崇める。そしてまた最初の女性エヴァの名の意味は「生命」であった。
 このような立場としての女性が昆虫、虫、「むしへん」存在を嫌うのは、ようやく納得いくと思うのだがどうだろうか。あいかわらず性差別主義者のレッテルを貼られてしまうだろうか。(この項、まだまだ続く)

[onnyk/22, Jul. 2009]

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